02.今日からわたしは、あなたの《お姉ちゃん》です・①


 大陸より東方。

 数百とも数千ともいわれる数多あまたの島嶼が固まり連なるその海域を、《多島海アースシー》と人は呼ぶ。


 神代の終わり、かつて世界に君臨したとされる旧人類――《真人》たちが此処ならぬ果ての異世界へ旅立つとき、彼らはその最後の時を豊かな自然はぐくむこの多島海の島々に降り立ち過ごし、はるかな旅を前にその翼を休めたと、旧き伝承は伝えている。


 伝承の真偽は定かでない。

 しかしその物語を裏づけるように、多島海の島々は旧文明の痕跡――はるかなるいにしえの時代に真人たちが世界へ置き去った遺産、その宝庫であった。


 真人の遺跡は遠き過去の時代に失われた魔法文明を収めた蔵であり、同時にそれらは危険をそのはらにはらんだ迷宮ダンジョンでもあった。

 ゆえにこの地は、冒険者の天地。

 襲い来る危難を払い、暗がりに潜む魔物を討ち、迷宮を踏破して古の財宝と名誉を持ち帰る。


 ある者は夢を。

 ある者は探求を。

 ある者は一獲千金の未来を求めて。


 多島海には冒険者が集い、己が栄光と冒険譚を誇らしく歌いあげ――故にこの地で生まれた子供なら、誰しも一度は冒険者となって世界を渡る夢を見る。

 命知らずの彼らを支え、迷宮踏破を推し進める《諸王立冒険者連盟機構》の組織をもって、未知への探求と冒険を奨励する多島海アースシーは、ゆえにこそ、冒険者の天地と呼ばれて久しい。


 多島海アースシー諸王国の一つにして、多島海最大のルクテシア島に版図を広げる王国――大陸にまでその支部を伸ばす《諸王立冒険者連盟機構》盟主国ルクテシア。

 ランディはこの国で生まれ育った、そしてこの国では誰しもそうであるように未来の冒険に憧れる、ごくごくありふれた八歳の子供。――その、一人だった。



「シオンにいちゃあ―――――――――――――ん!!!」


 ランディの呼び声――だか叫びだか悲鳴だか――に、台所で野菜スープの鍋をかき回していたシオンは料理の手をぴたりと止めた。続きになった食卓兼用のリビングへ、くるりと振り返る。


 シオン・ウィナザードは今年で二十歳。長く伸びた前髪で左目が隠れ気味の、背の高い青年である。

 年齢の割に童顔気味の面差しは性格の温厚さを感じさせる一方、引き締まった痩身は細身の鋼剣を思わせ、ただ振り返るだけの足さばきもどこか洗練された鋭さがある。見るものがそうと思ってよく見れば、日常の一部となるまで骨身に染みついた鍛錬の気配は、容易にそれと見て取れるだろう。


 十二歳年下の弟が騒がしいのはおおむね毎日のことである。

 いつだって子供らしく元気で大袈裟で、そして闊達な、騒がしくもかわいい弟だ。

 しかし、料理中にいきなり飛びつかれるようなことがあるとさすがに危ない。念のためにかまどから鍋を下ろし、調理台の包丁もラックに退避させ、どたどたばたどたばたばたとやかましい足音が迫ってくるのを待つ。


「にいちゃん! にいちゃんにいちゃんにいちゃん! シオンにいちゃああ――――――んっ!!」


 際限なくシオンの名前を叫びながら、今年で八歳になる弟が飛び込んできた。

 シオンと同じ栗色の髪と鳶色の目、年頃相応の背丈、棒きれみたいに細くて子供らしい体つき。

 ちょっと目を離すとすぐどこかへ走っていってしまう俊敏な子犬みたいに元気な子供で、今日もその例に漏れず、ちいさな手足は充填された元気がいっぱいに満ちて今にも溢れんばかりだった。


「聞いて聞いて聞いて! 今ね、すっごいの見た!! あのね!」


「ランディ」


 そんな弟に、シオンはわざとしかつめらしい顔を作り、まじめくさった調子で一言注意する。


「廊下は走らない。ホコリが立つだろ?」


「ごめんなさいシオンにいちゃん! でもでも、あの!」


「うん?」


 素直に謝れるのは百点満点。いい子。本題はこの先だ。

 膝を折って、駆け寄ってきた弟と視線の高さを合わせる。傾聴けいちょうの姿勢をとるシオンに、ランディはわたわたと両手を振り回しながら声を大きくする。


「あのね! さっきね、下っ。下の部屋!」


「下……って、地下室か?」


 今度は最前と違い、自ずと眉をひそめる格好になった。


「おまえもしかして、またあの跳ね上げ扉を開けようとしてたのか?」


「あっ!? ええといやあの、そうなんだけどでも今はそうじゃなくて!」


「あそこは危ないからやめておけっていつも言ってるだろう。見たいものがあるならちゃんと見せてやるから、地下室に入りたいときは兄ちゃんにひとこと言えって」


「知らない女のひと! 下の部屋に、知らないはだかの女のひとがいた!!」


「………………んん?」


 シオンは首をひねった。

 くりっとした目を輝かせて詰め寄る弟の額に、ぺちりと手を当ててみる。


「……熱はないな」


「信じてよー! ほんとなんだって!!」


「いや、でもランディおまえ。知らない裸の女って」


 つい半月ばかり前にも、シオンは弟にせがまれて一緒に地下の地下室へ降りている。ランディが、物置の武器や鎧を見たがったからだ。

 この島に生まれた子供の多くがそうであるように、このかわいい弟も未来の冒険者を夢見る一人だ。

 そして男の子の多くがそうであるように、この弟はかっこいい武器や鎧に胸がときめく年頃だ。

 そんな弟の希望を叶えるべく地下室の扉を開けてやるのはシオンにとってもやぶさかなことではないし、その時は同じく冒険者を夢見る弟の友達も、一緒に入れてやったりした。


 言うまでもなくその時には、裸の女などどこにもいなかった。

 ランディもそのとき一緒にいたのだから、それは知っているはずだ。それが一体、何をどう見間違えてそうなったのか。

 シオンは弟と目の高さを合わせたまま、困惑気味の面持ちで、なだめる言葉を続けようとして、


「ランディちゃーん」


「「ギャア――――――――――――――――ッ!!」」


 そこへ突如として現れた闖入者ちんにゅうしゃ――ユイリィに、シオンは悲鳴じみた絶叫をあげた。

 ついでにランディも悲鳴をあげた。シオンのまねっこで。

 本当に裸の女だった。年の頃はおそらく十五かそこら。ほっそりした顎の輪郭とくりっとした若草色の瞳がきれいな、こんな時でもなければさぞ衆目を引くだろう可憐な美貌の少女だった。

 だが少女は一糸まとわぬ全裸だった。言い訳の余地もない生まれたままの姿だった。

 淡くふくらんだ胸の頂きやぺたんこのお腹を下った先の局部こそ、長く波打つ翡翠色の髪がかろうじて隠していたが――無論、だからといってどうだという類の話ではない。


「な、んっ……おお、おま」


「ほらぁ言ったじゃん! だから言ったじゃん!」


「いや、言ったじゃんって――じゃなくてランディ、お前はこっち!」


 絶句するシオンの袖をぐいぐい引っ張って、得意げにはしゃぐランディ。シオンはそんな弟を後ろにかばい、手にしたお玉をひゅんと謎の女に突きつけた。


「お前、一体誰だ。どうやってうちに入った!」


「だから、下にいたんだって」


 ランディが繰り返すが、兄は取り合わなかった。

 一方の少女は、華奢な裸身を晒しながら恥じらいひとつ見せるでもなく、睫の長い眦をニコリと細める。


「はじめまして。私は――ユイリィはGTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》。L-Ⅹフレーム型Adv-D。《人形工匠マエストロ》マードック個人製作による第三世代自律型 《機甲人形オートマタ》です」


「《機甲人形オートマタ》ぁ……?」


 聞き慣れない単語をシオンが訝る間に、少女――ユイリィは、「そして」と華やかな笑みを深くする。


「今日からランディちゃんのお姉ちゃんになります」


「裸で家ン中ねり歩く姉妹なんざ持った覚えはないが!?」 


 腹の底から怒鳴りつけた。


「そもそもがそこからだよ! おまえ何で服着てないんだ、痴女か!?」


「あ。それはなんていうか、ごめんなさい。ユイリィ着るものなにも持たせてもらってなくて」


 急にくだけた調子でほわほわとぼやいた少女は、しかしいっこうに肌を隠そうともせず、困ったように頭を掻く。


「おじーちゃんが――デルフィンもエルナもだけど、用意してくれてなかったみたいで。だからお願いなんだけど、なにか着るもの借してもらってもいいですか?」


「あんたのじいさんは孫に何をやらせてるんだ。そのデルフィンとエルナとかいうのも――」


 憤然と呻き、不意に引っかかった。

 眉をひそめ、シオンは唸る。


「……デルフィンとエルナは、親父とお袋の名前だ。あんた、うちの両親と知り合いなのか?」


 低めた声が詰問の気配を帯びる。

 判断に迷ったのか、少女の返答はすこし遅れた。


「『知り合い』とはちがうかな。《コフィン》の観測は継続していたけれど、ユイリィ自身は稼働状態じゃなかったから――あ、でもデルフィンとエルナはユイリィのことを知ってるし、おじーちゃんとなら知り合い同士だよ。おじーちゃんの命の恩人」


 少女は屈託のない、魅力的な微笑みを広げる。

 だが、なおもいっこうに要領を得ないその物言いに、シオンは二の句が継げない。その沈黙を埋めるように、少女は言い足した。


「地下室の中は探したんだけど、でも鎧や鎧下ばっかりで……あ、鎧だけでも着てきた方がよかった?」


「いや、それはさすがに肌に傷が……地下室?」


「だから、下にいたんだってゆってるじゃない」


 いいかげん不満げに眉根を寄せながら、ランディが繰り返し主張する。

 シオンは毒気を抜かれた体で弟のふくれっつらを見下ろし、それからあらためて少女へ視線を戻す。


「本当に、うちの地下室にいたと? あんたみたいなのが」


「階下の倉庫には三年前に収納されました」


 少女の応答は『肯定』だった。

 薄い胸元にそっと細い指先を宛がい、自らを示して、


「現在のユイリィはランディ・ウィナザードを機主マスターと仰ぐ機甲人形オートマタ・スレイヴ。当家へ引き渡しの際に与えられた命令オーダーに従い、ユイリィ・クォーツはランディ・ウィナザードのための人形スレイヴです」


 そう、締めくくった。

 シオンは屈託のない微笑みを広げる少女を見据える。それで何が分かるということもなかったが、混乱する頭の中を整理する時間にはなった。


「……正直、さっぱり訳が分からないままなんだが」


 手にしたおたまを下ろし、ようやく警戒の度合いを下げた。


「まあ、いいや。わかったよ。とりあえず俺の服でよければ貸すけど」


「ほんと? いいの?」


「その破廉恥はれんちな恰好でうろうろされた挙句ご近所に見られでもしたら、その方がよっぽど厄介なんでね。――ランディ」


「ぅい?」


「俺の部屋から適当な服、持ってきてもらえるかな。このお姉さんが着れそうなやつ。しまってる場所はわかるよな? 服と、あとは鍵の」


「知ってる。服はどれでもいい?」


「ああ、おまえに任せる。頼んだぞ」


「まかされた!」


 兄からの信認に声を弾ませて応じ、走って二階へ向かう。

 食堂兼用のリビングを出るとき、ランディはすれ違いざまに少女を見上げ、


「待ってて。すぐもってきたげる!」


「うん、待ってる。ありがとうランディちゃん」


 微笑む少女と、視線を交しあう。

 その様を、検分する目で観察するシオン。


「……………………」


 ――邪気はない。

 ――害意も感じない。


 ユイリィと名乗る少女はまるで妖精のように無垢で、どこまでも透明な自然体だ。

 しかし、だからといって完全に警戒を解くつもりはなかった。目のやり場に困り、やもすると本能的に視線が下がってしまいそうになるのを自己嫌悪と共に修正しながら、シオンは少女の一挙手一投足に注意を走らせる。

 微笑みを浮かべてランディを見送り、あとは微動だにしない。

 完成された可憐な美貌も。傷ひとつなく瑞々しい、柔らかそうな真珠の白肌も。


「オートマタって名前、どこかで聞いたことがあったような気がしてたんだが」


 ――最前からずっと頭の片隅で引っかかっていた違和感の、正体が見えた。


「やっと思い出せたよ。あんた、《人形ドール》の類か」


「ユイリィは、ランディ・ウィナザードのための機甲人形オートマタ・スレイヴ。あなたたちのための《人形ドール》です」


 くるりと振り返り、少女は言った。

 紛うかたなき『肯定』の示唆だった。


「すべてのひとの幸いと可能性のために。ユイリィ・クォーツにはランディちゃんマスターの養育・護衛・教育・その他それらに類するすべてを担う準備と性能があることを約束します」


 ――《人形ドール》とは、魔術によって稼働する人形全般を指す総称である。

 大別して、術者の命令によって使役されるものを《使令人形ゴーレム》、備えた意思と人格で自律稼働しながら術者に仕えるものを《自動人形パペット》と呼ぶ。


 分類に従うなら、目の前の少女は《自動人形パペット》にあたるだろう。

 多くの場合、パペットは文字通りの『人形』がそのまま動いているような代物だが――大陸の魔術師の中には、発条ばねや歯車で動く機械仕掛けの人形を《人形ドール》として使役する術者がいると聞いた。

 その人形は、まさしく人間そのものの姿かたちをしているとも。

 そうした人形は、その精巧さと美しさへの賞賛と讃美を込めて、ありふれた《自動人形パペット》ではなく《機甲人形オートマタ》の名を冠する――シオンは冒険者をしていた頃、大陸から流れてきたというふれこみの胡散臭い噂屋からそんな話を聞いたことがあった。


(確かに、聞いたことはあった……が)


 人間離れして『』――生き物としての完成度に対する隔絶。

 冒険者として各地を渡り歩いたシオンは、これまで自動人形の類も多く見てきた。人間の姿を模した《人形》にも出会ったことがある。

 だが、これまでここまで人間そっくりの《人形》を目の当たりにしたのは、これが初めてだった。

 当の少女自身から告げられさえしなければ、ちょっと頭と挙動のおかしい女の子そのものにしか見えないような、そんな姿かたちの代物は――


「シオンにいちゃん! ユイリィおねえちゃん! 服もってきた!」


「ああ、ランディおつかれ」


「ありがと、ランディちゃん!」


「わぅっ?」


 少女はくるっと振り返り、ランディの身体を裸身の胸に抱きしめる。


「――って、おいこら! 弟から離れろこの痴女人形! 教育に悪いだろうが!!」


「ええー?」


 「ふわぁ」とか「うひゃあ」とか悲鳴のようなものを上げながら子犬みたいにわたわたしているランディを、薄い胸の中に抱きしめたまま。

 ユイリィはシオンからの抗議に、不本意だとばかりに唇を尖らせた。

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