13.ひとりでさびしい夜だって、《お姉ちゃん》がいっしょです・⑥


「ランディちゃん、そろそろ眠れそう?」


「ううん、ぜんぜんまだ! もっとおはなしして!」


 夜の中、ユイリィが「うーん」と唸るのを聞いた。

 嫌がっている感じじゃなくて、ランディにも分かるくらいわざとらしくもったいぶっていた。


「ランディちゃんは、どんなおはなしが好き?」


「冒険のおはなし! 前はシオンにいちゃんによく話してもらってたんだ」


 一人で寝るようになってからは、そんな機会もだいぶん減ってしまったけれど。

 でも、冒険の話を聞くのは今でも好きだ。どうしても我慢できなくなると時々シオンにねだって、今でもおはなしを聞かせてもらうことがある。


「じゃあ、昔話。ふるいふるい冒険のおはなしをしようか」


「うん、聞きたい!」


「なら冒険のお話。そうだねぇ……ランディちゃんは、迷宮ダンジョンのおはなしは好き?」


「好き!」


「じゃあ、ダンジョンのお話にしよう」


 そう言って。

 ユイリィは一呼吸間を置いて、朗々とした声で語りはじめた。


「むかしむかし、まだわたし達が生まれるよりずぅっとむかし。世界を創った神様が、まだこの世界にいた頃のおはなしです。世界は今よりずっとずっと強くて豊かな魔法に包まれていて、みんなは魔法の力で幸せに暮らしていました」


 その語り出しは、ランディも聞き覚えがあった。

 シオンも話してくれたことがある――あと、ちゃんとは思い出せないけれど、ちいさい頃におかあさんが話してくれたような覚えがある。それくらい有名なおはなしだ。


「その頃の世界に満ちていたのは、わたしたちではない、べつの『人間』でした。今のわたしたちはそのひとたちのことを」


「《真人》!」


 口を挟むランディ。

 ユイリィはやわらかく口の端を緩めて、ゆっくりと頷いた。


「そう、《真人》。神さまの祝福を受けて魔法を極めた七つの種族が、世界中で栄えていました。《天種セライア》《王種ルーラー》《貴種ノーブル》《龍種リヴァイアサン》《獣種ビースト》《翼種セイレン》《宝種オーブ》の七つの種族です」


 ――七つの真人たちは、ダンジョンを造るのが大好きでした。

 みんなこぞってダンジョンを造り、まわりのみんなに自慢しあっていました。

 ある男のひとが言います。


『やあやあどうだい私のダンジョンは! あらゆる海をまたにかける世界最高の船にして、大海原の迷宮さ! 一番上は海の生き物たちが泳ぎ集う楽園、一番下は海の底まで届く大迷宮! 世界に二つとない立派なダンジョンさ!!』


 すると、ある女のひとが応えます。


『いいえいいえ、私のダンジョンこそが素晴らしい! 他にはいない珍しい魔物がたくさんいるわ! 中でも一番強い魔物は、そう! ――獅子と山羊と竜の頭を生やして、尻尾は蛇! 火を吐き雷を落とし、鱗と毛皮で身を護るとっても強い魔獣なの! この強い魔物を倒してダンジョンを踏破できる英雄は、果たしてみなさまのなかにいらっしゃるかしら!』


 今度は別の男のひとが言います。


『いいや諸兄よお待ちあれ、素晴らしいのはこの俺のダンジョンさ! 千の魔物と万の罠が、億の財宝求めて踏み入る勇敢な冒険者アドベンチャラーの行く手を阻むだろう! 力だけじゃあ届かない、智慧がなければ越えられない! 智勇併せ持つ真の英傑だけが勝利を手にする最難のダンジョン、それこそ我が自慢の天空城!! さぁとくとご覧あれ、あの空に浮かぶ勇壮なる天の城塞を!!』


 海に。大地に。空に。

 真人たちは競ってダンジョンを造り、自慢のダンジョンを魔法の力で生み出した魔物たちや、奇想天外な罠の数々で満たしてゆきました。

 ――ああ。でも。でも。

 あんまりダンジョンづくりが楽しすぎたから、真人たちはついやりすぎてしまったのです。


『これ以上、世界をいじくりまわしてはいけない! ダンジョン作りはもうやめなさい! おまえたち以外の生き物が、みんなみんな困っているじゃないか!!』


 真人たちがダンジョンを作りすぎたせいで、世界はめちゃくちゃになってしまいました。

 晴れなのにどしゃぶり。月の夜に真っ黒な太陽。山のいただきまで津波。割れた海の底にカラカラの砂漠。春が夏で秋が冬。空は毎日雷ばかり。海はいつでも大嵐――

 真人以外の生き物はみんなみんなめちゃくちゃになった世界でどうしようもなくなって毎日泣いてばかりで、とうとう見かねた神さまたちは真人たちのやりすぎを叱りました。

 さあ、面白くないのは真人たちです。


 ――ぼくたちは毎日楽しくダンジョンを造って遊んでいただけなのに、どうして怒られなくちゃいけないんだ?

 ――もうダンジョンを作ってはいけないだなんて、そんなのあんまりひどい! 神さまは勝手すぎる!


 もっともっとダンジョンを作って遊びたい真人たちは、みんなで話し合って神さまを世界から追い出すことにしました。

 こっそり神さまを世界から追い出す魔法の準備をして、そしてある時、神さまをお祝いの宴に招待しました。


『神さま、すべて神さまのおっしゃるとおりです! わたし達が間違っていました! もうダンジョンは作りません! 他の生き物たちにも謝ります! 今まで作ったダンジョンもぜーんぶ壊して、世界を元に戻します!! その最初の証として、私たちを叱ってくれた神さまたちに感謝する宴を用意しました!!』


 真人たちが反省してくれたと思った神さまは、喜んで宴の招きに応じました。

 でも、それは真人たちの準備した罠で――宴の席にやってきた神さまたちは、みんなみんな、世界の果てのその先へと追放されてしまいました。


 やった! やった!


 真人たちは手を叩いて喜びました。


 うるさい神さまはもういないぞ! ぼくらは自由だ!

 これからも毎日ダンジョンを作れるぞ! 魔物や罠を作れるぞ!


 ――でも、そうはなりませんでした。

 十二人いた神さまのひとり、神さまの中でいちばん賢い知恵と魔法の神さまが、真人たちのあまりのやりかたに本気で怒って、最後にひとつ、世界へ魔法をかけました。


『ほんとうに怒ったぞ、おまえたち! わかってくれたと思ったのに! 反省してくれたと思ったのに! もう許さないぞ、このままただではすまさないぞ! わたしたちはもう二度とこの世界に戻ることはできないが、しかし、おまえたちもこの世界にはいられないようにしてやるからな!!』


 ――そうして。

 神さまは最後に世界へ呪いを残しました。

 真人たちからひとつずつ、たいせつなものを奪ってゆく呪いでした。


 《天種セライア》からは『肉体』を。

 《王種ルーラー》からは『権力』を。

 《貴種ノーブル》からは『血脈』を。

 《龍種リヴァイアサン》からは『理性』を。

 《獣種ビースト》からは『心臓』を。

 《翼種セイレン》からは『言葉』を。

 《宝種オーブ》からは『時間』を。


 それは真人たちにとって、死ぬより怖くておそろしい最悪の呪いでした。

 みんな真っ青になって神さまに謝りました。ごめんなさい、もうしません。今度こそほんとうに反省しました!

 でも神さまの呪いは解けません。だって神さまは世界の果てのその向こうに追い出されてしまったので、真人たちの涙も謝罪も届かなかったのです。


 それからは、みんなが泣いて泣いて暮らしました。

 大好きだったダンジョン作りもちっとも楽しくなくなってしまって、毎日まいにち悲しくみじめな気持ちで過ごしていました。

 そんなときです。ひとりの勇敢な若者が旅に出て、世界の果てのその向こうを目指しはじめました。

 もう一度神さまに会って、これまで自分たちがしてきたことを心から謝ろうと決めたのです。


 つらくて苦しくて、とても大変な旅でした。

 晴れの日のどしゃぶりに打たれ、

 月の夜の真っ黒な太陽に焼かれ、

 山の頂をおおう津波に呑まれ、

 割れた海の底のカラカラの砂漠で干からび、

 春が夏で秋が冬の世界を渡って、

 毎日空から落ちる雷に焦がされ、

 いつでも大嵐の海を越えて――


 ついに辿り着いた世界の果ての向こうで、若者は神さまに心から謝りました。

 もちろん神さまたちはみんな怒っていましたけれど、でも、つらくて苦しい旅を越えてやってきた若者のぼろぼろの姿を哀れに思って、またそのとても清らかな心を大切に想って、ひとつだけ呪いから逃れる方法を教えてくれました。


『世界中のダンジョンを壊して、世界中をみんな元通りに戻して、おまえたちも世界の果てのその向こうへ来なさい。然る後に元の世界へ繋がる扉を閉ざして、おまえたちにかけた呪いをあちらの世界へ切り離そう。そうしたら、おまえたちを苛む呪いは解ける。かならずだ』


 そのことばを伝えさせるため、神さまは魔法の力で若者を元の世界へ帰しました。

 若者は世界中を巡ってすべての真人に神さまの言葉を伝え、みんなで世界の果てのその向こうへ行くことを決めました。

 そうしたらもう二度とこちらの世界には戻ってこれないけれど、でも神さまに謝っておぞましい呪いを解いてもらうために。そうすることに決めました。


 世界中のダンジョンを壊してなにもかもを元通りに戻したあと、真人たちは世界の果てのその向こうへと旅立つ前の最後の止まり木に、この《多島海アースシー》の島々を選びました。

 そしてこの海でほんのちょっぴりだけ、最後のダンジョン作りを楽しんでから、みんなで世界の果てへと向かったのでした。


 ――今でも世界には彼らの残した遺跡が残っていて、《多島海アースシー》には特別たくさんのダンジョンが眠っています。

 それは、真人たちがうっかり壊すのを忘れてしまったり、どうしてももったいなくて壊せなかったものが残ってしまったのですが、それでも世界はだいたい元通りになったので、神さまも残ってしまったダンジョンには、特別におめこぼしをしてくれました。


 真人たちは神さまに呪いを解いてもらい、今は世界の果てのその向こうで、楽しく暮らしているのです。


 そして、今でも世界のあちこちには真人たちが遺した迷宮が眠り、新たな冒険者、英雄の訪れを、待ち続けているのです――



「――おしまい」


「ん……」


 応える声は、とろとろと眠気に蕩けていた。あったかい布団の中で聞くユイリィのおはなしの声が気持ちよくて、ランディはすっかり瞼が重たくなっていた。

 最後まで聞きたい一心で、今にもくっつきそうな瞼をなんとか開けていたけれど、「おしまい」の一言でほっと気が緩んだ途端、一気に限界がきた。


「おやすみ、ランディちゃん」


「おやすみぃ……」


 頭を撫でてくれるやわらかいてのひらを感じながら、ランディは瞼を閉じた。

 それからあとは墜落するみたいに、朝までぐっすりと眠った。


 …………………。

 ……………………………。



 深夜。郊外の小さな町では酒場すら看板を下ろすこの刻限に、トスカで一番大きな町長の館の一室には未だ灯りが灯っていた。

 大きな長机に町の中でも主だった年かさの男達が居並ぶ中、シオンはフリスやファリダン氏と並んで、最も上座に座る町長の左右に席を宛がわれていた。

 森の狩人たちのまとめ役――というより、森で誰より腕のいい狩人であるがゆえに崇敬の対象として祭り上げられたファリダン氏と同格。それはトスカにおけるシオン達の立ち位置を、そのまま示すものではあった。


 上座から見てちょうど反対側には、場の視線を一身に浴びてちいさく縮こまった、やせぎすの男が一人。

 年の頃は室内に居並ぶ男たちと大差ないか、少し下くらいか。日除けの帽子を両手で揉み潰しながら蒼白の面持ちを俯かせている彼は、件の双頭蛇竜アンフィスバエナを運んでいた馬車の御者だった。

 一様に重たい沈黙を保つ男たちを代表する形で、町長のクローレンス氏が口を開いた。


「つまり――あなたはこう仰る訳ですね? 魔物はいた、と」


「へ、へぇ……町長さんの仰るとおりで」


 舌打ち。溜息。うんざりしたような唸り声。

 内心の怒りを隠そうとする素振りもない男たちの反応で、室内の空気が一層の不穏さを帯びてざわめく。

 いつもならとうに床へ就いているはずの時間に招集されたこともあってだろうが、不機嫌さの表明に憚りがない。そうした仕草ひとつひとつにびくびくと肩を縮めている御者の様子がシオンは哀れでならなかったが、さりとてそれも無理からぬことではあったのかもしれない――危険な魔物を逃がしてしまったという事態に対する責任の重さと、恐らくは『依頼人』への義理立てと怖れの板挟みになって一向に要領を得ない物言いを繰り返すばかりだった気弱な御者を相手に、この時間までかけて事の仔細を問い詰めた挙句ようやく分かったのが、という、考えうる中で最悪の結果でしかなかったのだから。


 温厚なクローレンス氏でさえ頭痛をこらえるような顔をしながら、強張りかけたこめかみを指で揉みほぐしていた。豊かな口ひげに隠れた唇からも、苦い汁を擂り潰している気配がうかがえる。

 そも、当のシオンからして、内心の落胆と疲労を隠しきれている自信がない。明確に例外と言えるのは、この会議の当初から眉ひとつ動かさず表情を変えない鉄面皮のファリダン氏と、怯え切った御者へ明らかに同情しているフリスくらいのものだった。


「コートフェルへ、事態を報せる使いを出しましょう。今すぐに」


 やる方のない落胆と憤懣で停滞した場の空気を切り替えるべく、シオンは切り出した。


「連盟機構の支部と、あとはトリンデン卿にも――公領の兵団なり冒険者なり、森に潜んだ魔物を狩り出すための人手が要ります。明日の朝の開門と同時に市内へ入って事の次第を伝えれば、明日中か、遅くとも明後日までのうちには、必要な手筈を整えてもらえるはずです」


「……領都へ使いを出すのは私も賛成だが、しかしそう都合よく事が運ぶだろうか」


 町長のクローレンス氏が難しい顔で唸る。シオンはその疑念へかぶせるように、きっぱりと続けた。


「使いには俺が行きます。連盟機構は元より、当代のトリンデン卿は俺の知己ですし、彼には貸しもあります。町長の一筆をいただいて、何なら俺の名前も出して急を要すると訴えれば、無碍にされることはないでしょう」


「さすが! 《雷光の騎士》シオン・ウィナザードの面目躍如というところかな!」


 座の一角から追従めいた声が上がった。それには聞かなかったふりを決め込みながら、シオンは続ける。


「事と次第によってはトスカどころか、領都コートフェルをはじめとするオルデリス公領全体の問題にもなりえる事態です。今この時に起こっているのは、という状況は、それほどに危険なものなんです。連盟の重鎮もトリンデン卿も、その重大さを理解できる方々です。それに――」


「それに?」


「……いえ、すみません。今のは忘れてください。町長、事態を伝える手紙の用意をお願いできますか」


「もちろんだ。すぐにしたためよう」


 二つ返事で引き受けてくれたクローレンス氏に、シオンは深く頭を下げた。

 最前の一瞬、シオンの脳裏をよぎったのは――すでに現状の事態が、コートフェルの各所へと伝わっている、という可能性だった。

 御者から聞き出せた馬車の位置――魔物の逃走を許した場所は、コートフェルの南門まで半刻とかからない。川沿いの道は狭く曲がりくねっていて人も車もあまり通らない脇道ではあるが、それでもラウグライン大森林の周縁に位置する町村を繋ぐ街道の一つではある。

 もし運よく気まぐれを起こした誰かが通りかかっていれば。件の馬車を見つけて、市内の警衛へ一報を伝えてくれているかもしれない。


 それが楽観に属するものにすぎないと分かっていたから口にするのははばかったが、可能性だけをいうならそうした展開は十分にあり得る。

 ともあれ、方針が定まったからだろう。いつしか室内に満ちていた重々しい空気は、いくぶん緩みはじめていたようだった。


「しかし、冒険者ですか……いえ、兵団でもそうですが。頭の痛いことですなぁ」


「は?」


 シオンは思わず眉をひそめる。ぼやくように言ったのは、町の重役のひとりだった。


「いえねぇ、だってそうでしょう? 冒険者を雇うにせよ公爵の兵をお借りさせていただくにせよ、その金はどこから出すんだという話ですよ。我が町はつい先だってに水路と堤防の補修をしたばかりだというのに、このうえまた出費ですよ? いったいどこから金を持ってきたものやら」


「きみ、今はそんな話をしているときではない」


「ねえ皆さん。いっそのこと、シオン君達にお任せするという訳にはいきませんかねぇ?」


 クローレンス氏が割って入ってたしなめるが、男の舌は止まらなかった。


「なにせ彼は伝説にも謳われるような竜を倒した、《雷光の騎士》というやつなんでしょう? 薬師のフリス嬢も彼と同じパーティで活躍した、一流の魔術師だというじゃありませんか。今回のなんとかいう魔物だってねぇ、このお二人ならこう、パパっと」


「俺が冒険者を休業しているということは、以前にもきちんとお伝えしていたつもりでしたが」


 グラスの氷水を叩きつけるような――冷えきった掣肘の声が、加熱しかけた弁舌に水を差した。

 それまで調子よく喋っていた重役が、その冷たさに分かりやすく鼻白んだ。


「……いや。そうは言うがねシオン君、きみのご両親が我が町にいらっしゃった頃はねぇ」


「両親は両親。俺は俺です。それとも何でしょうか――あなたが仰りたいのは、俺のような町の人間なら他所の冒険者と違って無料ただでこき使えると、そういった主旨のお話でしょうか?」


「おいおい、きみ! 人聞きが悪いことを言わないでくれたまえよ。私はそんなつもりで言った訳では」


「冒険者を休業している今はただの町の住人、その一人に過ぎない身の上です。だからこそ求められれば町のための協力は惜しみませんし、無償で知恵もお貸しします。ですが冒険者として働けと仰るなら、それは『』です。当然それなりのものはいただきます」


 重役は短く唸ったきり、唇を噛んで押し黙る。

 シオンが『本気』であることを、完全に据わった眼光で否応なくそうと悟ったのだ。


「念のため先に申し上げておきますが――高価たかいですよ、俺は。何せ俺は先ほどあなたも仰ったとおり、伝説に謳われる竜をも倒した《雷光の騎士》というやつですから」


「し、シオンくん……っ!」


 フリスが焦って止めに入る。

 それでようやく、シオンも我に返った。ばつの悪い顔で、しかし明らかに腹の底で不服をわだかまらせている顔つきの重役に、周囲からの咎める視線が集中している。


(しまった……)


 ――これは、まずい。うっかり引き込まれて感情的になりすぎた。

 放置すれば間違いなく、後に禍根を残す。


「……すみません、言葉が過ぎました。もちろん俺も町の一員ですから、できる限りのことはさせてもらいます」


 声を抑え、やりこめてしまった重役の顔を立てるだけのために詫びる。静かに息をついて、煮えかけた感情を鎮めていく。


「ですが現実の問題として、俺やフリスだけで探索するにはあの森は――ラウグライン大森林はあまりに広すぎるんです。討伐以前に、森へ逃げ込んでしまった魔物を捕捉しなくてはいけない。それも早急に」


 魔物の討伐だけで済む問題なら、確かにシオンだけでも事足りる。居所さえ明らかならば。

 十分な――それこそ数ヶ月単位の時間をかけても構わないなら、もう少し穏当に事を運ぶことだってできるかもしれない。

 また、仮に犠牲をいとわず町の男衆だけで探索を強行するつもりがあるのなら、それも実現不可能とまでは言わない。


 だが、現状はそのどれでもない。どうあれ討伐終了までの間森を封鎖するとなれば、それは森の恵みを暮らしの糧とする住人すべての生活に関わる問題だし、それ以上に逃亡を許したのが『繁殖期の魔物』だということが、事態をまずい方向に傾けていた。

 だが、そうやって自分の激昂に理路をつけながら、その実シオンは自分で理解していた。


「魔物へ対応できて、かつ探索のため森の奥まで踏み込める。条件を満たしうる必要な手数を集めるため、コートフェルの協力は不可欠なんです。どうかご理解をお願いします」


 ――結局のところ、自分はのを嫌っただけ。

 今、冒険者に戻ることなど、自分は絶対にできやしない。

 

 これは本当に、ただそれだけの理由でしかなかったのだ、と――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る