11.ひとりでさびしい夜だって、《お姉ちゃん》がいっしょです・④


 体を洗い終わって、フリスと二人で湯船につかる。

 浴槽があまり広くないので、ランディはフリスの胸の中に後ろから抱きかかえられるみたいな恰好になる。


「そういえばフリスねえちゃん。おはなししてくれる約束」


 のけぞるようにしてフリスの顔を仰ぎ見ながら言うと、フリスは「あ」と目を丸くした。

 まさか約束を忘れてた?――そう訝ったのが表情で伝わってしまったか、フリスは顔を真っ赤にしながらあたふたと首を横に振る。


「わ、わわ忘れてないよ? わすれて、ない。おはなし……おはなし、ええと」


 一生懸命「忘れてない」と主張し、フリスはへにゃりと笑った。


「ど、んな、おはなし? ランディちゃんは、聞きたいか、な」


「ん-……」


 ランディは唇を曲げて唸り、思案する。具体的にどんな、と言われるとランディも迷う。

 だけど、そう――今日はひとつ、気になっていることがあった。


「フリスねえちゃんは、ユイリィおねえちゃんみたいな《人形》のこと詳しいの?」


「ん。うん……たぶん、ふつうのひとより、は」


「じゃあ、ユイリィおねえちゃんのこと教えて。ユイリィおねえちゃんってすごいの?」


「――すごいよ」


 はっきりと。

 フリスは憧憬の滲む声で言い切った。


「それって、ユイリィおねえちゃんが『おーとまた』ってやつだから? あの腕のところががしょがしょしててかっこいいから?」


「それもある、かな……でも」


 フリスは金色の瞳を細め、口元に手をやりながら――言葉を選ぶようにしばし黙考した。


「……ね。ランディちゃんも《自動人形》を見たこと、あるよね」


 いつも気弱そうな顎の細い顔立ちが、すぅっと鋭くなったみたいに引き締まる。

 声も綺麗に研ぎ澄まされて、キンと音がしそうなくらい綺麗に尖る。『かっこいい』フリスだ。


「サーカスのやつとかなら。あ、荷運びパペットくんも自動人形だよね?」


「うん。そう」


 《荷運びパペットくん壱号》は、上の方が広くなった箱みたいな形をした胴体に手足がくっついた形をしていて、胴体の真ん中に埋まった大きなルビーが一つ目みたいに輝いている。

 人型ではないので、ともすると《自動人形パペット》のイメージから外れがちだったが、『パペットくん』なのだからパペットなのだろう。


「《人形》は《契法晶》の魔力で稼働する――術者が魔力を充填するか、《人形》の機構で自動的に充填するかの差はあるけど、そこは基本的に変わらないの。でも、あの子には霊脈があった」


「れい……って、なに?」


「ランディちゃん、血管は分かる?」


「学校の理科で習った。体の中で血が流れてるところ」


「正解。わたし達の全身に血を巡らせている、血管――霊脈っていうのはね、魔術の領域レイヤーで観測できる、生き物の身体に魔力を巡らせるもの。多層魔術領域の解釈における『血管』のこと」


「生き物……」


「わたしたちだけじゃないよ。動物や植物――魔物も。大地や海、世界全体を巡っている大きな霊脈もあって、これは《龍脈》って呼ばれてる」


 魔術のことを話すときだけ、フリスはとても饒舌じょうぜつになる。

 猫みたいな金色の瞳がきらきらして、頬が上気して、顔かたちが変わる訳じゃないのにいつもよりずっとずっと綺麗にキラキラして見える。

 だからランディは、饒舌なときのフリスを見るのが好きだった。


「でも、逆に言うとね? 『生きていないもの』はこの霊脈を持っていないの。厳密に言うと、仮に霊脈があっても『見ることができない』になるのかな。霊脈がない――ない、と言えてしまうくらいに薄くて、観測できない。霊脈が弱いから、その在り方も薄くて弱い」


「………………」


「《人形ドール》は生き物でないもので作っているから、霊脈もない。その代わりになるのが《契法晶》の魔力で、人形はその魔力で機体を動かしているの。でもユイリィちゃんには、全身を走る霊脈があった――彼女にとっての《契法晶》は、《荷運びパペットくん壱号》みたいな『動力源』じゃない。わたし達にとっての『心臓』に相当する機能を持ったもので――」


 ふと。フリスはそこで説明の言葉を切った。


「ランディちゃんは、すり傷や切り傷ができても時間が経ったら治るよね?」


「え? う、うん」


 急に話が変わった。

 訳が分からず目を白黒させながら、フリスの話を止めないためだけに相槌を打つ。


「生き物の傷が治るのは体の作用。でも魔術の領域レイヤーではこれを霊脈の作用、霊脈が体の形を記憶しているからだと定義していて――それは現象としては同じことなんだけど、同じことを物理の領域で解釈するか、多層魔術領域、これも厳密に言うならその中でも、霊脈をその基盤とする構成式系統で解釈するか、という差はあって」


「う、うん」


「ユイリィちゃん、表皮スキンは治るって言っていたでしょう? あれはそういうことなの。生き物でないものを、生き物みたいに作り上げた――わたしのパペットくんとじゃ比べ物にならないよ。技術も、精巧さも……わたしには、あの子の身体がどうやって作られたのかもわからないくらいなの」


「う……うん……」


 ……のぼせてきた。どうしよう。

 もう話を止めてもらってお風呂から上がった方がいいかもしれない。というか、もうお風呂場から出たい。せめて湯船から。


「《機甲人形オートマタ》の知識もね、わたしは少しだけあるんだけど……でも、わたしの知ってる機甲人形はあんな人型じゃなかった。もっと、『人みたいな顔かたちをした鉄の人形』、ブロンズ像や石膏像みたいな姿をしていたの。噂屋さんのお話で《機甲人形》がほんとうに人間みたいな姿をしていたって聞いたときも、きっと話がおおげさになってるんだなあって思ってた。なのに――今はね、あんなに人間みたいな姿をしているんだなって目の当たりにして、驚いてる」


 でも、フリスねえちゃん楽しそうだし。

 なら、もうちょっと聞いててもいいかなぁなんて気も、するし……。


「契法晶もそのまま動力源にしているのとは違う。《解析》の魔術で分かったのはそのことと、あとはあの子に霊脈があること、それがどう作用するかということくらい。密度は荒いけどとても強い霊脈だから、あれなら確かに、放っておいても三日くらいで生体部分は治るだろうな――って」


 ………………………………………。


 ――ふと。

 言葉を切って視線を落とした時。

 フリスは自分の胸の中ですっかりゆで上がって目を回しているランディに、ようやく気がついた。


「ひゃ、ひゃあああ! きゃあああ!? ら、ららランディちゃん、ランディ、ちゃんっ! きゃああああ!?」


 フリスは大慌てで、ランディの体を湯船から引き揚げた。

 それから今にも転んでしまいそうな覚束ない足取りで、外の脱衣所へとまろび出た。



 水を飲ませてもらったりしてどうにか回復したランディは、ひとまず服だけは自分で着て、あとはソファでぐったりと横になっていた。

 魔術で作ってもらった氷を詰めた氷嚢ひょうのうで頭を冷やしながらとろとろしているランディの傍には、涙をいっぱいに溜めて今にも泣きそうなフリスと、ぱたぱたと団扇で仰いで風を送ってくれるユイリィがついていた。


「ご、ごごごごめんね? ほほ、ほんと、に……ごめんね……っ!?」


「ランディちゃん。具合どう?」


「ん-……氷も風もつめたくてきもちいい」


「わた、わわ、わたし……はず、かしい……情け、ない……ぃ」


 ぐすん、としゃくりあげるフリス。

 長い前髪越しに、目元に浮いた涙が今にも溢れそうなのが見て取れた。


「えっと、その……ほら、ぼくもお風呂出たいって言わなかったし。フリスねえちゃん泣かないで。ね?」


「ランディちゃん……」


「にしても珍しいこともあるもんだな。ランディお前、いつもすぐに風呂から出たがるのに」


 ほら、と飲み物――冷やした桃の果汁だ――を注いだ木製のコップを差し出しながら、シオンは言ってくる。

 ランディは体を起こして兄からコップを受け取ると、甘い果汁をゆっくり味わいながら飲んでいく。


「あの、それ、わたしが」


「それは、だって」


 ――フリスねえちゃんが、楽しそうだったから。


「フリスねえちゃんのおはなし、もっと聞きたくって」


「へえ、そんな面白い話だったのか。俺も聞いてみたかったな」


 嘘をついた。

 面白い面白くない以前に、ランディにはフリスが話していたことの半分も意味がわからなかった。

 嘘をついたことに、ちくりと胸を刺すうしろめたさを感じながら――コップの果汁を最後の一滴まで飲み干して、ほぅと大きく息をつく。

 空になったそれをシオンに返して、そこで不意に気づく。


「ユイリィおねえちゃん。服、着替えた?」


「うん」


 ゆったりしていて、裾が足元までくる、就寝用の長衣だった。

 よくわからないが、女のひとが着るもののように見えた。シオンの持ち物ではない。


「それ、もしかしておかあさんのやつ?」


「いや、それはフリスが先月泊まりに来たとき忘れてったやつ」


 シオンはばつが悪そうに苦笑した。

 フリスに向けて、手刀をきって詫びる。


「悪い。洗濯したの返すつもりだったんだけど、こういう状況なんで借りさせてもらった」


「ふえ? ううん。それは、いいけど」


「ぶかぶかだね」


 ランディはぽつりと零す。

 ユイリィは「あはは」とおかしげに笑った。


「フリスの方がユイリィより背が高いし、それに夜着ナイトガウンだからね。大きめに作ってあるんだよ」


「へー」


「でも胸元はほんとにぶかぶか」


「フリスねえちゃん、おっぱいおおきいから」


「わぁ――っ! わ、わあぁ、わあぁぁぁ――――――!」


 悲鳴を上げたフリスは、耳まで真っ赤だった。

 その間、シオンは背を向けてそそくさと退散し、弟とユイリィの会話には聞かなかったふりを決め込んでいた。

 と――


 ――どんどんどん。


 玄関を叩くノックの音が騒がしいリビングを貫いて、夜のしじまを震わせた。


「……こんな時間にお客さん?」


「誰だろ」


 ユイリィとランディが、口々につぶやく。

 フリスがふるふると首を横に振り、「わからない」と示す。


「俺、ちょっと出てくるな」


 シオンはランタンを手にして応対に出る。廊下にはリビングのような照明がないせいだ。

 ソファから飛び降りたランディが素早くその後を追い、さらにユイリィ――最後にフリスがあわあわと、リビングから廊下に出る。

 全員が出てきたときには、シオンは既に玄関の扉を開けて応対に出ていた。


「ファリダンさん……こんな夜分に、どうされたんですか」


 来訪の相手は、髭面の、逞しい中年男性だった。

 丸太みたいに逞しい腕と岩みたいに広くて大きな肩をしたそのひとは、ランディの知っている大人だった。


 リテークのお父さんだ。リテークみたいにマフラーを巻いてはいないが、代わりにもじゃもじゃの髭が口元を隠している。

 無口で怖そうな顔をしているけれど、おもちゃの鳥笛や木剣の作り方を教えてくれる優しいお父さんだ。

 その、友達のお父さんは、豊かな髭をもごもごとうごめかせて、ボソリと言った。


「町長の使いで来た。急ぎで相談したいことがあるらしい」


「この時間にですか……?」


 明日ではいけないのか――言外に抗議するシオンに、男はゆっくりと首を横に振った。


「町の主だった男衆も集めている。きみの知恵と経験を借りたいそうだ」


「……知恵と経験、ですか。分かりました、そういうことなら」


「あ、あの」


 おっかなびっくりの震える声で、フリスが呼び掛けた。

 男はそちらを見て、途端に眉間へしわを寄せた。

 夜着姿でまだ髪も乾ききっていない、見るからに湯上りといったフリスの姿を見てしまったせいだ。


「わ、た。わたし、も……行った方、が……?」


「いや……」


 男はとっさに否定しかけ、だが言葉を濁して考え込んだ。


「来てもらえるなら、その方がありがたい」


「……フリス」


「へい、き。だから。行くよ、わたし。も」


 ぎこちなく笑いながら、一生懸命訴えるフリスを前に、シオンは口の端を歪めて途方に暮れたような顔をしていたが。

 やがて深く溜息をついて、男を見た。


「着替えと支度の時間をください。あと、一体どちらへ伺えば?」


「町長の家だ。案内する――すまない、助かる」


「いえ……」


 シオンは家の奥へ戻ろうとして、ふとランディを見下ろした。

 済まなげな、悔いるような表情をその面に浮かべて、微かに唇を噛む。


「ごめんなランディ。今からフリスと出てくるけど」


「うん。いってらっしゃい」


 本心を言えば――もうあとはみんなで眠るだけだったところに水を差されたみたいで、それまであたたかかった胸の中が急に冷えこんでしまったみたいに、がっかりしていたけれど。

 けど、それを言ってもシオンやリテークのお父さんを困らせるだけなのはわかっていた。だからその本心は、胸の奥に厳重にしまっておくことにする。


「ちゃんと留守番できるから。シオンにいちゃん、フリスねえちゃんも、がんばってきてね」


「……ああ」


 力なく、頷くシオン。

 そのとき、「それじゃあ」と口を挟む声があった。


「あとのことは、このユイリィにおまかせだね」


 きょとんとした、訳が分からないと言った視線が、ユイリィの一身に集中する。

 その視線に微塵も怯むことなく、ユイリィは力強く胸を張る。


「今夜、不意の所用でシオンとフリスがいない間――ランディちゃんのことは、このユイリィが引きうけたよ!」


 どん、と薄い胸を拳で叩いて。

 ユイリィは力強く請け負った。


「お姉ちゃんだからね!!」


 そう、請け負った。

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