第8話 ラウルに求められるもの
なんとなく沈鬱な空気が室内に充満したが、「ですが」と、シトエン妃はやわらかに続けた。
「彼女は大好きな刺繍はやめず、そうして、なんとかこの状況を打破しようと、自ら外部に出てきてくれました。現在も、わたしとの約束を破ることなく、王宮内に足を運んでくれています。これはとても、稀有なことだとわたしは思っています」
「……彼女の、真面目さゆえのところもあるでしょう」
気づけばぼくはそんなことを呟いていた。
そう。
彼女はある意味、真面目過ぎる。「こうあらねば」とか「約束をしたから」と思いつめすぎるところがあった。
これが「嫌なことはできない、しない」という性格であれば、きっと彼女はずっと屋敷に引きこもっていただろう。理由などいくらでも後付けできる。
あのとき受けた心の傷がまだ癒えていない、外は怖い、誰も自分を守ってくれない。理解者がいない。支援者がいない。
その理由に固執し続ければいい。きっと周囲はため息つきながらも、相手をしてくれるだろう。
だけど、「このままではいけない」と、彼女は真面目すぎるからこそ行動に出た。
変化を、自ら求めようとした。
「引きこもりから脱出するためには、引きこもった年数分が必要だと言われています」
シトエン妃は、両手でカップを包んだまま、やわらかい視線をぼくに向ける。
「セラ嬢の場合、十数年引きこもっていたわけですから、社会活動に復帰するまでには、本来十数年のリハビリが必要になってくるわけです。ですが、予想以上に、彼女はこの社会に適応できています。それは、ラウル殿の力が大きいと思いますよ」
「ぼく、ですか」
きょとんと自分自身を指さすと、シトエン妃は微笑む。
「あなたのことが強烈な動機となっているんでしょう。ですが、それはもろ刃の剣でもあります。真面目過ぎる彼女のことです。今度は、頑張りすぎて燃え尽きてしまう可能性もあるでしょう」
「そう……、ですね」
あり得る話しだ、と頷いた。
「だから、ラウル殿には、なぜ彼女が家に引きこもってしまったのか、という理由を知っておいて欲しかったのです。落ち込むことや、また引きこもることは予想されることです。だけど、彼女が少しでも前向きになったとき、すかさず、褒めて欲しくて」
「前向き、ですか?」
「落ち込んだ時は、誰もが慰めて気にかけてくれます。ただ、前向きになった途端、意外に人というのは声をかけないものです。ああ、状態が良くなったのだな、と手を放し始めます」
言われてみればそうか、と頷くと、シトエン妃は柳眉を下げた。
「セラ嬢の服装のことですが……。まだお若いのにあまりにも未亡人すぎる、というか、色が無い、というか……」
「非常に自然界に近い色ですよね」
ぼくが同意すると、シトエン妃は若干困ったように口をへの字に曲げた。
「たぶん、社交界デビューで服装を非難されたことが堪えた結果、あのような地味な服装につながっているのでしょうが……。自分に似合うと思った服と、自分に似合う服は違いますものね」
「まあ……、そうですね」
「それって、試行錯誤の末にたどり着く部分もあって……。最初はみんなおしゃれ初心者です。だから、ぜひ、挑戦したことを褒めて欲しいんです。言葉にして」
「はあ」
「ラウル殿に」
強調され、その圧になんとなく押されるように首を縦に振った。
「それと……。これは、まあ、いつでもいいんですが」
シトエン妃は一転、困ったように眉根を寄せた。
「ときどき、サリュ王子に会ってやってください」
「団長に、ですか」
ああ、そういえばなんかこの前もそんなこと言っていたな、と思い出す。
「引継ぎがうまく行っていませんか?」
「いえ、それは多分問題なく。ただ、サリュ王子の心の準備が」
苦笑いでティーカップを口元に寄せるシトエン妃に首をかしげて見せる。
「ラウル殿が自分から離れてどこかに行くとは思っておられなかったのでしょう。ご自身は平気なふりをしておられますが、あきらかに体重は減少しましたし、食欲も落ちて……」
ふと脳裏に浮かんだのは、先日会ったときに見た、少し痩せた感じの団長の姿だ。
「お聞きしたところ、サリュ王子が生まれた時からラウル殿が側にいた、とか。自分から離れていくなど、想像だにしていなかったのでしょう」
「あー………」
つい、声が漏れた。
あの顔。
王太子殿下に、引継ぎのことを促され、何とも言えない顔でぼくに笑いかけたあの顔。
あれ、団長が寄宿舎に行くときに見せた顔だ。
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