第24話 お友だちからということで
「時任さん」
朝の並木道、少し考えごとをしながら歩いていたひかりに、誠司が小走りに追いついてきた。
「あ、高木君、おはよう」
「おはよう。昨日あれからどうだった?」
誠司に尋ねられて、ひかりは歩きながら反芻していた昨日の楓とのやり取りを思い出す。
あれから楓はしつこくひかりに、誠司のことを問い詰めてきたのだった。
「ねえひかり。私のことよりあんた高木君のことどう思ってるの?」
まじまじと真正面から訊かれてひかりは黙り込む。
「何だかじれったいのよね。二人はどうだか知らないけど周りはやきもきしてるんだから」
楓の性格上、なかなか進展しない二人の関係に少しお節介をしたくなったのだろう。うつむいてしまったひかりに、お構いなしに踏み込んできた。
「ひかりこそ、もういい加減告白しなよ。実はもしかして、もうしちゃったとか、されちゃったとか?」
楓は今日こそはと詰め寄る。
「私たちそんなんじゃないの」
ひかりはもう楓と目を合わそうとしない。
「私のことばっかり訊いてひかりずるいよ。中学の時に好きな人ができたら言い合うって約束したよね」
向き合って話をしないひかりに、不満顔を見せながら楓はさらに詰め寄った。
「好きなんでしょ。高木君のこと」
楓がうつむいたひかりの顔を覗き込む。
次の瞬間、楓の表情が変わった。
「ごめん、ひかり、私言い過ぎた」
ひかりはまつ毛を濡らして泣いていた。
二人でいるときに、ふと寂しそうな表情をすることが多くなったあの人。
想いを口にしてしまえば簡単に壊れてしまいそうな恋。
前に一歩も踏み出せないでいるのが悲しかった。
「ごめんひかり、もう言わない」
「楓のせいじゃないの。楓は悪くないの。私の問題なの」
ひかりは楓に抱きかかえられ、それからしばらく泣いたのだった。
「どうしたの?」
どうも様子のおかしいひかりを心配して誠司が声をかける。
「何かあった?」
沈んだ気分を振り払うように軽く頭を振って、ひかりは何でもないとこたえた。
「昨日私の方はうまくいったよ。楓も今日、新君にお礼言うって言ってた」
「そう。良かった。実は勇磨より橘さんのこと心配してたんだ。勇磨なんて明日学校に行ったら何されるんだろうって怯えてたんだから」
「あの新君が? なんか可愛い」
ひかりの表情が少し明るくなった。
誠司は少し笑顔の戻ったひかりに、ほっとした顔を見せた。
「やっと笑ってくれた」
「え?」
やや困惑気味に返したひかりに、誠司が明るい笑顔を見せた。
「あ、勇磨だ。時任さん、勇磨のとこまで競争しようよ。俺負けちゃうと思うけど」
先に駆けだした誠司の後をひかりは駆けだす。
「待って、高木君ずるい!」
誠司の背を追いかけながらひかりは思っていた。
私もったいないことしてた。私が笑ってたらあんな笑顔をずっと返してくれてたんだ。
ひかりの足が跳ねるように地を蹴るたびに黒髪が揺れ光を集める。
誠司は振り返りその姿を眩し気に見るのだった。
「ちょっと話があるの」
楓に呼び出された階段の踊り場。勇磨の表情は暗かった。
こいつに呼び出されるより不良グループに呼びだされた方が気楽だよ。
勇磨は何を言われるか相当ビビっていた。
昨日誠司に色々愚痴を聞いてもらってすっきりしたが、結局何の対策もないまま学校に来てしまった。
たらりと背中に冷たい汗が流れるのを勇磨は感じていた。
そして一歩、楓が無言で近づいてくる。
「ひっ!」
反射的にたじろいだ勇磨だったが、楓はというと後ろに手を組んだままもじもじしているだけだった。
「そんなに緊張しないでよ」
頬のあたりを薄っすら紅く染めて、上目遣いで勇磨を見ている。
なんかいつもと様子が違うぞと勇磨は余計に身構えた。
「私だってちょっと緊張してるんだから」
楓がなんだかしおらしいので勇磨は先に言っておこうと思った。
「あのさ、昨日はおれ頭にきてなんか色々言っちゃってたみたいで、特に最後のほうはやらかしちゃったかもって……」
「いいよ」
楓は勇磨の話を遮った。
「私、新が言ってくれて良かったと思ってる……」
楓はほんの少し頬を紅潮させながら、いつもより小さな声で話す。
訳の分からぬまま、いぶかし気な面持ちで勇磨は大人しく話を聞くことにした。
「あんな風に私のこと思ってたのにはびっくりしたけど、本当はちょっと嬉しかった」
あんな風にってなんだ? いやしかし、ここで迂闊なことを口にしたらまずいんだろうな……。
「なんだか見直しちゃった」
「そ、そうなの?」
「うん……」
また少し、もじもじしながら、足元ばかりに視線を落として楓は続ける。
「それまではなんか私のこと滅茶苦茶見てるくるから、体目当てのいやらしいやつって思ってたけど」
勇磨は見てねーと反論したかったが、話を遮ったらややこしそうなのでグッとこらえた。
「誤解してた。ごめんね」
ひとつ誤解が解けて、またさらなる誤解をしている楓だった。
「それで返事なんだけど、私まだ新のことあんまり知らないし、もっと時間欲しいんだ」
なに返事って? またこいつ全力で変な方に走ってる?
また何か妄想に憑りつかれている感じの楓に、勇磨はもう何も言わなかった。
「とりあえず。ひかりと高木君のこともあるし、仲良くしましょうよ。友達からってことで」
楓が手を出して握手を求める。
勇磨もつられて手を伸ばす。
「ありがとね。助けてくれて」
なんだかうまくまとまった感じに、ようやく緊張が解け、差し出されたその手を力強く勇磨は握り返した。
「お安い御用だよ」
やや照れつつ笑顔を見せる楓にお礼を言われて、勇磨もまんざらでも無さそうだった。
機嫌よく教室に戻ってきた楓の雰囲気に、ひかりはやっと人心地ついた。
「どうだった? うまくまとまった?」
何も言わずとも首尾が上々だったことは、ありありと楓の表情から見て取れた。
「もうばっちり。あいつとこんなにちゃんと話したの初めてでなんか緊張したけど、友達からねって言えたし、それで納得してたみたい」
「良かったね」
ひかりは前回の美脚騒動で勇磨に相当迷惑をかけてしまっていたので、心からほっとした。
「ひかり、ひょっとしたら私、今モテ期かもしれないわ」
「えっ?」
「なんか立て続けにこう、波みたいのが来てるの感じるのよ。もうちょっと待ってたらすっごいのが現れるかも」
あの二人も頭数に入れてるんだ。ひかりは楓のポジティブさに舌を巻いた。
「この勢いで大波に乗って理想のひと現れないかなー。あとで今週の星占い見とこ」
上機嫌の楓を横目に、滑り止めにされた勇磨のことが少し可愛そうに思えたひかりだった。
お昼休み。美術室で向かい合ってお弁当を食べ終えたあと、ひかりは楓と勇磨のことを誠司に報告していた。
「一応上手くまとまったけど、楓がまた私の想像を越えてきちゃって」
「勇磨は本命が現れたら捨てられそうだね。あいつもその立ち位置にいるのを知らない方がいいだろうな」
「うん。内緒にしててね」
ひかりは誠司のコップに手を伸ばし、湯気の立つお茶を注ぐ。
「いつもありがとう」
誠司にそう言われるたびに、ひかりの胸の中は温かくなる。
二人はお互いにあまり視線を合わせられないまま他愛もない話をする。
そうしているうちに、ふと立てかけられていた油彩画を見て、ひかりは思い出したように誠司に尋ねた。
「そう言えばこの間、楓に訊かれたんだ。高木君ってどうして二年の時、コンクールに絵を出品しなかったのかなって」
「え、ああ、それはその……」
誠司は少し答えにくそうに視線を泳がせた。
ひかりはなにか理由がありそうなのを察して、それ以上訊こうとはしなかった。
「きっと色々あるよね。気にしないでね」
そんなひかりの気遣いに応えたかったのか、誠司はその先を続けた。
「いや、その、あれなんだ。どうしても描きたいものが出来てしまってそれで……」
「それで?」
「それで、その、そちらに集中したくて見送ったんだ……」
「なんだ、そうだったんだ」
質問に応えた誠司は、またひかりの淹れてくれたカップに口を付けた。
ひかりも同じ様に湯気の立つカップに口を付ける。
またお互いに目が合ってしまって、視線をカップに戻す。
予鈴が鳴るまでのほんのつかの間、美術室に今日も歯痒い時間が流れていた。
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