第28話 一輪の花物語
定期テストが終わった日、ひかりはいつものメンバーとファミレスに来ていた。
しばらく机にかじりついていた息抜きを兼ねて、楓の提案でお昼ご飯をみんなで一緒に食べようということになったのだ。
そこそこ賑わっている店内で、いつもの四人はひと心地ついた。
この一週間部活もなく、ただ勉強に集中していたので、この面子で集まるのはなんだか久しぶりだとひかりは感じていた。
「それでどうだった? 今回数学がやたらと難しかったよね」
注文を終えたあと、ひかりが今回のテストを振り返った。
ひかりの意見に誠司は大きく頷いて共感した。
「そうだね。時任さんの言うとおりだよ。あの問題の出し方はちょっとね。周りのみんなもブーブー言ってた」
そう不満を漏らした誠司に比べ、勇磨と楓からは特に何も返ってこなかった。
「楓はどうだったの? 今回は私のノートのコピーだいぶ役立ったんじゃない?」
ひかりは誠司のために作ったノートのコピーを楓にせがまれて、もう一部作って渡していた。
想いを込めて一生懸命理解しやすいようにと作った解説付きのノートはひかりの自信作で、そのお陰といっていいのか結果的にひかり自身もテストに手ごたえを感じていたのだった。
「へへへ、まあひかりにもらったコピーはあったんだけど……」
何だか歯切れの悪い楓の様子に、今回のテストの出来不出来がそのまま表れている様だった。
「まあ、あれよ。あんな紙切れ一枚のテストで人間の価値を推し量ろうなんて考える教育の在り方がいけないわけよ」
さも当然のように、個人の不甲斐なさを学校教育の問題に楓がすり替えると、勇磨もそうだそうだと乗っかって来た。
「俺もそう思う。あんなもんで俺たちの何が分かるって言うんだよな」
「そういうことよ。あんたもたまにはいいこと言うじゃない」
楓と勇磨はおかしなところで意気投合した。
都合のいい解釈をした二人に、誠司は何気ない一言を添えた。
「まああの紙切れでも人間の価値はともかく、少なくとも学力だけは分かるんだろうね」
誠司に痛いところを指摘され、楓と勇磨は言い返せず黙り込む。
何だか屁理屈をこねたあとに説教をされている小学生みたいだなと、ひかりは可笑しくなった。
またこうして四人で集まって冗談を言い合っていることに、ひかりは心地よさを覚えてしまう。
そしてお昼休みがなかった試験中、美術室で会えなかった時間がようやく終わり、またこうして机を挟んで優しい笑顔に向かい合っていることに喜びを感じていた。
高木君も同じ気持ちだったら嬉しいな……。
そう想像しながら視線を向けると、誠司もひかりに目を向けていた。
ひかりはそれだけでドキッとしてしまう。
そしてそのまま誠司は、少し目のやりどころに戸惑う仕草を見せる。
「あの……時任さん、本当にありがとう。今回のテスト、あのコピーのお陰で助けられたようなもんなんだ。時任さんには感謝してもしきれないよ」
「え、そんな……でもそう言ってもらえると嬉しいな」
誠司の感謝の言葉を受け止めて、ひかりは頬を薄っすらとピンク色に染めてはにかんだ。
そのびっくりするぐらいの可愛さに、楓はすぐにひかりに飛びついて、ほっぺたをくっつけてスリスリさせた。
「やめて、楓。そんなにくっつかないで」
「あざとい仕草を見せつけたひかりが悪いんだよ。あれ? ねえひかり、なんだか高木君、おかしくなってない?」
楓は、どう見てものぼせている感じの誠司を指さして指摘した。
今さっきのひかりの可憐なしぐさに、やられたのは楓だけでは無かったみたいだ。
「ほら、ひかりのせいだよ。高木君もおかしくなってるじゃない」
「え? いや、まさか……」
ひかりは楓にからかわれているのだと思いつつも、誠司の様子が気になってじっと見てしまう。
そんなひかりの視線を感じてか、誠司は分かり易くうろたえている。
楓はニタニタ笑って誠司をからかい始めた。
「ねえ、高木君。何だか今そこで一瞬気絶してなかった?」
「えっ? 俺が? もしかしたら勉強しすぎて疲れてるのかな……」
「俺はてっきり死んだのかと思ったぞ」
「勇磨まで、大袈裟だよ……」
集まった視線に、誠司は下を向いて黙り込んだ。
そこに店員の女の子が注文品を載せたワゴンを押してきた。
「お待たせいたしました」
絶妙なタイミングで運ばれてきたいい匂いのする品に、誠司はそれ以上追求されることも無く、ようやく顔を上げた。
そして食べ始めた誠司の顔を、ひかりはどうしてもチラチラと見てしまうのだった。
「定期テストも終わったし、次は学園祭だね」
食後の甘いジュースをストローでちびちび飲みながら楓がそう口にした。
誠司たちの通う高校は、一年の行事の中では最も学園祭に力を入れていた。
三年生になった今年、学年ごとの課題は模擬店だった。
「一年の時は劇とかの発表会だったでしょ。そんで二年の時はテーマを決めての展示だった。今年は模擬店って、昨年の三年生って何やってたっけ、ひかり覚えてる?」
「そうねえ、まあ飲食する店ばかりだったけど、覚えているのは焼きそばとタコ煎餅の店とそれから……」
ひかりが記憶を辿っていると、そこに勇磨が割り込んできた。
「俺はみんな食って周ったから覚えてるぜ。あとたこ焼き器を使ったベビーカステラだろ。そんでお好み焼だろ。ホットドッグとフランクフルトの店だろ。そんであとはえーとなんだっけ」
「何よ、あんたさっきみんな覚えてるって堂々と宣言してたわよね。後はあれよ、喫茶店」
楓のひと言で勇磨はそう言えばと手を打った。
直感的に美味そうなものに飛びつく習性の有る勇磨は、食い物の匂いのしなかった喫茶店を模擬店の数には入れていなかったのだろう。
「ああ、そう言えば喫茶店だった。俺は入らなかったんだけど」
「そうだったよな。抹茶をたててくれる和風喫茶と、女の子がコスチュームを着て運んでくるあれ……」
その先を口にしようとした誠司に、ちょっと痛いひかりの視線が突き刺さる。
「ああ、あれだったわね、メイド喫茶」
楓は興味本位で覗きに行ったらしく、よく覚えてると解説し始めた。
「もう何だか教室の中がおかしな世界だったわ。客は男ばっかしだしウエイトレスは変な色気を振りまいてるし、何だか入ってはいけない店に入店したみたいだった」
「そうか、そんでそこでは一体何を食わせてくれるんだ?」
楓の解説に何故か勇磨は食いついて来た。実はそういった感じのものに関心があるのかも知れない。
「飲み物は何種類かあったけど食べ物は一種類だけなの。ハート形のチョコレートケーキ。そんな大したもんでも無かったけど男子にはうけてたんだって。何でもバレンタインデーにチョコをもらえない男子に狙いをさだめて仮想告白みたいな感じで接待してくれたらしいよ」
「そ、そうなのか。すげえな……」
楓の話を聞いて勇磨は何かを想像しているみたいだった。楓は妄想していそうな勇磨の顔をジーッと観察する。
「あんた今、行っとけば良かったって思ったでしょ」
「えっ? 俺が? ナイナイ。全く魅力を感じないよ。あー行かなくって良かった」
胡麻化そうとしているが、勇磨が今更ながら後悔していることは明白だった。分かり易い男だった。
「高木君もちょっとは気になってたんじゃないの? あ、実は入り浸ってたとか?」
「いやだな。俺はクラスのやつから話を聞いただけだよ。ね、時任さん、二年の時のクラスで結構話題になってたよね」
「うん。そう言えば高木君の言うとおり、クラスの男子がそのことで騒いでた。何度も足を運んだって言ってた子もいたよね」
誠司に話を振られて、同じクラスにいたのにあらためてそれほど接点が無かったことをひかり感じていた。そして今になって少し、いやかなり勿体なかったと後悔していた。
高木君の隣の席にもなったことがあったのに……。
一年間も同じクラスで近くにいたのに、これといった思い出が殆どないことに口惜しさすら感じていた。
でもたった一つだけ心に残っていることがある。
ひかりは談笑する誠司の横顔を眺めながら思い出していた。
夏休みに入る少し前、二人で日直に当たったんだったね……。
それは少し汗ばむほどの日差しの強かった日。
朝の誰もいない教室にいつもより早く登校したひかりは、一輪挿しの花瓶の水を変えようと教室を出ようとした。
「あっ」
入れ違いに教室に入ってこようとしていた男子生徒とひかりはぶつかってしまった。
花瓶から跳ねた水が男子生徒の夏服に飛んで、薄っすらと肌の色を浮き上がらせた。
「ごめんなさい」
ひかりは慌ててポケットからハンカチを取り出して、濡れてしまった部分を押さえる。
「大丈夫。気にしないで……俺のほうこそごめんなさい」
少年はあまり目を合わそうとせず、小さな声で気遣いを見せた。
その伏し目がちでいつも自信なさげな少年は、ある意味少し有名な男子だった。
いつも大人しくてそれほど目立つわけでもない印象の少年の名は高木誠司といった。
周りの男子に溶け込むような存在感の無さからは推し量れないほどの偉業を、少年は一年生の時に成し遂げたのだった。
全国高校生芸術コンクール。
多くの高校生が一年に一度のその大きなコンクールを目指し出品する中、この一見内気そうな大人しい少年の作品は見事大賞に選ばれたのだった。
一時は他校からもその作品を観てみたいと、大勢の人が足を運んできていたほどだった。
勿論ひかりも少年の描いた絵を何度も観た。
キャンバスに大きく描かれた瑞々しい青い桔梗の絵。
とても美しく印象的で、そして儚げだった。
少年の描いた何故か胸をうつその絵は、いつしかただ校長室の在る棟の突き当りの壁にひっそりと飾られるだけになってしまっていた。
ひかりには賑やかな人の行き交う場所にあるよりも、あの絵にはその方がふさわしいと思えるのだった。
「本当に気にしないで……」
ハンカチを押し当てるひかりに、少年は優しくそう言うと、ひかりの抱えている花瓶に目を落とした。
「俺のほうこそごめん。花、折れちゃったね……」
「あ、本当だ……」
ひかりは慌てていて気が付いていなかったが、さっきぶつかった時に花の茎を折ってしまっていた。
先端に黄色い花をつけるその一輪挿しの花は、もう元には戻りそうになかった。
「本当に、ごめんね」
「ううん、私が悪いの。高木君は気にしないでね」
ひかりは仕方なく花瓶から折れた花を抜いて片付けようとした。
「あの、時任さん……」
伏し目がちに少年が教室を出ようとしたひかりを引き留める。
「その花……もらっていい?」
「え? うん、折れちゃってるけどいいの?」
「うん。それでいいんだ」
ひかりは折れてしまった黄色い花を少年に手渡すと、そのまま教室を出て行った。
片付けを終えた後、職員室に寄って担任の島田に花を折ってしまったと報告し教室に戻った。
ひかりの目にした黒板には、今日の日直の二人の名が丁寧な字で書かれてあった。
少年はカーテンの揺れる窓側の自分の席に座って外を眺めている。
そしてひかりは気付いた。
花が咲いてる。
ひかりの視線の先、窓に近い黒板の片隅に一輪の黄色い花がチョークで描かれていた。
とても短時間で、しかもチョークで描かれたとは思えないようなその花は、味気ない教室に明るい色を落としていた。
ひかりは少年が花を欲しいと言った意味をこの時知ったのだった。
「とっても綺麗」
そう呟いたひかりを少年は振り返った。
「ありがとう」
窓から少し涼しい風が吹き込んで少年の髪を揺らす。
二人きりでいる教室に、風に揺れることの無い花が咲いたのだった。
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