09.ひとりでさびしい夜だって、《お姉ちゃん》がいっしょです・②


 護送中に脱走した危険な魔物――《双頭蛇竜アンフィスバエナ》は、《機甲人形オートマタ》の少女ユイリィによって倒された。

 最大の懸念だったランディとその友達も無事保護し、森の外まで安全に連れ出すことができた。


 幸運なことに、町の住人で森に入っていたのは、五人の子供たちだけだった。

 春も盛りの今時分は薬草採りや狩人が森の奥まで踏み入れてそれぞれの収穫を競いあう、いわば書き入れ時であり、そうした中に運悪く魔物と出くわす者が出る可能性は決して低くはなかったのだが――今回は、コートフェルで朝市が開かれていたのが幸いした格好だった。


 不幸中の幸いと言うべきか、今日は薬草採りも狩人も、揃って自慢の売り物を市場で捌くのに忙しくしており、店を畳んで町から戻るのがそろそろ遅めの昼時という頃合いだった。

 そのため午後からまた仕事に出るつもりだった働きものでさえ、第一報の伝令が走った時点ではまだ家に留まっていたのだ。


 かくして護衛の冒険者と馬を惨殺して森に逃げ込んだアンフィスバエナは、それ以上の犠牲を一人として出すことなく討伐された。

 ただ、問題はまだあった。

 魔物の討伐に伴う事後処理――より具体的には、町長のクローレンス氏とその招集を受けて集まった町の警衛に、アンフィスバエナ討伐に至るまでの経緯を、さらに言えばユイリィの存在を、どう説明するか、という問題である。


 シオンは、アンフィスバエナの討伐と子供たちの保護をユイリィが行った事だけ説明し、彼女自身に関しては『両親の知人の娘』とだけ伝えてそれ以上の言及を避け、子供達と一緒に先に帰らせた。

 大陸製の《人形》である《機甲人形オートマタ》のことなど、諸国を遊歴する冒険者でもなければよほどの事情通以外は知るよしもない。彼女の正体や事の次第をつまびらかに話して伝えたところで、ただでさえ森に逃げ込んだ魔物の一件であわただしい状況に余計な混乱を投げ入れるばかりということにもなりかねなかった。


 唯一、シオンにとって無二の友人であるフリスにだけは、概略だけだが事情を耳打ちした。

 アンフィスバエナの腐食毒に腕の表皮を溶かされたユイリィの、『診察』を頼むためだ。

 そして、今に至る。



「だからぁ、ユイリィはほんとにだいじょうぶなんだって」


 食卓の椅子に行儀悪く胡坐をかいて座ったユイリィは、たいへん不服そうだった。

 リビングと一体化した食堂は、夜であるにも関わらず明るい。魔光灯――魔術の光を放つ灯火だ――が白々と灯って、室内を明るく照らしている。


「フレームは無傷だし、フレームと疑似霊脈が無事なら溶けちゃった生体外皮スキン自動調律オートメンテナンスで再生するんだって……どうしてわかってくれないかなぁー」


 表皮が溶けた腕の下。

 鈍く輝く鋼の腕を振って、指をぐっぱっと閉じたり開いたりしてみせながら、ユイリィは自身の万全を訴えていた。

 手甲ガントレットを思わせる鋼板の内側で、ポンプやパイプを組み合わせたような機械がしょがしょと音を立てて忙しなく稼働する。

 その光景がたまらなくかっこよくて、ランディはいつまでだってその様を見ていられそうだった。一度なんかうっかり触ろうと手を伸ばしかけて、シオンに怒られたりもした。


「そのうち治る怪我だって、ものによっては医者に見せるくらいする。それと同じだよ。あなたにとってその状態がどうだろうと、うちにいる以上はうちの家風に従ってもらう」


「うー」


 じとっとした上目遣いで、不服げにシオンを――ついでにその隣も睨み上げる。

 ユイリィからの批難を浴びる格好となって、フリスはシオンの背中に隠れるようにおどおどと体を縮めた。


「わわ、私も機械は、専門じゃ、ない……から。おかしなところがないか、あの、《解析スキャン》だけ……でも、って」


「それが困るんだけど」


「あ、あうぅ」


 そんなやり取りを傍からじっと見ているうちに、ランディの中でふと閃くものがあった。


「もしかして、ユイリィおねえちゃんもお医者さん嫌い?」


 ランディはお医者さんが嫌いだ。喉の奥に金属のへらみたいなのを突っ込まれたり、注射されたりするから。

 なので仲間ができたみたいで内心ちょっと嬉しかったのだが、対するユイリィの反応は鈍かった。


「嫌い――じゃ、ないけど。でも、おじーちゃん以外に診られるのはちょっと……」


 ユイリィは渋い顔で、ランディとシオン、それからフリスを見遣り、睫の長い目を眇める。

 やがてひとつ大きなため息をつくと、踏ん切りをつけるように表情を切り替えた。


「……わかった。《附術工芸品アーティファクト》に精通した《魔女》のフリスは、ユイリィの体を解析してもその技術を盗んで使ったりしない。魔女の信義にかけて――そう、信用する。それでいい?」


「えっ!?」


 フリスと、それからシオンが、揃って驚きを露にする。

 ランディは疑問符を浮かべて首を傾げる。二人が何に驚いているのかよく分からなかったせいだ。


「ど、どど、どうして、私が、まじょ――」


「《棺》の中で自動調律に専念してた三年間も、周辺の観測は継続してた。だからフリスのことも概略くらいは把握してる。ちゃんとは知らないこともたくさんあると思うけど」


 動揺しきったフリスの問いを先取りして答え、ユイリィは続ける。


「ユイリィの機体フレームはおじーちゃんの技術で作ったもの。その技術、そのすべてが他の技術者へ公開されていいものか、ユイリィ・クォーツには判断できない。だからおじーちゃんマエストロ以外の工芸士には、許可なくユイリィの体を診られたくない――んだけど」


 そこでふと表情を緩めて、ユイリィはランディを一瞥した。


「ユイリィ・クォーツは機体の解析制限、それに対する是非を設定されていない。今からおじーちゃんの許可を得るのも現実的じゃない……だから、仕方ない」


「診察はしていいんだな?」


「いいよ。ユイリィはランディちゃんのおねえちゃんだから、気が進まない診察もガマンする」


「えぇ……」


「そう言ってもらえるとありがたいよ。姉妹と認めた覚えはないけどな」


「シオンはいちいちこまかいね」


 仲間がいなくなった。ランディはがっかりと肩を落とす。

 一方、フリスは許可を得られたことにほっとして、豊かな胸をなでおろしていた。


「じゃあ……えと、解析」


「うん。あ、場所を変えた方がいい?」


「うう、ん。そのままで。ここで、へいき」


 胡坐をかいたまま椅子に座るユイリィと向かい合うように立ち、フリスは息を整える。

 それまでおどおどおろおろしていた頼りなげなフリスの様子が、ただそれだけで一変した。


「――異界の目を此処に・原初の叡智が記すひとつ。天秤の右腕に我は在り。左腕にはたかきもの・遍く過去・遥か広大を識り・深き微細を見通す智神ヴォーダインの左目在り。魔女なる我が黄金のまなこ・即ちその叡智に連なり・写本へ変わる手形を有す」


 両手をかざし、掌相しょうそうを象る。

 呪文ルーンによって描かれ、魔術式を構成する――輝く魔法陣が、フリスの前に展開する。


「転変を許し給え・叡智の左目――《世界視の瞳》よ・れ。不可視の異相を顕現けんげんし・このまなこのうちへと広げ給え」


 長い前髪の下で、ネコみたいな金色の瞳が輝く。

 唇を引き結んだ、真剣そのものの横顔。

 フリスはいっつもおどおどしてて頼りなさそうで、自分やシオンがちゃんと護ってあげなきゃいけないな――なんて思うのだけど、でも、魔法を使う時だけはとても凛々しくて頼もしくて、かっこいいお姉さんなのだ。


 じっと座ったまま微動だにしないユイリィを前に、どれほどそうしていただろう。

 フリスは不意に目を閉じ、魔術を解いた。

 途端、魔法陣が霧散し、張り詰めていた空気が一気に緩む。


「ふぅ――」


 大きな胸を揺らして、深く息をつく。


「フリス、どうだった?」


「うん……」


 訊ねるシオンに――金色の瞳を前髪で隠しなおしながら――フリスは頷く。上気した頬を手のひらで撫で、独り言ちるように続ける。

 熱に浮かされたように朱を散らしたその横顔に、ランディはどきりとした。


「すご、かった……《人形》なのに、まるで生き物みたいに、霊脈が通って……密度は足りないかもだけど、でも強力な霊脈だった。機械のことはわからないから、機体の仕組みはほとんどわからなかった、けど、でも契法晶の圧縮がとても高くて、それに」


「《人形》としての基本は、あなたの《自動人形パペット》とそんなに変わらないよ。でも、疑似霊脈構成と契法晶連携基が見て取れたのなら、ユイリィのことはだいたいわかったでしょう?」


「うん……どうかなぁ、うん……」


「どういうことだ?」


 シオンに促され、フリスは続ける。


「わたしじゃ、この子には手が出せないってこと。……でも、この子の言うことは本当。人に似せて作った肌の部分は、生き物のそれと同じに……たぶん普通の生き物よりずっと早く、放っておいても治癒する――と、思う。そういう構造つくりをしてた」


「ほらね?」


 ふふんと鼻を鳴らして、得意げなユイリィ。

 そうなんだ――と感心しながらユイリィを見ていて、ランディはふと気づいた。


「ほんとだ、治ってる」


「ん?」


「顔のとこ。ユイリィおねえちゃん治ってる」


 ランディが指差す先を見て、シオンも唸る。

 腐食の毒が飛び散って、切り傷のようになっていた頬。その傷が、いつの間にか消えている。


「私にできるのは、治癒と再生を早めることくらい……か、な。たぶん……」


 熱が引くに従って、だんだんいつものおどおどしたフリスが戻ってきた。


「《魔女の膏薬》だよね? 早く治るのはユイリィも嬉しいけど、それは《人形》でも効くものなの?」


「ああうぅ。その、人形の破損をね、治せるお薬も……ある……ある、から。あと、えと、たぶん……あなたには、よく効く。とくべつ」


「そうなんだぁ」


 明るい声で相槌を打ってから、ユイリィはくるりとランディへ振り返った。


「どう? 最新型のおねえちゃんはすごいんだよ!!」


「? よくわかんないけど、たぶんわかった!」


 ぐっ、と力強く拳を固めて、ユイリィの自慢に応じるランディ。

 シオンはぴしゃりとてのひらで顔を覆い、頭の悪いやりとりを堪えていたが――やがて何かを諦めるようにして、表情を切り替えた。


「……診察がこれで終わりなら、夕飯にしようか。ランディもフリスもお腹すいたろ」


 先にカラメルつきのプディングを食べさせてもらっていたせいか、それまでちっとも意識にのぼらなかったが――言われてみれば確かに、もうおなかはぺこぺこだった。

 魔物の討伐した後のお仕事――検分、とかどうとか――でいつもより来るのが遅くなったフリスを待っていたので、夕食の時間自体いつもよりだいぶん遅くなっている。

 シオンは《荷運びパペットくん壱号》からシチューの鍋とパンがたっぷりの籠を受け取り、台所へ向かう。


「あの、シオンくん。わたし、わたし、やる。あっためるの」


「そうか? じゃあ俺はその間につけあわせとか準備するよ。頼むな」


「ぅ、うん。うんっ……!」


 感謝するシオンに、フリスは真っ赤な顔で何度もうなずく。

 二人が台所へ行ってしまうと、ランディは急に手持無沙汰になってしまう。

 そうなると自然、興味が向かうのはユイリィの腕――鋼鉄の右腕だった。


「? ランディちゃん、どうかした?」


「ユイリィおねえちゃんの手、さわってもいい?」


「いいよ、どうぞ」


 差し出される右腕をためつすがめつして。ランディはぺたぺたと、手甲のようになった鋼の曲線を撫でる。


「触りたかったの?」


「うん。これかっこいいね、ユイリィおねえちゃんの腕」


「ふふ」


 ユイリィは頬を緩ませてそれを見ていたが、ランディがフレームの穴から内部の機甲に指を伸ばそうとすると、「めっ」と窘めて腕をひっこめた。


「外は触っていいけど、中はだめだよ」


「どうして?」


 不思議がるランディに、ユイリィは、


女性型おんなのこにそういうことするの、失礼だからだよ」


「ふーん」


 ――そういうものなんだ。


 ウインクしながら冗談めかすユイリィをまじまじ見上げて、ランディは思った。


 「うっかり指を挟んだりしたら痛くて危ないからだよ」という本当の理由を敢えて語らなかったのは、ランディに『子供扱い』を感じさせないよう振る舞った、ユイリィなりの心配りゆえだった。

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