08.ひとりでさびしい夜だって、《お姉ちゃん》がいっしょです・①


 彼女が町長からの使いに呼ばれて大森林の入り口まで駆けつけたとき、役場の人達や町の腕自慢が集まっていたその森の入り口――人垣の先頭には、この町の町長と向かい合っている彼がいた。

 彼――シオンや周りの男達の表情から、事態が何事もなく収拾されたのだと分かる。豊かな胸をほっとなでおろしたとき、彼らがこちらの存在に気づいて振り返った。

 その動きにつられる形で、がたいのいい力自慢の男達の視線が一身に集まってしまい、彼女は驚きと緊張で「ひっ」と悲鳴を上げそうになった。


「シオン、くんっ」


 半ば反射でうっすら浮いてしまった涙を拭いながら人垣を迂回し、親しい顔へと駆け寄る。


「あ、の……ぁああ、あの、っ……ま、魔物っ、て……」


 肩で息をしながら、かすれる声で問いかけを絞り出す。

 元々体力がある方でもない彼女は、ここまで走ってくるだけでも完全に息が上がってしまっていた。


「ああ、そっちはもう片がついた。ランディ達も無事に見つかったよ」


「そ、そぅ……なんだ」


 ――よかった。

 やはり、魔物はもう倒されたらしい。自分の魔術や知識が必要となる事態が起きなかったことに、あらためて安堵の息をつく。


「あとは死体の確認――それと後始末だけなんだ。急がせてすまなかった」


「う、ううん、そんなこと」


 ない。と、最後まで言い切ることはできなかった。

 シオンが声を低め、彼女の耳元へ顔を寄せてきたせいだ。

 彼の息遣いが耳にかかって、さっきとは別の理由で心臓が大きく跳ねる。


「え? え、っ!?」


「ちょっと、相談に乗ってほしいことがある。一人、なんていうか、怪我人みたいなのがいて」


「え……え!?」


「いや、大事だいじないのは保証する。ただ、俺じゃ手が出せなくて……ここの後始末が終わった後でいいんで、あらためてうちに来てもらってもいいかな?」


「う、ん。うん。行く……っ、うん」


 もともと、今日は彼の家を訪ねる予定もあった。訪ねる理由がひとつ増えるだけだ。

 だから大丈夫だと、そう言いたかったのだが――実際には今にも窒息してしまいそうなくらい引きつった喉を震わせて、「行く」と伝えるのが精一杯だった。

 耳元でシオンがほっと息をつき、「ありがとう」と礼を言って彼女から顔を離した。


「――では、これから魔物の死骸がある場所までご案内します。死骸の確認と後始末、申し訳ありませんがご協力を願います」


 シオンは町長たちに向かって言い、一同の先頭に立って森へと向かう。

 どきどきと早鐘を打つ心臓をなだめるように大きく深呼吸して。ぞろぞろと歩き出す一同の最後尾で、男たちの集団からこころもち距離を取って。

 彼女――薬師のフリス・ホーエンペルタは、先を行くシオンの、彼女にとっては幼馴染と呼ぶべき青年の背中を、てほてほと頼りない足取りで追いはじめた。



 陽が西の地平線へ落ちると、トスカの町は急速に夜のとばりがかかりはじめる。

 魔術光の街灯が夜通し灯るコートフェルの市内と異なり、郊外のちいさな町で夜を照らすのは家々のガラス窓からこぼれる暮らしの灯りのみ。月明りがない夜ともなれば、ランタンなしには砂利道を歩く足下さえおぼつかない。

 そんな夜が迫るトスカの大通りを、フリスは歩いていた。


 冬の空色をした髪と、縁取りを銀糸の刺繍で飾った濃紺の肩掛けケープを揺らしながら。南洋の果実みたいに大きく実った胸元にバスケットいっぱいのパンを抱え、裾が地面につきそうな長いスカートを上機嫌な足取りで躍らせている。

 綺麗なアーモンド型をした、どこか猫を思わせる瞳孔をした金色の双眸は、長く伸びた前髪に隠れてほとんど見えない。

 やもすれば野暮やぼったく感ぜられるほどに伸びた前髪と濃紺の三角帽子で目元を隠した娘の表情を伺わせるものは、ほっそりした逆卵形の輪郭が縁取る白い頬と、淡く潤んだ桜色の唇くらいしかない。


 ――魔女。


 フリスのいでたちは、おとぎ話や絵本に出てくる魔女のそれを思わせる。彼女の半分ほどの背丈しかない石人形を供に従えているのも、その印象を強くする。

 実際、似たようなものではあった。紛れもなく彼女は『魔女』だ。魔術師であり、この町で唯一の薬師でもある。

 魔術師で、薬師。ありふれた道具に対し様々な魔術効果を付与する《附術工芸品アーティファクト》の技術も、ひととおり修めている。


 そうした来歴だけ見れば一流の名に恥じない立派な魔術師である彼女だが、にもかかわらず、傍から見るとどうにも頼りない印象ばかりが先に立つ、そんな娘でもあった。

 それは、極度の上がり症と引っこみ思案――その内気な性格のために、人との会話がろくろくできないせいであっただろう。


 ――ともあれ。

 敷布に包んだ鍋を抱えた石人形、その名も《荷運びパペットくん壱号》を後に従えて、フリスは一軒の家の前に立った。

 弾む胸に一呼吸入れて鼓動を鎮め、玄関の扉を三回ノックする。

 ばたばたばたと賑やかな足音が近づいてきて、ばぁんと勢いよく扉が開いた。


「フリスねえちゃん、いらっしゃい!」


「わ。えと……こ、こんばん、は……ランディちゃん」


 へにゃ、と口元を緩めて――フリスは気弱に、ほのかな笑みを広げた。パンの詰まったバスケットを石人形の従者に預け、迎えに出てきてくれた男の子をぎゅっと胸の中に抱きしめる。

 ひゃあ、と耳元で甲高い歓声が上がるのが、たまらなくくすぐったい。


「フリスねえちゃん、今日のお夕飯なーに?」


「えっと、ね。肉団子いっぱいのシチュー……」


「やった!」


「ほくほくのじゃがいもと、あまいニンジンも、いっぱい……」


「きゅうりは入ってない?」


「い、入れて、ないよ」


 よし、と抑えた歓声。


「あ。でも、たまねぎ……たま、ねぎ、ちょっと入ってる。ちょっとだけ」


「……………………」


 表情はうかがえなかったが、ランディが露骨にげんなりしたのが消沈の気配だけでそうと伝わる。


「あ、あああ甘くなるまで、ね!? たくさん、たくさん煮込んだ、から。きっとね、たまねぎも……きっと、おいしい。よ?」


「……がんばる」


 フリスにとって唯一『友達』と呼べる、たいせつな幼馴染――そんなシオンの弟であるランディは、肉団子と甘く煮たニンジンが大好きで、ネギとキュウリが嫌いだ。

 人懐っこく慕ってくれるちいさな男の子の、ふわふわ上下する元気の度合いはいつだって微笑ましく、見ているとフリスの気持ちまで暖かく元気になる。


「あの……シオンくん、いる? かな? よね?」


「いるよ! シオンにいちゃーん、フリスねえちゃん来たー!」


 奥に向かって大声で呼びかける。「ああ」と返事があったのに続いて、廊下の奥から彼が姿を見せた。

 ひくっ、としゃっくりみたいに喉が詰まって、顔がじわじわ熱を帯びてゆく。


「こ、こここ、こんばんは――シオン、くん」


「いらっしゃい、フリス。いつも悪いな」


 あたふたと立ち上がったフリスに、シオンは詫びるような謝意を含んで微笑んだ。

 フリスは真っ赤になりながら、ぷるぷると首を横に振る。


「ううん、べべべべつに。べつに……お料理、ひとりぶんもさんにんにん……さんにん、ぶんも、変わらない。し」


「夕飯こっちで一緒に食べてくよな? 食後のプディング作ったんだ。カラメルかけるやつ」


「すっ…………ごく、おいしいやつだよ! 今は裏の井戸で冷やしてるの」


「えっ?」


 きょとんと眼を瞬かせるフリス。

 シオンが溜息をついて、弟のつむじを軽く小突いた。


「この食いしん坊な、俺が作ってるとこをじ―――――っと見てんの。もう一人のおまけと一緒に。あんまり鬱陶しかったから、小さく小分けにしたやつ先に食べさせてやったんだ」


「あまくって最高だった! フリスねえちゃんにはいちばんおっきいのあげるね!」


「うん……あり、がと。食べてく……」


「そか。よかった」


 心から嬉しそうに、屈託なく微笑むシオンを、まっすぐ見ていられない。

 ――長い髪は便利だ。つば広の三角帽子はとても頼もしい。

 泳いでしまう視線も。熱を帯びる頬も。赤くなった耳たぶも。みんなみんな隠してくれるから。


「あ、そだ……シオン、くん。さっきの」


「ああ」


 たどたどしく言うフリスの意を察し、シオンは一転して真面目な顔で首肯する。

 フリスに相談したいことがあると、彼はこっそり耳打ちしてきた。


「時間なかったから、あの時は詳しく話せなかったけど――うちに《機甲人形オートマタ》がいる。経緯いきさつは、これも話すと少し長い話になるんだが」


「ケガしてる……ん、だよね。なら、診るよ。診る。わたし」


「助かる。さすがに機械やら《人形》やらが相手だと、俺じゃ手が出せないから」


「うん。まかせて……がんば、る」


 ――正直に言えば、フリスも機械は専門外だ。

 《附与魔術》の一環、その対象としての人形制作には心得もあるが、手がけたうちで最も精巧なものは球体関節式の着せ替え人形ビスクドール。それとて仕上がりは専門の人形師とでは比べるべくもないし、精密機械で動く機械人形の類に至っては、手がけたことすら一度もない。


 たが、相手は《機甲人形オートマタ》。魔術構成によって稼働する自動人形の一種だ。

 《附術工芸品アーティファクト》の一種と考えればフリスの守備範囲に入るし、ましてお供の《荷運びパペットくん壱号》と同根の存在であることを思えば、自分が診てわかることだってあるだろう。


 頼られているんだ。


 なら、頑張りたい。頑張ろう。


「フリスねえちゃん、ユイリィおねえちゃんのことみてくれるの?」


「うん……その子、えと、ユイリィさん? って、どこ?」


「こっち!」


 子犬みたいに俊敏に駆けだして、ランディは奥の部屋に走っていってしまう。

 食堂と一体化したリビングのある方だ。


「とにかく上がってくれ。今日はいろいろバタバタして、ほんとに申し訳ないんだけど」


「ううん。へいき。お、お邪魔しま、す……ね」


 おずおずと踏み込んで、後ろ手に玄関の扉を閉める。

 そんなフリスに、シオンが小さく笑った。


「どうぞ、おあがりなさい――って、なんかフリスっていつまで経っても慣れないのな。うちに来るの」


「ん……そ、かな? かも」


 もごもごと、舌の上で言葉を転がす。

 結局――そうして転がした中で、本当に口にして言葉にできたものは、ひとつもありはしなかったのだけれど。


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