第7話 セラ嬢のこと
◇◇◇◇
二週間後。
ぼくはシトエン妃のところに刺繍を教えに来ているセラ嬢を迎えに、部屋に伺った。
「あら。お早いお迎えですね」
ドアノックをし、扉が開くのを待って顔をのぞかせると、シトエン妃がソファに座ってお茶を飲んでいた。イートンも扉脇で慎ましく控えていて、目が合うと会釈してくれる。
「まだ時間がかかると思うので……。よろしかったらどうぞ」
にっこり笑ってシトエン妃が向かいのソファを勧めて来る。
「それは……、どうも」
戸惑いながらも答えると、イートンが部屋の隅に移動し、お茶をサーブしてくれた。
ぼくはソファに座りながら、不躾にならない程度に部屋を見る。
シトエン妃の私室じゃない。そもそも、団長の屋敷じゃなかった。
王城内にある一室で、それぞれの妃たちがゲストを迎える部屋だ。
刺繍の道具や布なんかはすでに片付けられ、見覚えのあるセラ嬢のトランクが、ちょこんとテーブル脇に置かれている。
本人はどこだろう、と思っていたら、イートンがお茶を出してくれた。
「セラ嬢でしたら、現在、お召し替え中です」
イートンが告げる。
「お召し替え」
目をぱちくりさせていたら、向かいのシトエン妃が、ふわりと笑った。
「この後、おふたりで観劇に行かれるんでしょう? 刺繍をずっと教わっているお礼として、服や小物を、と」
「それは……、恐縮したのでは?」
おもわず、苦笑いする。
セラ嬢のことだ。「ひぃ」と悲鳴を上げて、地面にひれ伏して「結構です!」と辞退していそうだ。
「ですが、お会いしてから、ほぼ毎日教えてくださっているわけですし。ねえ、イートン」
「ええ、さようでございますね」
「おかげで、目標も達成できましたし。ねえ、イートン」
「ええ、まったくその通りで」
シトエン妃とイートンの会話に、思わずぼくは吹き出した。
あれだ。
団長につきまとう淑女たちを追い返した一件だ。
「あら。どうなさいました?」
シトエン妃がティーカップを両手に包み込み、やわらかく微笑む。ぼくもティーカップを口元に寄せながら笑った。
「いえ。おみごとな一手でした」
シトエン妃は、セラ嬢に教わった通り、くまの刺繍をほどこしたハンカチや手拭いを団長に渡したのだ。
『初めてのモチーフなんですけど、いかがですか』
きっと可愛らしく微笑みながら、団長にそう言ったのだろう。
団長は舞い上がった、らしい。
騎士のみんながもう、「はいはい。その話何度も聞きましたよ」というぐらい、シトエン妃の刺繍を見せて回り、彼女がどれぐらい愛らしくて優秀で素晴らしいかを吹聴したという。
自分につきまとう淑女たちにも。
騎士たちが言うには、「淑女たちはげんなりした顔で適当に相槌を打ち、そして去って行った」という。
そりゃそうだ、と聞いた直後、爆笑した。
妻とうまくいってなくって、とか、妻のこういうところがちょっとね、という男ならともかく、「うちの嫁、めちゃくちゃ優秀かつ可愛い!」と、男女問わずに自慢する夫を篭絡しようとする女などいるものか。
「そうですか」
シトエン妃は、やっぱりにっこり笑う。
結局このひとは、淑女たちに面と向かって「うちの夫に手を出すな」ということもなく、撃退したわけだ。
「そのお手伝いをしてくださったわけですから、わたしとしてはなにもしないわけにはまいりません」
品よくお茶を飲み、シトエン妃は笑っていたものの。
ふと、表情を改めた。
なんだろう、とぼくもティーカップをソーサーに戻し、彼女を見た。
「セラ嬢のことですが、いろいろとお話を伺ったり、当時のことを知っている者からも聞いたりしたのですが」
切り出してきたシトエン妃に、ぼくは戸惑う。
「当時、とは?」
「セラ嬢がお屋敷にひきこもるきっかけになった、社交界デビューの時の話です」
ちらりとシトエン妃がイートンに視線を走らせる。彼女も眉根を寄せて、小さく頷いた。
「ラウル殿はなにかお聞きになっていますか?」
シトエン妃に尋ねられ、ためらいながら首を横に振った。
「お父上のモルガン団長から、『社交界デビュー以来、家に閉じこもって』とは、うかがっていますが」
「セラ嬢は、あのように刺繍に造詣が深く、また、古典柄から最近はやりのものまで、とてもお上手に作品を仕上げられます」
シトエン妃が言葉を選びながら話し始める。
「デビューのときの衣装にも、とても気に入っている古典柄を多用し、ご本人自らが刺繍を施して準備なさったとか」
なとなく想像がつく。きっと黙々と、だけど楽しそうに刺繍をしたであろうセラ嬢。
「ですが、とある令嬢がその刺繍を……、その」
シトエン妃が言いにくそうに口ごもる。
「おばあちゃんの服みたい、と公衆の面前でおっしゃったそうで」
ああ、と口から言葉が漏れた。
ぼくなんかが聞けば、「教養の足らない令嬢だなぁ」と思うのだけど。
きっとその場は違ったのだろう。
「古典柄は格式があるものです。わたしに教えてくださるセラ嬢の刺繍は、古典柄と最新のものを融合したものですから、セラ嬢も古典柄しか知らない、というわけではなかったと思います。ただ、彼女は『デビュー』という人生でとても重要なイベントにふさわしい柄として、古典柄を選んだのでしょう。それは決して間違いではないと思います。ですが」
シトエン妃は小さく吐息を漏らした。
「十代半ばの少女というのは、古いものは劣悪で、新しいものこそが輝けるもの、と思い込むところがあります。そして、自分の価値観を他者に押し付け、貶めることも」
なんとなくわかる気がして、ぼくは無言で頷く。
十代のこどもというのは、一番残酷で残忍な時期だ。徒党を組み、自分たちこそが世界を動かしていくのだ、と思い込む。
そうして、異質で弱いものを徹底的に排除しようとする。
それが強さだと勘違いする。
「セラ嬢は、公然の場で辱めを受け、結果的に屋敷に引きこもる様になったと言います」
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