第4話 なんだろう、この暗殺者感

「あ……、では」


 なんだ、問題ない……、のかな。


 ぼくも立ち上がり、エスコートしようかどうしようかと迷ったのだけど。

 もう、セラ嬢の目が絶対、こっち向かない。


 おまけに、右手・右足、左手・左足を同時に出しながら歩く、というぎこちなさ。

 いや、これ、無理だな。問題あるな。


「じゃあ、ぐるっと……。その辺を。しばらくしたら戻ってまいりますので」

 ぼくはモルガン団長に会釈をし、扉を開けて部屋を出た。


「庭の方に行きますか?」

 セラ嬢にとりあえず尋ねてみるんだけど。


 なんというか。

 真後ろにいる。


 ぼくの真後ろに。


 横とか、斜め後ろ、とか、前。


 ではなく、背後。

 なんだろう、この暗殺者感。


「は……はひ」


 それなのに、返ってくるのは、処刑場にでも連れていかれる前の罪人みたいな声。大丈夫かね、と心配しながら廊下を歩きだす。


 真後ろからは、こつこつとヒールの音がしてくるから、いるんだろうけど。


 すれ違う侍従とか騎士とかが、ぼくには会釈をするんだけど、セラ嬢については、完全に気づいていない、というか。なに。ぼくの影的存在だと思ってる?


 ……このまま誰にも気づかれずに庭に移動するとしたら、いろんな意味で「気配を消すコツ」を彼女に聞いてみたい。


 そんなことを考えていたら、廊下の角を曲がってシトエン妃が姿を現した。


「あら、ラウル殿。今日はお見合いの日ではありませんでした?」


 微笑んでくれるので、こちらも挨拶をする。彼女の側にいる腰抜け侍女イートンも、深々と頭を下げていた。


「もう、顔合わせは終わられましたの?」

 笑みを湛えたまま近づいて来る。


「いやまあ……。現在、進行中ですね」


 苦笑いすると、きょとんとしたものの、不意にぼくの背後を覗き込む。


「ひ……っ」


 セラ嬢の悲鳴が聞こえ、「まあ」とシトエン妃の華やいだ声が同時に聞こえた。


「初めまして、シトエンと申します」


「は……っ、はじめ……。お初にお目にかかります、モルガン・ガレンの娘、セラにございます」


 セラ嬢の言葉に、正直、ちょっと驚いた。


 挨拶なんてできないだろうと思っていたもんだから。


 すすすす、と横にずれてセラ嬢とシトエン妃を向かい合わせにしてみる。

 シトエン妃の前で、セラ嬢は立派に頭を下げていた。


 なんだ、この子。やればできるじゃないか。

 シトエン妃が、二言三言、なにか話しかけ、セラ嬢はたどたどしいながらも、それに応じている。


 なんとなく、だけど。


『ご……、ごめんなさいっ。挨拶とかできないんですっ』

 と言ってぼくの背中に隠れてしまう、とか。


 あるいは棒立ちになったまま、滝のように汗を流して無言で通す、とか。

 いきなり泣き出したりして、ぼくとシトエン妃が慌てる、とか。


 そんなことを想像していた自分を嫌悪した。


 モルガン団長が彼女をなじるのを見たくなくて外に連れ出したものの、結局ぼく自身、彼女に面と向かって言わないだけで、モルガン団長と同じことを感じ、勝手なイメージを抱いていたんだなぁ、と反省した。


 こうしてみると、彼女はちゃんと28歳の女性だった。


「まあ、その刺繍! 素敵ですね!」


 急にシトエン妃が言いだすから、何事かと思えば、セラ嬢が握りしめているハンカチを見ている。


「こ、……古典柄、なんです」


 セラ嬢が声を震わせる。

 ちらりと見ると、なんだか顔がさっきより青ざめていた。


「わたし、タニア王国から来たもので……。こちらの古典柄なんて拝見するのは初めてですわ。少しよろしい?」


 シトエン妃がきさくに手を伸ばすけど、セラ嬢は紙のように顔を真っ白にさせて首を横に振る。


「汗や涙や、なんやかやで、とてもシトエン妃がふれていいようなものでは……っ」


 ……まあ、そうだな、とぼくも思うが。

 シトエン妃も譲らない。


「そこに、くまのような模様が見えるものですから。わたしは気にしませんし、少しだけ。ねえ、イートン。あなたも気になりますわね?」

「ええ。ぜひ」


 イートンまで巻き込んできた。


「く、くまは古典柄ではないのですっ! く、草と……っ。は、はな、……、チシャの花冠が古典柄でして……っ」


「古典柄と近代柄を合わせるなんて素敵。ねえ、イートン」

「ぜひ、参考にさせていただきましょう」


「……ラ………。ラウ……。ラウル……殿」


 救いを求めるような目を向けられても……。これは、無理。

 ぼくは苦笑いした。


「ふれていただくのが畏れ多いなら、こう……。ぼくとセラ嬢で端っこを持って広げますか? そうすればシトエン妃に刺繍をご覧いただけるでしょうし」


「ラウル殿がふれてもいいものでは……っ」

「いやまあ、いいじゃないですか。将来夫婦になるんだし」


 にっこり笑って言うと、高速で首を横に振られた。


「そんな……っ! まだ決まっていませんから……っ。どうぞ、お断りしてくださいっ!」


 ……なんだろう。そちらから見合いを持ちかけられたのに、このフラれた感。


 視線を感じて、顔を向けると、シトエン妃とイートンが生温かい目で見守ってくれている。


 え、なにこれ。ぼく、やっぱりフラれてんの!?


「いや、まあ。とにかく。シトエン妃もお忙しいでしょうから」


 ぼくは咳払いをして場をしきりなおし、セラ嬢の手の中から、ひょいとハンカチを引っ張り出し、端っこをつまんだ。で、びっくりしているセラ嬢に、反対側をつまませ、シトエン妃の前で広げて見せる。


「やっぱり! 可愛い!」

「この、立体的な花冠が古典柄ですね」


 シトエン妃とイートンがきゃっきゃ言っている。

 ぼくもついでに刺繍を見る。


 見て、ちょっと驚いた。

 本格的なやつだ。売っていても遜色そんしょくないほどで、本当にこの娘さんが作ったんだろうか。


 新月のような形の花冠は、本人も言うようにチシャの花だ。

 古典柄でよく扱われるものだが、古臭さを感じさせないのは、色遣いのせいだろう。


 おばさん連中のとはまるで違う。目に鮮やかなチシャの花。それを引き立たせているのは、逆に、ぐっと色味を押さえた濃い緑の葉たちだ。


 そして。

 おもわず、顔がほころぶ。

 花冠に囲まれた中に、ちょこんと顔を出す、くま。


 アウトラインステッチで描かれたくまは、周囲の古典柄とは全く違うけれど、愛嬌たっぷりだ。


「これをやってみたいのですけど、教えていただけます?」

 シトエン妃がセラ嬢に真面目な顔で頼んでいる。


「え……っ。は……っ。あの、宮廷内にも刺繍が得意な方はたくさんいらっしゃるのでは!?」


 目を白黒させながらセラ嬢が言う。もっともだ。


「でも、こんなくまは教えてくださいません」


 そりゃそうだ。


「ち……、父の許しを得ませんと……」


 視線を彷徨わせながらセラ嬢が言うので、ぼくはシトエン妃に頷いて見せた。


「ぼくの方からも申し添えておきます。お返事はのちほど」

 セラ嬢の顔を覗き込む。


「それでいいですかね?」

「は、はい」


 セラ嬢が頷くから、なんとなくほっとする。


「もし正式に決まったら、セラ嬢もちょくちょく王宮にいらっしゃるわけですから。ついでにぼくと会ってください」


 もうちょっとぼくに慣れてほしい、と思ったのに。


「む、無理です!」


 素早く否定された。


「えー……。はい。わかりました。セラ嬢。どうぞ、無理なさらず。わたしにだけ会いに来てくだされば結構ですから。ね、イートン」

「ええ、そうですね、姫様」


 いたたまれなくなったように、シトエン妃とイートンが「それでは」と立ち去って行く。


 いや、待って。

 なんか、違うんです、ほんと。

 ぼく、彼女に一目ぼれされたそうなんですよ!!!!

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