12.ひとりでさびしい夜だって、《お姉ちゃん》がいっしょです・⑤
着替えを済ませ、外出の支度を整えたシオンとフリスの二人を、ランディは玄関まで見送りに出ていた。
「じゃあ、行ってくるけど……俺達がいないからって夜更かしなんかするなよ? 明日はまた学校あるんだから、変に目が冴えたりしないうちに早く寝るんだぞ」
「わかってるって。ちゃんとする」
「ユイリィさんも――」
「心配ご無用だよ。お姉ちゃんだからね」
「……………………」
――姉妹と認めた覚えはないんだが。
そうツッコみたくてたまらないのを、シオンは喉元のところで辛うじて堪えた。
代わりに、どっと疲労に襲われたかのような顔で、凝り固まりそうな眉間を揉み解す。
「……まあ、ひとまずそういうことで。ランディのことよろしくお願いします」
「まかせて!」
「いってらっしゃい!」
手を振る二人に見送られながら、シオンはフリスと共に家を出た。外で待っていたファリダン氏に先導される格好で、すっかり夜に沈んだ町を町長宅へと向かう。
「わ、っ」
「おっと」
フリスが何かに躓いてつんのめりそうになったのを、シオンはとっさに手を伸ばして受け止める。
「わ、わわ」
「足元は気をつけてな。暗いから」
「あ、ああ、ぁ、り、がと……ごめん」
「いいって、無理ないよ。町に住んでたら、女の子がこんな夜道を歩くなんてめったにないんだ」
「うん……」
シオンはやんわりとフォローしつつ、申し訳なさそうに縮こまる幼馴染みをきちんと立たせてやる。
――フリスの日頃の様子を知ればこそか、トスカの住人には「元冒険者だなんてとても信じられない」といった感想を抱く者が少なくないらしい。
無理もないとは、シオンも思う。ひいき目を抜きにして客観的に見れば、フリスはお世辞にも『頼もしい』といった形容が似合う女性ではない。
ただ、彼女がそうなったのは、町暮らしに伴う変化の結果でもあるのだと――そのことも、シオンは同時に知っていた。
冒険者だった頃より、身なりにずっと気を遣うようになった。
足元も、実用一点張りのブーツではなく、ヒールつきのおしゃれでかわいい靴を履くようになった。
一言で言えば、垢ぬけてかわいくなった。町暮らしの女の子らしくなった。
野暮ったく伸びた前髪を切って、魔女らしい仕立てのドレスと三角帽子の代わりに町の女の子たちみたいな服で着飾ることを覚えた暁には、この幼馴染が誰もが振り返るとびきりの美少女に変身するのは疑いない。これも幼馴染みのひいき目抜きでシオンはそう確信していたし、それとなく当の彼女へ勧めてみたこともある――あいにくと、前向きな返答はもらえずじまいに終わったが。
そして、煎じ詰めればその変化の原因は、シオンに求められる。
――自分が冒険者を辞めて、この町に留まることを選んだから。
だから、フリスは、
「気に、なる?」
「!?」
おずおずと問いかける声。
控えめにこちらを伺うフリス。足を止めてこちらを待っているファリダン氏。
物思ううちに、いつの間にか我が家へと振り返っていた自分自身に、シオンはその時ようやく気がついた。
「……そう、だな」
事情を知らないフリスに対して、そうとはまだ言えずにいたが。
ユイリィが、両親の意を受けた何らかの差し金である可能性を、シオンは最初からずっと疑ってかかっている。本心を言えば自分はともかく、フリスはランディの傍に置いておきたかった。
確かにランディへの振る舞いだけ見ていれば、ユイリィは年下の子供に向かってお姉ちゃんぶる態度が露骨な、けれど無垢で快活なだけの女の子だ。
だが、彼女が決してそれだけの代物でないことを、自分は知っている。
――すべてのひとの幸いと可能性のために
――すべてを担う準備と性能があることを約束します
――今までほんッッとうによく頑張ってくれた!! おめでとう!!
――我が一人目の息子よ、晴れて今日からお前は自由だ!!!
(……何が『自由』だ。クソ親父)
昏く煮え立つ感情に、きつくしかめた横顔を――夜の闇へと隠しながら。
シオンは胸の中でだけ、盛大な舌打ちと共に毒づく。
◆
シオンとフリスがいなくなった途端、ランディはぶるりと身を震わせた。
何だか急に、家の中のくうきがひんやりしたみたいな気がしたせいだ。家の中の人数が半分になったから――では、ないのだろうが。
二の腕をさするランディに気づき、ユイリィが声をかける。
「あったかくして、寝よっか」
「うん」
二人はまずリビング兼食堂へ戻って、台所の竈の火と部屋の灯りを落とす。
魔法の灯火が消えると、辺りは一面の闇だった。
夜の廊下は暗い。魔光灯はリビングにしかないので、廊下や他の部屋への行き来は窓から差し込む白々とした月明りだけが頼りになる。
そしてそれすらない場所は、さながら墨で塗り潰したような真の闇だ。
「こういうこと、よくあるの?」
「え?」
「シオンが、夜中に出掛けなきゃいけなくなること」
「たまにくらい。そんなにあることじゃないんだけど」
兄のシオンは、元冒険者だ。
現役だったのは、ランディがまだ物心つくかつかないかくらいの頃。今でこそ冒険者の仕事はしていないが、かつては勇名を馳せた名うての戦士だったという。
従姉妹のラフィは事あるごとにシオンが現役だったころの冒険譚を口にするし、それはこの町で宿屋を営む叔父夫婦も同様だ。
トスカの子供でシオン・ウィナザードの名前を知らないやつはいない。将来、冒険者を志しているならなおのこと。
「シオンにいちゃんはすごい冒険者だから、なにか危なそうなことがあったときには町長さんの相談に乗ったげたりしてるんだって。かっこいいでしょ」
――と。
そこまで言ったところで、ふとランディは「あれ?」と引っかかるものを覚えた。
「ユイリィおねえちゃんって、そういうの知ってるんじゃないの? 観測……だっけ。そういうので」
「もちろんユイリィは最新型だからぜんぶばっちり――って言えたら、かっこよかったんだけどね」
あはは、と苦笑気味にはにかんで、肩を縮める。
「ずぅっと《棺》のなか、《棺》の観測頼みだったから。シオンのこともフリスのことも、ランディちゃんが知ってることのほうがずっとずっと多いと思うよ」
「そうなの?」
「そうなの。だからランディちゃんが知ってること、ユイリィにおはなししてくれると嬉しいな」
「……わかった、それなら!」
ランディは続ける。
――兄と初めて会ったのは四年前。四歳の時だった。
自分に『おにいちゃん』と呼べる相手がいたことを、ランディはその時初めて知った。
それから、果たして何があったのか――それまで一緒に暮らしていた両親はランディ達を置いて冒険へと旅立ち、代わりにシオンと一緒に暮らすようになった。
「シオンにいちゃんはね、正義の冒険者なんだ」
「正義の?」
おうむ返しに問い返すユイリィに、ランディは「そう」と声を弾ませる。
「おはなしに出てくるみたいな、かっこいい正義の冒険者。わるい魔物をやっつけたり困ってる人を助けたり……あ、ときどき失敗してたいへんな目にあったりしてるんだけどね? 最後はぜんぶうまくいってめでたしめでたしなの。すごいでしょ!」
「それはすごいことだね。ふつうはそんな、冒険小説みたいにうまくなんていかないよ」
「だよね。でもシオンにいちゃんたちはそうなんだ。おはなしの中の冒険者みたいなの!」
ただ、けれど――
「……今は、冒険に行かなくなっちゃったみたいなんだけど」
ランディがシオンと暮らすようになって以来、四年間。兄が冒険に出たことはない。
だから実のところ、ランディは『冒険者』としてのシオンを知らない。
周りの大人や友達みんなが熱っぽく語るシオンと――あとは、まだ一人で眠れなかった頃に、眠くなるまでの間シオンが話してくれたおはなしの中の冒険が、ランディの知っている『冒険者のシオン』、そのすべてだった。
けど、そんなランディでも、兄がすごいひとなのは知っている。
叔父も叔母もラフィも、それ以外の町のひと達も、みんなみんなシオンのことを町の誇りだと手放しでほめている。
町長さんや町のえらいひとたちも、シオンのことを凄い冒険者だからと言って、今夜みたいに頼りにする。
まるで物語の中の冒険者――いや、わるい魔王をやっつける、伝説の勇者さまみたいに。
シオンだけじゃない。フリスだってそうだ。フリスもトスカで薬屋を構える前はやっぱり冒険者で、シオンと一緒のパーティで冒険していたという。
魔術師で、薬師。この辺りだとお医者さんはコートフェルまで行かないといないので、ちょっとした怪我や病気くらいのときには、この町ではみんながフリスのお世話になる。
ランディもそうだ。風邪を引いたときには甘いシロップの薬を作ってもらったし、小刀で指を切ってしまったときには治癒魔術で治してもらった。
そんな風にみんなから頼られる二人がランディは好きだったし、自慢だった。そのせいで、時々こうして一人で留守番しないといけないこともあるけれど、そこはそれ。
一人で留守番くらいなんてことない。一人だって。
(ちゃんと、それくらいできるし。ぼくだって、できる……)
できる、はずだ。だってランディは、シオンの弟なんだから。
かっこよくてみんなが頼りにしてる冒険者、シオン・ウィナザードの、『弟』、なんだから――
……あれ? と。
そこで、再び疑問が脳裏へ浮かんだ。
「ユイリィおねえちゃん、今日はどこで寝るの?」
「どこ?」
考えもしなかった、という反応だった。
暗がりの中、その視線が地下室の跳ね上げ扉がある方へ向かう。
あの《棺》とかいうのの中で寝るつもりなんだろうか。さすがにそれはどうなのか。本気でそういうことを言い出しかねないユイリィの袖を、無言で引っ張る。
「ええと……この家って確か、客間あるよね?」
「あるけどベッドひとつだけ。そこ使っちゃったら、フリスねえちゃんが帰ってきたとき寝るとこなくなっちゃう」
「なら、ランディちゃんのお部屋は?」
名案、と言わんばかりの明るい声音だった。
「ユイリィがランディちゃんと一緒に寝るの。だめ?」
「いいけど……」
そんなちっちゃな子みたいな、と思う気持ちはあったし、まったく抵抗がないと言えば嘘になる。
けれど、シオンやフリスとなら今でもたまに一緒に寝てもらっているし――それが恥ずかしくない訳じゃないけれど、でもそうやって一緒に寝てもらう相手にがユイリィになったところで、それほど変わらないんじゃないかと言えないこともない。たぶん。
「ぼくの部屋って二階だけど、足元へいき? 階段あるから気をつけてね」
「ユイリィは
「もちろんへいき。冒険者になるんだったら、暗いの怖いなんてゆってられないし」
唇を尖らせて主張するランディに、ユイリィは「そっか」と声を弾ませた。
「ランディちゃんは強い子だね。かっこいいなぁ」
「…………そうかな。ふつうじゃない?」
くすぐったいような、恥ずかしいような。
そんな何かに背中をあぶられるみたいな感覚に襲われたランディは、きつく唇を尖らせて突き放すようにうそぶき、そのむずがゆいようなざわつきをすり潰す。
階段を踏み外さないように二階へ上がると、並びになった扉が三つ。
一番手前がシオンの部屋。その隣がランディの部屋。一番奥が客間――今晩はフリスが寝起きするはずだった部屋だ。
ランディはユイリィの手を引いて自分の部屋に入り、窓から差し込む月明りを頼りにベッドへ飛び込んだ。
上掛けに潜り込んで具合のいい寝場所を探していると、ユイリィが布団の中に入ってきた。
「ベッド広いね。ユイリィとランディちゃんのふたりだったら、じゅうぶん並んで寝られそう」
「ユイリィおねえちゃんもうちょっとそっち行って。せまい」
ほとんど抱き締められているみたいに距離が近かったので、わざと怒った声を出して少し離れてもらう。
はぁい、と笑みを含んだ声で応じて、ユイリィは本当に少しだけ、体を離した。
「ランプみたいな灯りはないんだね、この部屋」
ベッドからだと、月明りが差し込む窓辺以外ほとんど真っ暗なのに、まるで見えているみたいに言う。暗くても平気だと言っていたけど、本当に夜の闇の中でもまわりが見えているみたいだった。
「火を使うから、まだぼくには危ないって。シオンにいちゃんの部屋ならあるかも」
リビングの天井についているような魔光灯だったらそんな火元の心配もないのだが、魔光灯は照明の魔術効果を付与した道具――いわゆる《
コートフェルみたいな大きな街でもなければ、一番広い一部屋についているだけでもまだまだ珍しいくらいだと聞いていた。複数の部屋に魔光灯がついている家となると、トスカでは町長の――つまりはユーティスの家くらいしかない。
――シオンとフリスは、そろそろあの家についた頃だろうか。
いったい何があったんだろう。こんな夜中に、急に呼び出されて。
「ランディちゃん?」
「え――あ、なに?」
「眠れない?」
「……ちょっと」
そういうの、分かってしまうものなんだろうか。
《
それとも、『おねえちゃん』だからだろうか。
「眠くなるまで、なんかおはなししてもらっていい?」
「ユイリィはいいよ。いいけど……」
濁した声の端にほんの少し、不思議がる気配がかかっていた。
――おはなしなら、お風呂のときにたくさんしてもらったんじゃないの?
「……フリスねえちゃんのおはなし、よくわかんなくて」
「どんなおはなししてたの?」
問い返されて、なんとなくユイリィの顔を見てしまう。
誤魔化すか。正直に話すか。迷った時間はさほど長くはなかったが。
「ユイリィおねえちゃんのおはなし。ユイリィおねえちゃんってすごいの? って訊いたら――フリスねえちゃんは『すごい』って」
「えっ? そうかなー。いやぁ、そんなことないこともないんだけどね。えへへ」
ユイリィは嬉しそうにはにかんだ。
でも、
「………………」
それ以上のことは、ランディにはほとんどわからなかった。
フリスがユイリィを『すごい』んだと、心からそう思っているのは分かった。けれどその理由が――『どうしてすごいのか』が頭の中でちっとも繋がらないし、きっとたとえ話として出したのだろう血管や心臓の話も、話が進むにつれて、まるで背の高い
フリスの言っていることが、言いたいことが、ランディにはわからない。
出かけていくシオン達の姿が、ふと脳裏をよぎった。
みんなに頼りにされる冒険者のシオンと、その隣に並んだフリスの――
「……ユイリィおねえちゃんには、心臓があるの?」
「心臓?」
「そんなこと言ってたんだ、フリスねえちゃんが。《人形》には心臓がないけど、ユイリィおねえちゃんにはあるんだ――みたいなこと」
「心臓……」
ぽつりと零して、ユイリィは少しの間考え込んだみたいだった。
「聞いて確かめてみる?」
「何を?」
「心臓の音」
ユイリィは上掛け布団を少し持ち上げて、自分の胸元を開けた。
胸元がだぼだぼに余った
女のひとの胸に顔を当てるなんて、そんなのまるで赤ちゃんみたいだ。半ばは恥ずかしさ混じりで反発しかけた。
けど、それで嫌だと突っぱねるのも何か違う気がして――結局、促されるままもぞもぞと体を寄せて、ユイリィの胸に耳を当ててみた。
どうしてか。なんだかよくないことをしてるみたいで、胸の奥の方がどきどきとうるさかった。
「どう?」
「……心臓の音が聞こえない」
フリスよりはずっと薄くて頼りない、でもやわらかい胸の奥の方。シオンやフリスに抱きしめてもらった時に聞こえる心臓の鼓動、胸のところが内側から外へ向かって広がるみたいな振動が、ユイリィの胸からは感じられなかった。
代わりに、
「なんか、ごうごうゆってて……あと、カチ、カチ、って時計みたいな音が聞こえる」
「フリスが言いたかったのは『契法晶駆動基』のことだと思う」
「けい……?」
「ランディちゃんが聞いてる、ユイリィの胸の中でごうごうカチカチゆってるやつ。ユイリィの胸の中にはランディちゃんたちみたいな心臓はないけど、その代わりになるものがあるの」
「血管の代わりも?」
「うん。そっちは《
ランディの頭を抱きかかえるようにしながら、指先で自分の胸に触れて。ユイリィは言う。
「それがあるから、ユイリィは今のユイリィになれた。ケガだってすぐに治っちゃうんだ」
「フリスねえちゃんもそんな感じのこと言ってた。ユイリィおねえちゃんの、れいみゃく? は強いから、ケガの治りが早いんだって」
「そう。ユイリィは強いんだよ?」
ふふ、と笑って少し体を離すと、自分の額をランディのそれにコツンとくっつける。
「だから魔物だってこわくない。一撃でやっつけちゃうの」
「そっかー……」
胸の中でもやもやしていたものがきれいに晴れて、目の前がすぅっと見通せるようになったみたいだった。
フリスが一生懸命話していた――ランディに話して伝えたがっていたことにやっと追いつけた気がして、そのことがたまらなく誇らしかった。明日になったら、話してくれたことがきちんとわかったと、胸を張ってフリスに伝えられる。
ユイリィはニコニコと微笑みながら、そんなランディの頭を左手で撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます