第27話 ちょっと反省します

「ひかり、私もう無理。今日こそあいつのことフッてやる」


 始業前の教室。朝から楓は周囲の友人たちが近寄りがたいほどイライラしていた。

 昨日のラブぽよのことで、楓の勇磨に対する評価は山田、山本とひとくくりにされるほど地に落ちていた。


「なんだかんだ言って結局体目当てだったんじゃない」


 昨日の話を蒸し返したことで、楓もひかりも勇磨がズボンを押さえて立ち上がれなくなっていたのを思い浮かべた。


「あーあ、男子ってみんなそうなのかな」


 やや、頬を赤らめて憂鬱そうに楓はぽつりと言う。

 楓が昨日のことを引きずっている気持ちは分からないでもなかったが、それよりもひかりは勇磨のことが気になっていた。

 あの恥ずかしい場面で部屋に響くほどの平手打ちを頬に食らって、相当ショックだったのではと心配していたのだった。


「ねえ楓、それって男子だけじゃないと思う……」

「え?」

「私だって全然そういうこと考えないわけじゃないよ。楓だってそうでしょ?」


 ひかりは恥ずかしそうに頬を染めつつも、こじれてしまった二人の関係を何とかしようと話し続ける。


「私、昨日はラブぽよ2号のあれにびっくりしちゃって、うろたえちゃったけど、あそこにいたみんな同じだったんだと思うの。それでね、新君はその……ちょっと体の一部が、なんというか反応してしまっただけなんじゃないかな」


 ひかりは言ってしまってからさらに赤くなった。話を聞いていた楓も同じだった。


「だから、つまり私の言いたいのはね、しょうがなかったってことなの。アニメといっても気になってる女の子のあんな姿見たら、男の子ならああなっちゃうのかなって思ったの」


 楓は下を向いて何も言わない。分かりにくいが耳まで赤くなっていた。


「それでね、新君、楓にそんなとこ見られておまけにほっぺた叩かれて、好意を持ってる子にそんなことされて傷ついてるんじゃないかなって気になってるの」


 ひかりが話し終えてると、さっきまで腹立たし気だった楓は、静かに唇を噛んだままうつむいていた。

 自分の感情のままに突っ走ってしまい、勇磨の気持ちを何一つ考えていなかったことに気付いたようだった。


「新君来たよ」


 始業ぎりぎりに勇磨は教室に入ってきた。

 少し疲れた顔で席に着く横顔を、楓は複雑な面持ちで見ていた。



 一時限目の古文はもともと得意でないこともあり、楓の頭の中を風のように素通りしていった。

 それよりもひかりの言ったことが楓の心に重く響いていた。

 そして昨日の勇磨のことを自分に置き換えて想像してみる。


 もし仮に私が好きな子に恥ずかしいところを見られて、さらにビンタされたら……。


 取り立てて実際に好きな男子がいるわけではないが、妄想は得意な方だ。

 頭の中に少女漫画に登場しそうな美形男子を思い浮かべて、できるだけ昨日の流れを詳細に頭に描いてみた。

 そして楓は想像上の美男子にビンタを食らい、その悲惨さに衝撃を受けたのだった。


 無理。立ち直れないわ。私結構えげつないことしちゃったかも。


 想像し終えてから、楓は授業そっちのけで青ざめていた。

 そして一度気になりだすと、無性にそればかり考えてしまうものだ。

 授業中、勇磨の様子を観察しはじめた楓は、すぐにちょっとした変化に気付いた。

 勇磨はどう見ても眠れなかった感じで、目の下にクマを作っていていた。

 普段脳天気な少年が、やや憔悴しているのを目にして、楓は責任を感じざるを得なかった。


 一方勇磨はというと、ひたすら暗い気分で悪いほうに悪いほうに考えていた。


 どうせあいつらのことだ、共謀して俺の息の根を止めに来るに違いない。


 勇磨は楓だけでなく、以前楓にとんでもないことを吹き込んだひかりにも相当な警戒心を抱いていた。


 あいつらに絡まれないよう、授業終わったらそっこーで誠ちゃんのとこに避難しないと……。

 しかしラブぽよ深夜二時からって遅すぎだろ。おかげで寝不足だわ。

 来週はビデオ録っとこう。


 休み時間はトイレか誠司の教室で過ごしたお陰で、何とか無事に乗り切れた。

 そして下校時刻になり、勇磨は楓に捉まることなく一日を終えられたことにほっとしていた。

 しかし現実とはそう上手くはいかないものなのだ。

 下校時間、靴箱を出たところで楓は待ち伏せしていた。


「ねえ、新」

「橘!」


 完全に油断していた勇磨は、飛び上がってから逃げ場のない状況に狼狽した。

 追いつめられた勇磨の額からは脂汗がじわり滲んでいた。


「あんた、ひょっとして私を避けてない?」


 腕を組んで立ちはだかる楓は、なんだか妙にサマになっていた。

 疑いの目が勇磨をさらに追い詰める。


「そんなことナイナイ。気のせいじゃね」


 痛いところをいきなり突かれて勇磨は焦った。何だこいつ今日はキレてやがる。


「ならいいんだけど。休み時間ずっといないし。気になって」


 夜遅くまでアニメを見ていたせいで顔色の冴えない勇磨の顔を、楓はやたらじろじろ見てくる。

 勇磨はその視線に耐えられずに目を泳がせる。

 そして楓の方から口を開いた。


「あのさ……」


 なんとなく楓はその先を切り出しにくそうだった。


「昨日さ、その……私、ちょっと言い過ぎたみたい。それとたたいちゃってごめんね……」

「え?」


 てっきり、また罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられ、今より酷い噂を流されてコテンパンにやられると思っていた勇磨は、なにがどうなって楓がこんなにしおらしくなっているのか理解できなかった。


「わざと抱き枕見せたんじゃないもんね。それに……」


 楓は口ごもったかと思うと赤面し始めた。


「あの、あれがああなっちゃうのって生理現象っていうか、みんなそうなんだよね」


 楓は勇磨のその部分をしっかり指さした。


「ゆ、指さすなよ」

「ごめん」


 楓は恥ずかしそうに頬をさらに赤らめている。

 何だか思っていた最悪の方向とは反対になっているのにやや戸惑いながらも、勇磨は心底安堵していた。


「俺のほうこそカッコ悪いとこ見せちゃって。忘れてくれ」

「うん」


 どうやら二人は仲直りできたようだ。


「途中まで一緒に帰ろっか」


 楓はちょっと照れながら誘った。

 勇磨も照れながら誘いに応じた。


「ああ、行こうぜ」


 さっきまで怯えていたのはどこへやら、勇磨は満更でもない様子だ。

 わだかまりが無くなって、何となくすっきりとした顔で二人は並んで校舎を出る。


「なんか私のせいで昨日あんまし寝れてないんじゃない? 目の下にクマができてるよ」


 何気ない楓の一言だったが、勇磨は心臓が止まりそうになった。

 まさか深夜にラブぽよを見ていたなんてこと知られたら、完全に切れられるに決まっていた。

 楓をチラチラ見てはラブぽよ2号と重ね合わせてしまう勇磨であった。

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