10.ひとりでさびしい夜だって、《お姉ちゃん》がいっしょです・③


 肉団子のシチューはたまらないごちそうだった。

 おいしい肉団子にほくほくのじゃがいも、甘くやわらかくなったニンジン。

 嫌いな玉ねぎもちゃんと食べられた。口の中でとろけるみたいだった。


「……フリスねえちゃんが作ってくれるんだったら、たまねぎも食べられるかも」


「おー、それはよかった。フリス、またシチューに玉ねぎ入れてやってくれ。今度は今日の十倍くらいたっぷりさ」


「え。ええ……? シオンくん、それは……そ、その」


「ユイリィおねえちゃん! 肉だんごおいしいよね!!」


 うっかり余計なことを口走ったと気づき、急ぎ話題の転換にかかる。

 副菜に供されたトマトを口にしていたユイリィは、スプーンを手に取ってシチューを一口し、


「うん。お肉がたっぷりしてるね」


「でしょ? おいしいよね! 肉団子たっぷりがいいよねー!」


 シチューの皿をからにして、ついでにおかわりまでして。

 食後のプディングもしっかり平らげたランディは、おもたくなったお腹を抱えてソファで横になっていた。


「おいしかったー。ごちそうさまぁー」


「お、おそまつ……さま、でした。へへ」


 食器の片付けも終わり、食後に薬草茶を啜っていたフリスは、ランディの言葉にへにゃりとはにかんだ笑みを返す。

 魔女の帽子とケープも脱いで、穏やかにくつろいでいた。


「ランディ。フリス」


 外に出ていたシオンが、部屋に戻ってきた。


「風呂沸かしてきたから、二人とも冷める前に入っちゃってくれ」


「え。わ、わたし、も?」


 顔を赤くして、きょどきょどするフリス。シオンは頷き、


「もう遅いし今日は泊まっていきな。風呂入ってる間に、客間のベッド用意しとくからさ」


「ぼくもうこのまま寝るぅー」


「おう、いいぞー。でも風呂入って歯を磨いてからなー」


「ええー……?」


 ランディはめいっぱいの渋面で唸る。


「にいちゃん、おかしなことゆってない?」


「そうかぁ? 別になんにもおかしくないぞゥ?」


「いいでしょー? 今日はもうべつにさぁー」


 シオンは頭がよくてランディの知らないこともいっぱい知っているのに、時々こうして理屈に合わないことを言う。しかもそういう時に限って、ぜったいに自分の意見を譲らない。

 ランディはふてくされた。お風呂はめんどうくさい。歯を磨くのも。

 おなかもいっぱいだし眠いし今日はいろいろあったし、ぜんぶ明日でいいじゃないかと思う。


「ら、ランディちゃん。ね、いっしょ……はいろ? おふろ。気持ちいいよ……?」


 おずおずと、フリスが言ってくる。


 ……これには、少し困った。

 フリスが相手だと、ちょっとごねにくい。というか、フリスはお姉さんなのに気が小さくておどおどしているので、あんまりつっぱねて困らせたくない。泣かせてしまいそうだから。

 ちら、とフリスを伺う。

 長い前髪に隠れた金色の瞳は既にちょっと潤みかけているみたいで、いっそうごねるのが気まずくなった。


「お、おはなし! 冒険のおはなし、して……あ、あげる、から。ね?」


「……わかった。入る」


 不承不承の体で頷くと、フリスの表情が目に見えて輝いた。


「ほんと、に? よかっ、たぁ」


「ん……」


 なんだか胸の内側がぞわぞわして落ち着かなくなり、ランディはぷいとそっぽを向く。


「助かるよ。こいつ、俺が言ってきかないことでも、フリスが言うなら聞くんだから」


「べつにフリスねえちゃんだからじゃないし」


「はいはい。そういうことにしておこうかね」


 ひらひらと雑に手を振りながら、シオンは肩を震わせて笑っている。

 女の子相手だからほだされたと思われているようで、とても不本意だった。


「はいはい! はい!」


 その時、ユイリィがびしりと手を上げた。


「ユイリィも、ランディちゃんといっしょにお風呂入ります!」


「え。ユイリィおねえちゃんも?」


「うん。にぎやかな方がお風呂も楽しいでしょ?」


「それは……」


 一理ある。だが、


「いや、あなたはやめておいた方がいいんじゃないかな。その腕――」


 高々と突き上げた右腕を指差して、シオンが控えめに言う。


「俺は《人形》のことは詳しくないけど、金物に水気はよくないだろ? 特にそういう複雑な感じの機械はそうだって、前に聞いたことあるんだが」


「フレームの防水はカンペキ! いけるよ!」


 ユイリィは拳を固め、力強く主張する。


「言ったでしょ? ユイリィにはランディちゃんマスターの養育・護衛・教育・その他のため! すべてを担う準備と性能があることを約束します!!」


「確かにそんなこと言ってたけど、それってそういう話だったのか……?」


 シオンは渋い面持ちで唸る。

 実のところ、この時の彼はユイリィ相手にあまり強く出られなくなっていた。何せ彼女には、昼間にランディや従妹のラフィ、その友人たちを助けてもらったという恩がある。

 顛末てんまつ自体は呆気ないものだったが、もし彼女がいてくれなかったと思うと――その結果は、想像するのもおぞましい。

 そうした大恩がある手前、シオンはその恩人である彼女に対して、あまり突っぱねるようなことを言いたくはなかった。


 なかったのだ、が――


「……いや、やっぱりやめといた方がいいよ。俺達だって怪我してる時は入浴を控えるし」


「だめ?」


 なおも粘るユイリィに、シオンは困りきった顔で唸る。


「……そもそも、うちの湯船に三人はな。一緒に入るのは無理だと思うんだ」


「そう? わかった、じゃあいいや」


 ユイリィはあっさりと引いた。

 さすがに申し訳なくなってか、シオンは控えめに提案する。


「もしあなたが体や髪を洗いたいなら、タオルで体を拭くくらいなら。湯は準備するから」


「体を拭くのに、そこまでこだわりはないんだけど」


 ユイリィは首をねじって、自分の体を見回す。

 それから、周りを――シオンと、ランディやフリスを見渡した。


「でも、人といるなら身ぎれいなほうがいいものね。お願いしていいですか?」


「分かった。少し待っててくれ」


「シオン、くん。わたし、お、お風呂、行く……ね」


 主張をひっこめたユイリィとシオンが話をしている間に、ランディは風呂場へ連行されようとしていた。

 フリスに背中を押されて風呂場に向かうランディに気づき、シオンは「ああ」と口の端を緩めた。


「髪洗い粉、風呂場にあるのは残り少ないから脱衣所の新しいやつ開けて使ってくれ。頼むな」


「う、ん……うんっ」


 正直に言えば――フリスの手前仕方なく折れただけなので、ランディは内心まだ不満たっぷりだった。

 お風呂はあんまり好きじゃない。

 あったまるまでつかってなきゃだめだと言われてお湯の中でじっとしてなきゃいけないし、髪洗い粉は目に入ると染みて痛いし、それにフリスは髪が長いから洗うのに時間がかかるし――そうすると狭いお風呂場に長くいなきゃいけなくて、暑いし喉はかわくしやることがなくて退屈だしでいいことがひとつもない。

 フリスは冒険のお話をしてくれると言ったけど、それを差し引いてもまったく割に合わない。


(いいなぁユイリィおねえちゃん。お風呂入らないでいいの……)


 正直な気持ちを口にすれば、それがすべてだったが。

 今更そんなことをぼやいて駄々をこねてもフリスをしょんぼりさせるだけだ、ということはさすがに察していたので、ランディはぐっとお腹に力を入れて、うっかり本音をぶちまけたくなる衝動をこらえたのだった。



 せまい浴室には、湯船から立ち上る湯気のもたらす暖かく湿った空気が満ちていて、その空気が湿気の分だけ重たく喉に絡みついてくる。いつもいつも思うのだけど、やっぱりお風呂場は居心地が悪い。

 格子つきの窓を開けられたら空気がすっきり入れ替わっていいのになと思うのだが、シオンはお風呂が早く冷めるからとあまりいい顔をしない。それに今日みたいにフリスが一緒に入っているときだと、ぜったいに開けさせてもらえない。

 フリスは別にそのことで何か言ったりはしないが、ランディが窓を開けたいとお願いするとやはりちょっとだけ困ったみたいな顔をするし、シオンに知られると――たとえ、怒られなかったとしても――ものすごく渋い顔をされるので、どのみち窓は開けづらかった。


「ランディちゃん。あの、背中……」


 石鹸をたっぷり擦りつけたタオルで体を洗っていると、長い髪を洗い終わったフリスがかぼそい声をかけてきた。


「背中っ。あ、洗っ、たげる。ね?」


「あ、うん。ありがとフリスねえちゃん」


 タオル越しに、フリスの手がランディの背中に触れて、ゆっくりゆっくり、肌を撫でる。

 ランディからするとびっくりするくらい力が入ってなくてくすぐったいくらいなのだけど、シオンの言うところによると「女の子っていうのはそういうもの」らしい。

 ユイリィも右手のことで似たようなことを言っていたし、ラフィやエイミーは言うに及ばず。女の子というのは、なにかとめんどうくさいものらしい。


 子供のぼくよりも力がないなんて、フリスねえちゃんは毎日いろいろ大変なんだろうな――と、心から同情してしまうランディだった。なにせ、ラフィやエイミーだって女の子だけど、フリスに比べたらまだ力があるんじゃないかと思ってしまうくらいなのだ。

 フリスは夕飯を作ってきてくれるときいつも《荷運びパペットくん壱号》に鍋を運ばせているけど、あれもフリスが大人の女の子でへなちょこだから、シチューがたっぷり入ったお鍋なんて重くて運べないからなんだろうな――と勝手に想像して、フリスのへなちょこお姉ちゃんぶりにしみじみ同情していた。


「あ……か、髪も、洗ったげる」


「目、しみたりしない?」


「慎重、にっ。やりますっ……!」


「……おねがいします」


 断るのは気が引けた。緊張で強張った声にかえって不安をあおられながら、ぎゅっと目をつむって待つ。


 髪洗い粉をまぶした髪の間を、フリスの指が梳くように洗いはじめる。


「かゆいとこ、ある?」


「ううん、ない。ちょっとくすぐったいけど」


「ぁう……く、くすぐったいのはね、がまん……して……?」


 力がなくてくすぐったいばかりみたいな洗い方だけど、でも髪を洗ってもらうときは細い指先がやさしく触れてくれる感じが気持ちいい――かな、と思わないこともない。

 きらいなことばかりのお風呂だけど、フリスの指はそんな中で数少ないきらいじゃないものだった。


「流す。ね?」


「はぁい」


 目を瞑って口を閉じたランディの頭上から――ざばぁ、と滝みたいに水が降り注ぐ。

 少し間を開けて、二度、三度。

 四度目の水音が耳元を滑り落ちてから、フリスがタオルで顔を拭って、水気を取ってくれた。


「うん……きれいに、なった」


「じゃあ、今度はぼくがフリスねえちゃんの背中流したげる」


「そう? じゃ、おねがい。ね?」


 はにかむみたいに少しだけ口の端を緩めて言うと、フリスはランディへ背中を向けた。

 フリスの背中は白くてふにっとしてて、肩も腰もまるっこい。少なくとも、シオンの背中を流してあげる時に見えるそれとは、まるで違う輪郭をしている。


(やさしく。やさしく)


 いつだったかにはじめて背中を流してあげたときは、力いっぱいこすったせいで、フリスは後で背中がひりひりしてしまったらしい。

 以来、ランディの家のお風呂ではヘチマのたわしの代わりにタオルで体を洗うようになったし、ランディ自身も失敗を踏まえて深く反省した。

 フリスが、ランディにしてくれるみたいに。へにょへにょな感じを意識して、指で背中を撫でるような感覚で石鹸が泡立つタオルを滑らせる。


「――きゃ、っ!?」

 

 途端。

 か細くて、甲高い悲鳴が上がった。

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