04.今日からわたしは、あなたの《お姉ちゃん》です・③


「おとうさんとおかあさんから!?」


 絶句したシオンに代わって、やはり覿面に反応したのはランディの方だった。

 途端、人間離れして可憐な美貌にほんわりと無垢な笑顔を戻して、ユイリィはランディへ訊ねる。


「ランディちゃんは聞きたい?」


「聞きたい!」


 素直な反応に笑みを深くしたユイリィは、シオンを見遣ってその回答を待つ。

 答えを待つユイリィと、期待に目を輝かせたランディの、二人分の視線が突き刺さり――見るからに気が進まない様子で眉をしかめていたシオンも、最終的に耐えかねて白旗を揚げた。


「わかった。聞かせてくれ」


要請オーダー受諾。再生します」


 ひとつ頷いて了解を示すと、ユイリィはこほんと小さく咳払いの真似をした。

 それから「あ」「あ」と発声練習みたいに声を出し、背筋を伸ばして姿勢を正した。


「『やあシオン! それからランディ! このメッセージを聞いているということは、無事お前達が《ユイリィ》を起動できたということだな! おめでとう!!』」


「!?」


「わ」


 ユイリィの唇から放たれたのは、張りのある男の声だった。

 煙草と酒に焼けてがらりとした、陽気さと豪放さを固めて形にしたような中年の声だ。


「『まずシオン、今まで本当にお疲れさまだった! これまで――といっても何年先のことやら今の時点じゃ確かなことは分からんが、しかしオレ達夫婦に似ず真面目に育ってくれた頼もしいお前だ。きっとオレとエルナの代わりに、兄としてのみならず親代わりとして、ランディを育ててきてくれていたことだろう、心から感謝している! だが!!』」


 声のテンションが上がる。ランディは大声の圧で吹き飛ばされてしまいそうだった。


「『もう心配はいらない! お前がこれまで誠実に果たしてきたすべての役目は、このユイリィが引き継いでくれる!

 ――ランディ、ユイリィはとても頼もしい《人形ドール》だ。彼女はきっとこの先お前のお姉ちゃんになって、手取り足取りねっとりしっぽりお前の人生を導いてくれるだろう! うぅん我が二人目の息子ながら実に羨ましいぞゥ!!」


 調子よく語る父の声に、シオンが苦々しく呻く。


「あのクソ親父……」


「そして、シオン!! 我が一人目の息子よ!!』」


 ユイリィは行儀よく座ったまま。

 男の声量だけが歌劇のクライマックスのように盛り上がる。


「『今までほんッッとうによく頑張ってくれた!! おめでとう!! 我が一人目の息子よ、晴れて今日からお前は自由だ!!!』『あなた、あなた。そろそろ私に代わって~』」


「……………………」


「『シオ~ン、ランディ~、元気にしてるかしら~? お母さんですよ~』」


 入れ替わり、今度は女の声。

 おっとりと間延びしたそれは、やはりユイリィのものではなかった。


「『ちゃんとご飯は食べてる~? お洗濯とお掃除はちゃんとしてる~? しっかり者のシオンのことだからきっと大丈夫だと思ってるけれど~、ごめんね~おかあさん心配性で~。

 あのね~、この子、ユイリィちゃん。いろいろあって、私達のところでお預かりすることになった子なの~。びっくりしたと思うけど、でも一人くらい女の子がいたほうが家の中も華やかになるし~、二人とも仲良くしてあげてね~』」


「…………………………………」


「『お父さんとお母さんはこれから大陸の方へ旅に出るから、きっと長いこと帰れないと思うけど~……でも、お母さんたちのことは心配しないで大丈夫だからね~。それよりふたりとも、風邪なんかひかないように、夜はあったかくして寝なきゃだめよ~? それじゃあね~、ばいば~い♪』――――」


 のほほんとした声がフェードアウトし、ユイリィは静かに唇を結んだ。

 役目を終えて緊張が解けたというように、ちいさな肩が少しだけ沈む。


「――以上が、デルフィンとエルナからお二人宛のメッセージです」


 メッセージを聞き終えて、ランディは「ふわぁ」と息をつく。


「今のが、おとうさんとおかあさんの声なの?」


「そうだよランディちゃん。ふたりの声を聞くのははじめて?」


「はじめて……じゃないと思うんだけど、でも最後に会ったのって四つくらいのころだったから。もうよく覚えてなくって」


「そうなの? でも……ああ、うん、そっか。そうだよね……」


 首を傾げた少女は――しかしそれ以上何かを言うより先に、自分の中で納得を得てしまったようだった。

 いつしか椅子から腰を上げ、自失したように立ち尽くしていたシオンを、ユイリィはくるりと見上げる。


「二人から受領した依頼の概略は、デルフィン・ウィナザードのメッセージにあった通りのものです。私はシオン――あなたの代行として」


「ユイリィさん」


 シオンの呼びかけが、その言葉を遮った。


「あなたが人間じゃないの――《人形》だって話、今ので実感したよ。それにあなたの事情、というか、これまでの経緯は分かったと思う。たぶん、立場みたいなものも」


 ただ――と。

 深く、大きく息をついて。

 シオンは長めに伸びた髪を、わしゃわしゃと利き手でかきまわした。


「だからって、『はい、そうですか。お願いします』なんて訳にはいかないだろう。それにこの家、今はあなたの手を借りなきゃならないような状態じゃないんだ」


「え――」


「そもそも」


 テーブルに手をついて身を乗り出し、シオンは制するように言った。


「俺は、あなたに自分がしていることを代行させようとはこれっぽっちも思っていない。この四年で家のことにも慣れたつもりだし、それに一人でやっているんでもない――ありがたいことに手伝ってくれる友達や親切なご近所さんもいてね、おかげでこの家は十分に回ってる」


「……………………」


 絶句し、呆けた顔で硬直するユイリィ。

 突然ただの人形になってしまったみたいなその様に、ランディはつられておろおろしてしまう。


「ユイリィおねえちゃん……?」


 不安を露に、ユイリィと自分の間で視線を行き来させるランディ――その様子にふと気づき、シオンは安心させるように微笑んだ。おずおずと上目遣いにしている弟の頭を、ぽんぽんと優しく撫でてやる。


「こらこらそんな顔するな。べつに彼女を追い出そうとか、そんなんじゃないから。経緯はどうあれ、こっちにとっても降ってわいた話だからさ、こっちの事情も踏まえて、きちんと考えて、これから先を判断する時間が欲しいっていうだけだ」


 さて、と一拍置いて場の空気を仕切り直し、シオンはぐぅっと大きく伸びをする。


「話がこれで終わりなら、いいかげん昼メシにしようか。ランディも腹減ったろ――ていうかお前、午後は友達と約束あるんじゃなかったっけ?」


「あ!」


「ユイリィさん――は、そういえば食べないって言ってたか。けど、そうなると動力は一体どうやって確保してるんだ?」


「――あ」


 それまで完全に固まっていたユイリィだったが。その問いかけを受けて、弾かれたように面を上げる。


「通常は、動力機で生成した電力を契法晶駆動基にて霊素変換、フレーム内の疑似霊脈を循環させることで動力としています」


「電力?」


「雷の力、です。要約すれば」


「要は雷精魔術みたいなのか。あれってそんな使い方ができるんだな」


 シオンとユイリィの間で、ぽんぽんと話が進んでいってしまう。

 傍で聞いているだけのランディには、ユイリィの言っていることは相変わらずよく分からなかったが――彼女に食事をするつもりがないらしいのは、そんなランディでも察しがついた。

 表情にこそ出さなかったが、ちょっと気持ちが落ち込む。


「事情は分かった。ただ――」


 そんな弟をさりげなく一瞥してから。朗らかに相好を崩し、シオンは提案する。


「もし食えないってんじゃないなら、スープとサラダはあなたの分も用意できる。どうだろう」


「ですが」


「あなたの判断がどちらでも、俺はいいんだ。けど、ランディはあなたと一緒に食べたがってるんだと思う」


 ランディは兄のその言葉に、ぱぁっと表情を輝かせた。

 うんうんと力強く、何度も頷く。


「ね、ユイリィおねえちゃんもいっしょに食べよ? シオン兄ちゃんのごはん、おいしいんだよ!」


「……ランディちゃん」


「パンがほしいならぼくの半分わけたげる。だから、ね?」


 ユイリィは睫の長い瞼を伏せて、少しの間、考えに沈む。


「やっぱり、むり?」


「……ううん。霊素変換での摂取なら、できる。ユイリィは食べものが必要なわけじゃないけど、でも食べられないことはなくて」


「なら、決まりだな」


「な!」


 シオンが両手を打ち合わせる。

 ランディが大きく両手を上げ、即座にその意を察したシオンは、弟のてのひらにぱしんと自分の手をぶつけていく。


「じゃあランディ、食器とか運ぶの手伝ってくれ。お前も時間ないだろ」


「あー! そう、そうなんだよ忘れてた! 急がなくっちゃ!」


「ちゃんとよく噛んで、味わって食ってくれよー。せっかく手間かけて作ったんだからさぁ」


「わかってるー! わかってるけどー!」


 ランディはぴょいと椅子から飛び降りると、冗談めかして笑うシオンの後にくっついてぱたぱたと台所へ向かう。


「…………………………」


 ――きゃあきゃあと賑やかに駆けてゆくランディを、若草色の瞳で追って。

 ユイリィはその背中を――じっと、静かに見つめる。


「――『儂は、誤ちを犯したのだ』」


 その唇から、男の声がこぼれた。

 シオンやランディには届かない、自分の耳へ届かせるためだけのかすかな声。デルフィン・ウィナザードのそれよりさらに年経た、初老かそれ以上の域にあるだろう、老爺の声だった。


「『だから、なのだ。お前にはこの新しい土地で、儂の過ちに縛られることのない、新しい役割を得てほしい。我が――』」


 ユイリィは自身を除けば誰の耳にも届くことのない、ちいさなちいさなその声を。

 きゅっと唇をつぐみ、少女はその半ばで断ち切った。

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