第5話 ぼくの周り、もっと変な人がたくさんいるので

「あ。そうでした、ラウル殿」


 肩をがっくりと落としていたら、シトエン妃が振り返る。


「はい?」

「引継ぎ等でお忙しいとは思いますが……」


 そこでシトエン妃はちょっとだけ、困ったように柳眉を寄せた。


「また、サリュ王子に会ってやってくださいませ」

「……は、あ……」


 曖昧に返事をすると、シトエン妃は会釈をしてそのまま立ち去って行った。


「なんだろう」

 おもわず呟く。


 団長とは、王太子殿下の御前で話をうかがって以来、実は会っていない。


 こっちも引継ぎ文書を作るのに忙しかったし、スレイマンやミーレイへの申し送りに忙殺されていた。


 王太子殿下を通じて、セラ嬢との日程調整もあったし、もちろん自分自身の両親への報告なんかもあって、ここんところ、顔をあわせるどころか、姿も見ていない。


 セラ嬢のくまの刺繍を見て、ほっこりしたのは、『ティドロスの冬熊』とよばれる団長と会っていなかったからかもしれなかった。


「ちょっと、練兵場の方に行っても良いですか?」


 ぼくがセラ嬢に尋ねると、彼女はきょとんとした顔をした後、しっかりと頷いてくれた。ちゃんと空気も察することができる子で、ほっとした。


「ちょっと、団長の様子を見たいので」


 そう断りを入れ、背後にセラ嬢を張り付かせて、近くの出入り口まで足早に進む。


「ここから庭に出ますね」


 ガラス張りの観音扉に手をかけ、声をかける。ちょっとだけ振り返ると、セラ嬢の息が上がっていた。速足すぎたらしい。これは悪いことをした。


「どうぞ」

 扉を開け、先に彼女を中庭に出す。


 続いてぼくが出ると、やっぱり彼女はぴったりと背後に張り付くから、苦笑いで伝えた。


「あの、隣に並びません?」

「わ、私が、ですかっ」


 素っ頓狂な声で応じられたから、ぼくは吹き出した。


「あなた以外に誰がいるんですか。ごめんなさい、歩くのが速かったでしょう。隣なら、もっとあなたの様子を見て歩けますから」


「す……っ、すいません……っ。私がとろくさいばっかりに!」


 真っ青な顔で言うから、こっちが驚く。


「全然とろくさくないですよ。むしろ、気づかなくて申し訳ない」


 言いながら、ぼくは彼女の隣に並ぶんだけど。


 反射的に彼女が数歩下がる。

 併せてぼくも下がると。


 また、彼女は後ずさる。

 仕方なくぼくも下がり……。


「あの……っ」

 おもわず、笑い出してしまった。


「前進したいんですけど、これじゃあ、後退しかしてない」


 そう指摘すると、セラ嬢はきょとんとした顔の後。

 弾けるように笑い始めた。


「ほ、本当ですね。すみません、これは失礼しました」


 涙を流しながら大笑いする彼女は、実年齢よりも随分と幼く見えた。

 幼く見えたんだけど。


 その無防備な感じとか、自然な様子はとてもかわいくて、ぼくも知らずに、やっぱり笑顔になっていた。


「じゃ、進みましょうか。前に」


 ぼくが声をかけると、彼女は握りしめていたハンカチで目元を拭い、はい、と返事をしてくれた。


 初めて聞く、緊張感も力みもない声は、落ち着いた柔らかなものだ。良い声だなぁ、もっと聴いてみたい。


「練兵場はこっちなんですよ」


 説明をしながら、並んで歩く。


 他にも、王城内の説明や、ぼくが所属している騎士団の説明とか、団長の話とか。

 セラ嬢はとても聞き上手で、気づけばぼくひとりが、ぺらぺら喋っていた。


「ああ、すいません」

 ぼくは頭を掻いて詫びる。


「なんか、ぼくがひとりで……」


 しゃべってて、と続けようとしたら、向かいから数人の騎士たちが歩いてきた。


 恰好からして、格技場で訓練した帰りなんだろう。

 互いに会釈してすれ違った瞬間、小さく笑い声が聞こえてきた。


 なんだ、と視線だけ動かすと、あちらもこっちを見ていたらしい。


 視線があった瞬間、逸らされ、次いで「ほら、聞こえたじゃねえか」「お前のせいだろ」と小突きあって、また笑っている。


 なんか、馬鹿にされたような雰囲気なので足を止めたのだけど、隣にセラ嬢がいるのを思い出した。


 ぼくだけなら問題ないけど、彼女がいるのに、いざこざはまずい。

 しかも、セラ嬢の御父上もいらっしゃるわけだし。


 ぼくは素知らぬ風を装って歩き出すことにする。あいつらもそうだ。歩き去ったらしい。

 なんだったんだ、ほんと。

 で。

 隣りを見ようとしたら、またセラ嬢の姿が消えている。


「あれ。歩くの早かったですか」

 慌てて振り返ると。


「あの」


 意を決したような顔で、セラ嬢がぼくを見ている。


 さっきまで、朗らかに笑い、力を抜いてぼくを見上げていたのに。

 また、肩に力を籠め、しわしわになるぐらいハンカチを握りしめていた。


「私が父に余計なことを言ったばかりに、このような……、見合い話が始まってしまって……」

「は……、あ」


 なんだろう、と、とりあえず曖昧に頷く。


「どうぞ、お断りしてくださって結構ですので」

 血の気が失せた、真っ白な顔でセラ嬢が言う。


「……えー……、っと」


 ぼくはそんな彼女を眺め、とりあえず頬を掻いた。


「王太子殿下よりお伺いした話では、セラ嬢がぼくに一目ぼれしてくれた、とか」


 言った瞬間、火を噴くのかというぐらいセラ嬢が顔を真っ赤にする。

 無言のままなのだけど、多分、これは事実で間違いないらしい。


「だったら、ぼくとしては問題な……」

「お断りされると思ったのです……っ」


 セラ嬢が顔を真っ赤にして叫んだ。


 叫んだ、といっても、団長のような咆哮でもなく、シトエン妃のように腹から出した声でもなかった。


 締めつけた喉から、ようやく絞り出したような声。


「あの日、父に連れられて十数年ぶりに屋敷を出た先で……。ちゃんとやろうと思ったんです。このまま屋敷に閉じこもっているわけにはいかないから、ちゃんとやろうって。このままじゃ家は断絶だし。従兄弟が養子に入るって言ってくれているけど、お父様は実は嫌がっていて……。なんとかしないと、って。とにかく焦ってばっかりで。だけど、怖くて……」


 思いつくままに話している彼女は、相変わらず顔を真っ赤にし、ハンカチを握りしめている。


「なんとかしなくちゃ、と思うのに。誰にも声がかけられず、目も合わせられなくて……。そうしたら、だんだん、誰からも無視されて。誰にも見られなくて……」


 セラ嬢の顔がどんどんうつむいていく。


「その時、唯一ご挨拶をしてくださったのが、ラウル殿で……」


 自分の名前が出て、驚く。

 え。挨拶、したの、か。ぼく。


「た、多分。覚えておられないと思います。だって、ラウル殿、すれ違う誰にも頭をさげておられて……」


 ……まあ、そりゃそうなんだけど。


「屋敷に戻ってからも、ずっとラウル殿のことが忘れられず……。いえ、そんな風に思われて気持ち悪いとお思いでしょう、ほんと、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 何度も何度も「ごめんなさい」と繰り返した後、セラ嬢はうつむいたまま、ぼそぼそと続ける。


「私が十数年ぶりに家を出たものですから……。父も期待していて……。私の様子が変なことに気づき、いろいろ詮索したり問い詰められたりして……。それで、ラウル殿のお名前を出したのですが……。どうせ、断られると」


 語尾はそこで潰えた。


「断られると思ったのに、ぼくが受けたものだから、困っているんですか?」


 尋ねてみると、がばりと顔を上げ、もう、涙でぐちゃぐちゃになった顔をぶんぶんと横に振る。


「ラウル殿が困っておられるのだろう、と。本当に、申し訳ないことをした、と」


 ぐずぐずと鼻を鳴らしていうから、苦笑する。


「ぼくはしがない男爵家の次男ですから、伯爵家を相続できるとなったら、まあ、悪い話ではないですから」


「ですが、私ですよ!?」

「いや、ちょっと確かに、変わってるな、とは思いますが」


 ぼくは笑う。


「ぼくの周り、もっと変わった人がたくさんいるんで、まあ、こんなもんかな、と」


 正直にそう言うと、ぽかん、と彼女はぼくを見上げた。


「セラ嬢は笑うと可愛いし、刺繍がお上手だし、やればちゃんとできる子だし。とってもいい声をなさっているし」


 ぼくはちょっとだけ腰をかがめ、彼女と同じ視線にする。


「セラ嬢がお嫌でなければ、この話、進めたいんですけど」

「そ……っ。それは……っ!」


 またもや顔を真っ赤にさせてセラ嬢は硬直した。


「す、すいませんっ! ラウル殿、あんまり見ないでくださいっ」


 その後、ハンカチで顔を覆われ、蹲ってしまった。

 ありゃ。相変わらず視線は合わせられないらしい。


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