03.今日からわたしは、あなたの《お姉ちゃん》です・②


 長袖の襟付きシャツと、膝丈のハーフパンツ。

 当然ながら腰回りがまるで合わなかったので、ランディが気を利かせて一緒に持ってきたベルトで無理矢理締めた。

 とはいえ肩幅や袖の長さが合わないのはさすがにどうしようもなかったし、本来なら膝丈になるはずの裾も、少女の脛までかかっている。

 兄弟二人暮らしの家。女ものの下着など備えがあるはずもなく、ハーフパンツの下は何もはいていなかったが――当のユイリィを含め、幸いにしてその状態を気にするような何某はこの場には一人もいなかった。


 長く波打つ翡翠色の髪も、今は一本の三つ編みに編んでしっぽのように背中へ流している。

 ユイリィは自分の格好をしげしげと見下ろし、最後にその場でぴょんと跳ねて一回転。

 三つ編みのしっぽ髪、シャツやハーフパンツの裾をふわりと舞わせて軽やかに着地するユイリィに、傍でそれを見ていたランディが率直な感想を零した。


「ぶかぶかだね」


「うん。やっぱり男のひとの服はおおきいね」


「シオンにいちゃんのだもん。おっきいに決まってるよ」


「だねぇ。シオンはおっきいんだねぇ」


 ニコニコと笑いあいながら、二人で感想を交換する。


「……ランディ。あと、そちらのユイリィさんも。ちょっといいかな」


 そんなほのぼのした二人を、どことなく疲れが見える仏頂面で眺めやりながら、シオンが手招きした。

 かわいい弟が得体の知れない不審者娘と早くも馴染みはじめているのが、保護者的にはたいへん面白くなかった。

 揃って「はあい」と応じ、二人は食卓の席につく。


 四人掛けのテーブルで、ユイリィはシオンと向かい合う対面。ランディはシオンの隣の、ひとつだけクッションが積まれて座面が高い指定席に座る。

 シオンがちらと台所を一瞥したのに気づいて、ランディは内心首を傾げる。

 少し遅れて、ユイリィが提案した。


「お話があるなら、お昼食べながらでもへいきだよ。せっかくのスープが冷めちゃうでしょ?」


 ユイリィに言われて、ランディも思い出した。

 今はちょうどお昼時だ。シオンはお昼ごはんの支度をしていたはずなのだ。


「……スープは別にしても、あんたのぶんのパンはないぞ。今日買い足すつもりでさぼってたから、俺とランディのぶんしか用意がない」


「ユイリィはごはんいらないから気にしないで。人形ドールだもの」


 シオンは黙考し、それからランディを見た。

 今度は先んじて兄の意図を察し、ランディはぷるぷると首を横に振った。


「そんなおなかすいてないからへいき。おはなし、先にしちゃお」


「……そうだな。わかった、そうしようか」


 ランディの言葉に、シオンは眦を細めて微笑んだ。

 ユイリィは平気だと言うけれど、彼女ひとりだけご飯のない食卓で自分たちだけお昼を食べるなんてあんまりかわいそうだ。シオンが自分と同じ考えでいてくれたのが、ランディは嬉しかった。


「ユイリィさん。さっき俺にしてもらった話を、もう一度ランディにしてくれるかな。あんたの身分とか」


「わかった」


 ユイリィは首肯し、椅子ごとランディへ向き直る。


「あらためまして。ユイリィはGTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》。LⅩフレーム型Adv-D。私は《人形工匠マエストロ》マードック個人製作による第三世代型 《機甲人形オートマタ》です。――この家の地下室には三年前に収納されました。現在はランディ・ウィナザードを機主マスターと仰ぐ人形スレイヴ。当家への引き渡し時に交わされた契約を」


「……すまない。もうちょっとわかりやすい感じで頼む」


 立て板に水の説明、情報の洪水に、ランディはあっさり目を回しかけていた。

 見兼ねたシオンが口を挟み、ユイリィは「わかった」と応じて仕切り直す。


「えーと……もいっかい最初から自己紹介ね。ユイリィはユイリィ・クォーツっていいます。おじーちゃんが作った《機甲人形オートマタ》――《人形ドール》の一種です。今日からランディちゃんのおねえちゃんです」


「姉妹と認めた覚えはない」


 ユイリィは言葉を止め、じっとシオンを見た。

 無言のうちに激しく視線がぶつかり合うこと数秒。ユイリィはランディへと視線を戻し、あらためて言葉をつづけた。


「ランディちゃんのお世話がお仕事だって、そう言われてます」


 妥協が成立した。シオンは「よろしい」とばかりに頷く。


「ええと、《人形ドール》、っていうのは――」


 だいぶん要約された説明で、ランディが真っ先に食いついたのはそこだった。


「それって確か、ゴーレムとか……あ、サーカスで出てくるパペットみたいなのだよね? フリスねえちゃんのパペットくんとか。あと芸人さんの操り人形が糸なしで勝手に動くみたいなやつ前に見たことあるよ、踊ったり曲芸したり岩を割ったりするの」


「《自動人形パペット》と《機甲人形オートマタ》が系統上同種の魔術構成で稼働していることは事実であり、いずれも《人形ドール》の範疇に含まれるものではあります。しかし文字通り『魔術構成によって人形を稼働せしめる』パペットと異なり、私たち《機甲人形オートマタ》は駆動系をおさめたフレームに疑似霊脈を配線する特有の実装によって、より精巧かつ人間のそれに近しい外観と所作の獲得に至っています。さらに」


「………………」


 シオンが突き刺してくるじとりとした視線に気づいてか、ユイリィは不意に言葉を濁した。

 そして、


「そこらへんのパペットなんかよりユイリィのほうがうーんと上等だよ! 最新型でつよいんだから!」


「そうなの? ほんとに!?」


「ほんとだよ! ふんぬ!」


「そうなんだ! すごーい!」


 ぐっと腕を曲げて力こぶを作る真似で――こぶは、これっぽっちもできていなかったが――力強さをアピールしているつもりらしかった。

 素直にはしゃく弟の横で、シオンは痛むこめかみを抑えてひっそりと溜息をつく。


「俺としては、『ランディの世話が仕事』って話の方が引っかかるな。なあユイリィさん、その『』のあなたが、何だってうちの弟の世話なんてすることになったんだ?」


「シオンはいちいち引っかかる言い方するね」


 ユイリィはぼそりと一言、そうぼやいてから、


「三年前に当家へ収蔵された際に受諾した命令オーダー――じゃなくて、ランディちゃんのおとうさんとおかあさんが、おじーちゃんにお願いしたの」


 胸元に宛がったてのひらで自身を示し、言う。


「ユイリィに、ランディちゃんのおねえさんになってほしいって」


「姉ぇ……?」


「おとうさんとおかあさんが!?」


 シオンは苦い汁でも飲まされたような顔で、げんなりと呻く。

 他方、兄と対照的に目を輝かせてテーブルへ身を乗り出すランディに、ユイリィは朗らかに頷く。


「そう。デルフィンとエルナ。ランディちゃんにね、かっこいいおにいさんだけじゃなくて、やさしいおねえさんもいると素敵だねって言ってたよ」


「おねえちゃん?」


「そう。おねえちゃん」


 ユイリィは頷き、幸せそうに笑みを深くする。


「そしたら、おじーちゃんが『いいよ』ってゆったので、ユイリィはランディちゃんのおねえちゃんになりました。おしまい」


「いや、おしまいじゃないが」


 話を締めくくるユイリィを、シオンが渋面で止める。


「勝手に話を終わらせないでくれ。あと姉妹だとは認めてない。今の話に出てきた『おじーちゃん』……それはあなたの『製作者』ってことで合っているか?」


「はい。《人形工匠マエストロ》マードックは、ユイリィ・クォーツを製造した人形工芸師ドールマイスターです」


「その命令とやらを受けたあなたは今の今まで、あなたが言った通りなら三年間、この家の地下室で眠ってた」


 そして鳶色の瞳を眇め、ユイリィを注視する。


「おかしな話じゃないか? それに俺は――ランディだってこれまで何度もあの地下室に入ったが、俺達は今まで一度もあなたの姿を見たことがない。これはどういうことだ?」


「三年間の機能停止は機体の自動調律オートメンテナンスのためです。修復・調整特化型液化霊晶ジェムを充たした《コフィン》は、本体のみでは不可能な精密な自動調律と、機体の修復を行います――当時のユイリィ・クォーツには、完全調律フルメンテナンスと修復が必要でした」


「その調律と修理が終わったから、あなたは姿を現わした?」


「はい。完全調律の終了は、大陸標準時でおよそ三時間前です」


 頷くユイリィ。


「また、シオン・ウィナザードとランディちゃんが《棺》の存在を認識していなかったのは、完全調律の間ユイリィ・クォーツの存在を隠匿すべく展開していた《対探査防盾シャッター》のためと推測します」


「シャッター?」


「肉体の五感と各種探査に対する対探査・認識阻害防盾です。これまでお二人の認識上、《コフィン》は取るに足らない壁、ないし柱の一本として認識されていたものと推測します」


 なおも訝しげに眉をひそめるシオンに、ユイリィは言葉を重ねる。


「あるいは、何らかの理由で直に 《コフィン》へ触れる機会さえあれば――本来存在しないはずの何かがそこに『』違和から、《棺》の存在に気付きうる可能性はあったかもしれません。が」


「そうはならなかった。そう、あなたは言う訳だ」


「はい」


 頭の上で往復する会話を、ランディは一人ぼけーっと聞いていたが。

 不意に、すとんと腑に落ちた。ユイリィの言っていることはところどころよく分からない単語が含まれていて分かりづらかったが、何を言いたいかは何となくだがわかった。

 以前に地下室へ入れてもらった時はシオンが冒険者だった頃に使っていたという剣や鎧を見せてもらうのに夢中で、奥の壁なんてほとんど見てもいなかったけど――それでも人一人おさまる大きさの入れ物があったのなら、少しくらいは印象に残っていそうなものだ。

 それが、隠されていた。


 ――つまり、魔法だ。

 好奇心と高揚感で、ランディの胸は高鳴る。


「地下室の確認を推奨します。対探査防盾を解いた現在、これまでなかったものが確認できるでしょう」


「あなたの言う、《コフィン》がか?」


「はい」 


 ほっそりした顎をゆらして、ユイリィは頷く。

 シオンは、壁越しに地下室がある方へと目を走らせ、そのまましばらく黙考した。


「……ひとまず、今のところはあなたの言うことをまるごと信用するよ。そのうえで」


 鳶色の眼光が、鋭くユイリィを見据える。


「今の話、証明できるものはあるかな?」


「証明?」


「うちの親からランディの姉になれと言われたって話だよ。あいにくとうちの両親は三年ばかり前に一日だけ戻ってきて以来、ずっと音信不通だ。どこで何してるかもわかったもんじゃないから、俺達にはあなたの話の裏を取る術がない」


 確認を求めて、ユイリィはランディを見た。

 ランディは同意を示してこくこくと頷く。


「あなたの言葉通りなら、おそらくその一日が、あなたが地下室へ『収納』された日なんだろう。けど、あなたが収納された『目的』に関していえば、俺たちは当の二親から何も聞いていない」


 二人の両親――デルフィン・ウィナザードとその妻エルナは、歴戦の冒険者だ。父は戦士。母は法術士。

 《多島海アースシー》の島々を遊歴し、冒険者として勇名を馳せた二人は、さらなる冒険を求めて三年前に大陸へと渡った。その後のことは、たまに届く手紙くらいでしか知らない。

 そもそも両親に関する話はほとんどがランディが生まれる前のもので、一番新しいものでもまだ三つか四つで物心つくかつかないかくらいのころの話なので、大半はシオンや他の大人からのまた聞きだったが。


 最後に届いた手紙は三ヶ月前のもの。

 世界樹の麓にある《聖都》――大陸で一番大きな都に滞在していることと、これから南へ下って《地中海イナーシー》へ出るつもりでいるという話が、八歳のランディにもわかりやすい言葉選びと、臨場感たっぷりの筆致で記されていた。

 ユイリィは伏し目がちに黙考していたが、かけた時間はさほど長くはなかった。


「デルフィンとエルナからお二人宛のメッセージを預かっています。これはシオンが要請する証明となりえますか?」


「何だと?」


「デルフィンとエルナから、お二人宛のメッセージを預かっています」


 聞き返すシオンに、ユイリィは繰り返した。


「再生可能です。聞きますか?」

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