07.今日からわたしは、あなたの《お姉ちゃん》です・⑥
飛び出した『それ』は、巨大な蛇だった。
人間の子供くらいなら軽々丸のみにしてしまいそうな巨大な
だが、何より異様なのは、巨体の割に短い胴の先――
本来なら尾にあたる部分に、もう一つ頭があることだった。
「
尋常の生き物ではない。
幻獣、魔獣――そう呼ばれる中でもとりわけて人間に害をなす、《魔物》と総称される生物の一種である。
カッとその顎を開いた双頭の蛇は前で高々と跳躍し、ユイリィを一飲みにせんとばかりに襲いかかった。
「ユイリィお姉ちゃん、危な――」
――ごっ!
叫ぶランディの目の前で、鈍い音と共に蛇の頭が跳ね上がった。
ユイリィの拳が、魔物の下顎を
のけぞり、白い顎を晒した蛇の胴が、斧で切られた大木のようにそのまま後ろへひっくり返る――無防備にさらけ出されたその胴を、若木のように細い脚が蹴り飛ばした。
雄牛のそれに匹敵する巨体が鞠のように軽々と吹き飛び、木の幹に激突して止まった。
幹が悲鳴を上げて軋み、梢が大きく騒めいた。
「……………!」
息を吞み、目を瞠った。
最初の数瞬、なにが起こったのかさえわからなかった。だが、ユイリィが真っ直ぐに伸ばした脚を下ろしたときになって、彼女が魔物を倒したのだとようやく理解が追いつく。
五人全員の心を代弁するかのように、ラフィが呻いた。
「……なに、今の」
「ユイリィおねえちゃん、すごい!!」
全員、ではなかった。
ランディが歓声を上げて、ユイリィに駆け寄る。
「すごいすごいすごい! 今のどうやったの!? あんなでっかい魔物を一撃なんて!!」
「ふふふ、言ったでしょ? ユイリィはすごーいんだよ」
「すごかった! ほんとにすごかった!」
きゃあきゃあと諸手を上げてはしゃぐランディに、胸を張るユイリィ。
それから少女は呆然と固まっている子供達に目を向け、朗らかな笑顔を広げた。ぎょっとする四人のところまで歩いていったユイリィは膝立ちになって視線の高さを合わせ、あらためてラフィたちと向かいあう。
「はじめまして、お友達のみんな。ユイリィはGTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》。L-Ⅹフレーム型Adv-D。《
ユイリィは名乗った。笑顔を深くして、続ける。
「今日からランディちゃんのおねえちゃんになります。よろしくね!」
「ちょっと! ちょっとランディ!」
「? なに?」
「こっち、ちょっと来なさい!」
ラフィはユイリィの後を追いかけてきた従兄弟の襟首をひっつかみ、ずるずると引きずってゆく。
「みんなも! こっち来て!!」
ユーティスたちも呼んで、全員でぞろぞろと移動する。
じっとその行き先を見つめるユイリィをちらちらと伺いながら十分に距離を取ったところで、仲間たちが四方からランディを囲んだ。一同を代表する格好で額を寄せ、ラフィは押し殺した声で唸った。
「なによあのひと! 変なひとじゃない!!」
「うん」
首肯する。ランディにとっても、そこは同意するところだ。
「し、しし、しかもあれ……服っ! あれシオンさんの服よね!? どういうことよ!? ねえ!!」
「それはユイリィお姉ちゃん、はだかだったから」
「はあぁ!?」
ラフィは顎を落とした。
「なにそれなんで裸!? なによそれ不審者じゃない! 完っ全におかしなひとじゃないっ!!」
「うん……」
ランディは曖昧に首肯する。そこもまあ、否定しがたい部分ではある。
「でも、かっこよかったでしょ?」
「かっ……って、あんたねぇ……!」
「ていうかラフィ、なんであれがシオンにいちゃんの服だって知ってるの?」
「わかるわよそれくらい! シオンさんの持ち物なら剣でも服でも靴下のいっぽんだって、なーんだってわかるわ! わたしなら!」
「ええー……?」
そんなバカな。従姉妹の力強い主張に、ランディはこころもち引いた。
そのぶん開いた距離を即座に詰めて、ラフィは声を潜める。
「あたしのことなんかよりあのひとよ……! 姉ってなに姉って。『おねえちゃん』ってそういう意味だったの? 今日からってなにそれ!」
「その辺はぼくもよく知らないんだけど……なんかね、おとうさんとおかあさんが」
「おじさまとおばさまが? えっ、あ! もしかして隠し子!?」
「かく?」
「ランディちゃん。お友達のみんな」
「ひゃああああ!?」
ラフィが幽霊でも見たみたいに飛び上がった。
言いたい放題ぶちまけていたのを聞かれたと思ったのだろう――もっとも、結構大きな声で喚いていたので、向こうに聞こえていないと思える方がどうかしているというくらいだったが。
「ごめんね。もう少しだけそこでじっとしてて」
だが、そうではなかった。ユイリィは既にランディ達を見ていない。
木にしたたか背中を叩きつけられ、根元に落ちたままの格好でうずくまった、最前の魔物を見ていた。
「あれ、まだ動くみたい」
尾の先の、二つめの頭が、ぐりんと鎌首をもたげた。
かっ――と開いた口の奥から、喉を鳴らすような音と共に毒々しい『霧』が噴き出す。
「ひっ……!」
――毒の息。
すっぱいような強烈な異臭が鼻を突き、エイミーやラフィが小さく悲鳴を上げるのを視界の外に聞く。
一対の前肢を生やし、首と尾に頭を持つ蛇――
名前はきちんと思い出せなかったが、兄にせがんで話してもらった冒険の中でそんな魔物の存在を聞いたことがある。
迷宮の奥に住まうという
こんな森になんて、いるはずがない、
「ユイリィおねえちゃん!」
「へいき」
ユイリィの返事は、余裕をはらんで軽やかだった。
ステップを踏むようにふわりと着地した一瞬、ランディ達を一瞥して口の端に微笑みすら浮かべてみせる。
「ランディちゃんたちは、できたら今から目を閉じて――あとはユイリィおねえちゃんにまかせて」
爪先が地を蹴った。
双頭蛇との間にあった十数メートルの距離が、一瞬でゼロになる。
体勢を立て直し、その牙で迫る少女を迎え撃たんとして、かぱりと大口を開ける蛇。
その眉間へ踵を振り下ろす。こぎゅっ――と潰れた悲鳴を溢れさせながら、胴を支えていた前肢ごと、頭蓋にブーツの踵をめり込ませた蛇の頭が地面に沈む。
その反動のように、双頭蛇の尾がまるで振り子のように高々と持ち上がった。ユイリィの頭上に躍り上がった尾の先端で、もうひとつの頭がしゃぁっと喉を鳴らす。
腐食の毒液――霧となって伸びる
「どうしてあなたがここにいるのか、知らないけれど――」
振りかぶった右の拳を、蛇の口から喉奥へと突き入れる。
毒液を放つ寸前の隙。喉の奥と言う急所に踏み込まれ、爬虫類の赤い瞳が驚愕と恐怖の色を帯びて瞠目する。
「ごめんね。放置はできない」
蛇の口から、頭蓋の後ろへ。
青白い光が溢れて、
熱した鉄板の上に水を撒いたような、じゃっ――と鋭い音だけを残して。
蛇の頭は、アクアマリンのように青褪めた閃光に呑まれ、放たれるはずだった毒息ごと消し飛んだ。
そして、双頭のことごとくを砕かれた魔物の巨体は今度こそすべての力を喪い、重い音を立てて
◆
シオンは森を駆けていた。
森に潜む魔物も気がかりだが、まずはランディたちの保護が最優先だ。
実のところ、ランディ達が遊び場にしている『ひみつの隠れ家』の場所を、シオンはとうの昔に知っていた。というより、心配になってこっそり様子を伺いに行った挙句にツリーハウスの工作が甘い部分に気づいてしまい、みんなが寝静まった夜中にこっそり手を入れに行って、壊れないように補強するなんてことまでしていた。
秘密は見事に台無しだが、しかしシオンの暗躍はランディ達にはまだ気づかれていない。はずだ。
目印を頼りに、踏み固められた道を外れて茂みの奥へ。
背の高い木が一本だけ生えている、うっそうとした森の中で少し開けた場所に出たとき、「あっ」と声が上がるのを聞いた。
「シオンにいちゃん!」
「ランディ!」
振り返った先に、弟がいた。友人達も一緒だ。
それに、ユイリィも。シオンに気づいて顔を上げた彼女は子供達に周りを囲まれて、それまで広げていたのだろうはにかみの気配を口の端に残していた。彼女がランディについていったのはシオンも分かっていたが、どうやら弟の友達ともあっさり馴染んでしまったようだ。
凍えるように冷え切っていた胸中に、ほっと安堵の熱が広がる。
だが、気を緩めてはいられない。すぐさま気を取り直し、足早にランディ達のもとへ向かう。
「ランディ、ラフィ――みんなも無事でよかった。急かしてすまないが、すぐにこの森から出るんだ」
「シオンさん! 聞いて、すごいのよ!」
「ラフィ、話は後で。今、この森には危険な魔物が入り込んでいるんだ。はち合う前にこの森を出て」
「シオンにいちゃん。魔物ってもしかしてあいつのこと?」
「――え?」
ランディが指差す、その先。
二つの頭が――ひとつは眉間を砕かれ、もうひとつはまるごと綺麗に消し飛んだアンフィスバエナの死骸が、そこだけぽっかりと土の地面が露わになった中心で転がっていた。
――いや。露わになっているのではない。
それは死体から零れた毒液で、下草がすべて腐り溶けた跡だ。
完膚なきまでに、魔物は死んでいた。
だが―― 一体、
「すごかったんですよシオンさん! ユイリィさんがひとりで、あいつをやっつけちゃったんです!!」
弟の友達の一人、町長クローレンス氏の息子であるユーティスが――いつもは年に似合わぬ冷めた落ちつきを備えた彼まで、興奮に頬を上気させて訴えてくる。
「ユイリィおねえさん、ほんとうにお人形さんなんだ……」
「そうだよー。ユイリィは《
「うん……!」
こちらも弟の友達である女の子――エイミーがユイリィの手に両手で触れながら、色白の頬にをほのかな興奮の朱を散らしている。
その隣では無口なリテークが、感情の見えない黒瞳でじぃっと彼女の右手を見上げていた。
ユイリィの右手は、鋼の銀色をしていた。
恐らくは毒液を浴びたのだろう右腕の肘から先。服の袖ごと皮膚が溶け落ちた、その下――パイプと鋼板、
右腕だけではない。
ほっそりした顎の先。襟が焼け溶けた下の鎖骨。ハーフパンツの裾から露わになったむこう
おそらくは毒液が散ったのだろう。切り傷のように熔けた肌の下には、腕と同じ鋼の色が覗いていた。
その光景に衝撃を受けている自分を、シオンは遅れながらに自覚する。
我知らず止めてしまっていた息をついて、シオンはユイリィへ呼びかけようと口を開き、
「ユイリィおねえちゃん。手、ほんとうに大丈夫なの? 痛くない?」
「へーき! へいちゃら! 痛くもなんともないよ!」
ランディに先を越された。
眉を垂らして心配そうに見上げるランディに、ユイリィはぐっと右の拳を――機械の手を固めて快活に請け負う。
「フレームも疑似霊脈もなんともないから、
なんたって、《
弾けるような笑顔を広げて、心から誇るように。
「ランディちゃんの、お姉ちゃんだよ!」
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