第23話 知らない間の泥沼
学校からほど近い勇磨の家に、誠司は久しぶりにお邪魔していた。
「そう言えば怪我してから来てなかったな」
「ああ、これからまたちょくちょく寄ってくれ」
勇磨は三人兄弟の長男。中二の弟と小五の妹がいる。
勇磨は弟と同じ部屋を共用しているので、誠司は弟が部活から戻るまでには大体いつも帰っていた。
話し声が聴こえたようで、玄関で靴を脱ごうとしていた誠司に女の子が奥から顔をのぞかせた。
「あ、誠ちゃん久しぶりだね」
妹の千恵はどう言う訳か誠司によくなついている。
「千恵ちゃん、ちょっと大きくなったんじゃない?」
「分かる? 最近ね、夏休み前から1センチも伸びたの。ね、お兄ちゃん、あとで部屋行っていい?」
千恵は誠司と遊びたそうだ。
「今日はダメ。大事な話あるんだ。宿題してろ」
「ケチ!」
勇磨は妹を追い払って自分の部屋に落ち着くと、しばらくして誠司に真顔で尋ねた。
「で、おれ、何言ってたの?」
今日のラブレター? 事件で、勇磨が楓の前で罵った内容が問題だった。
興奮して適当に罵ってしまった勇磨は、自分で何と言ったのか殆ど覚えていなかった。
一部始終聴いていた誠司は、このくそがと叫んだくだりから話して聞かせた。
「で、最後は今後一切橘の前に現れんじゃねえ。もし次にこいつを泣かしやがったら俺はお前らを絶対に許さねえ。って、おまえちょっと舞台演劇とかに影響されてるのか?」
「おれが、そんな恥ずかしいことを?」
話を聞き終えて、勇磨は畳の一点を見つめたまま呆然としている。
「ああ、聞いてるこっちが恥ずかしくなるほどな」
「なんてことだ……ただでさえとんでもなく勘違いして周りを滅茶苦茶にするやばい奴に、いっぱいエサをやってしまった」
「ああ、今頃腹いっぱいだろうな」
誠司は動揺している勇磨を面白そうに眺める。
勇磨は坊主頭を抱えて青ざめている。
「そういえば時任さん帰り際、橘さんの家で作戦会議するとか言ってたな」
「なに? おれの残りの学園生活を潰す算段か?」
たまらず勇磨は誠司に泣きついた。
「ただでさえあいつのせいでクラスの女子から変態扱いされてるんだぜ。俺が廊下を歩けばみんなスカートを抑えるぐらいに、おかしな意味で女子にマークされて迷惑してるんだ。これ以上何かされるのか? 俺、登校拒否しようかな」
それは天然脚線美娘からきた勇磨のあらぬ噂だった。そのことについては誠司もひかりも重く責任を感じていた。
「いや、しかし今回間違ったことは言ってなかったし」
誠司は暗く沈んだ勇磨を慰めようとした。
「どう受け止めるかは橘さん次第だから。それに時任さんもフォローしてくれると思うし」
勇磨は誠司を暗い目で見つめる。
「その時任のフォローのせいで俺は今変態になってるんじゃないか」
そのとおりだった。
一方、楓の家に立ち寄ったひかりは楓の母に絡まれていた。
「あらー、ひかりちゃん。やっときてくれたの、おばちゃん寂しかったのよ」
ドアを開けてのこのテンション。まぎれもなく楓の母だった。
「相変わらず少女漫画のヒロインやってるのね、それになんか前より可愛くなってるみたい。携帯で写真撮らせてね」
「もうお母さんったら、後で私にも送ってよね」
この母にしてこの娘あり。ひかりは分かっていたことなので、されるがままだった。
楓の母にポーズを取らされ何枚か写真を撮られた後、解放されたひかりは楓の部屋で一息ついていた。
「どう、楓、もう落ち着いた?」
ひかりは普段と変わらない様子の楓に一応訊いた。
流石に二度もあのちょっと変わった二人に告白されて激怒していたのを目の当たりにしていたので、少しは引きずっていてもおかしくないだろうと思ったのだった。
「あの二人のことなんか気にしないでいいんだからね」
「あの二人? あーあの細いのと太いのね。そんなことより新のことなんだけど」
楓の頭の中にはもうすでにあの二人のことは殆ど残ってないらしい。
まあそのことは良かったと言っていいのだが……。
「あれって公開告白って考えていいんだよね」
うっとりとした瞳で、楓は本題に入った。
やっぱり。
ひかりは楓のことだからそっちに走るに違いないと思っていた。
「どうかなー? なんて言ってたか忘れちゃったかなー」
「ちょっとしっかりしてよ。ひかりは数少ない生き証人なんだからね」
そして楓は今日あったことを美的に回想する。
「まあいいわ。ちょっと整理してみるとこんな感じだったわ。責められて傷ついた私をかばってこう言ったのよね……」
そして楓は何もない壁の一点をビシッと指さした。
「君たちに彼女の何が分かるというんだ。このドブネズミめ! って言ったでしょ」
楓は台詞を思い出しながらノートにメモを取りだした。
「そうだったかな? ドブネズミとは言ってなかったような気がするけど」
その前のセリフも怪しかったがそこは黙っていた。
「そんで次はね」
楓は軽快にどんどん回想する。
「美少女キャラみたいな外見ばかり見て、君たちは彼女の何を知っているんだ。と」
楓はすらすらペンを走らせていく。もうひかりに確認すらしようとしていなかった。
「友情に厚くて、可愛くて、明るくて、聡明で、芯が強くて、そんでえーと他になんか言ってたっけ?」
「活発で真っ直ぐと言ってたよ」
なんだか増えているような気がしたが、そこも黙っとこう。
「十万円の抱き枕は粗大ゴミだって言ってたような気がするけど、まあそこはいいや」
「そこはざっくりなのね」
「その粗大ごみと私を一緒にするなって? これどういう意味かな?」
「さー? もうそこはいいんじゃない。次行こうよ」
「そんで謝らせてから、この次が盛り上がっちゃうのよね」
楓は思いだしながらうっとりとした表情を浮かべる。
「君たち今後一切彼女の前に姿を見せるんじゃないぞ。もし次に彼女を泣かせるようなことをしたら、僕は決して君たちを許さない」
歌劇団の舞台で男役が台詞を言うみたいに、楓は役に入り込んでいた。
「と、こんな感じだったような気がするけど、どうかな?」
「そうね。うん。少し言葉が上品になってるけど大体あってると思う」
「最後にドブネズミたちめって言ってたかしら?」
「言ってなかったと思う。ドブネズミは一回も登場しなかったと思うよ」
今日楓の家に寄って良かった。ひかりはつくづく思った。
何の対策もしないで明日楓と新君が会ったらと思うと恐ろしかった。
楓はノートを取り終えると、これで良しと言って、本題を切り出した。
「なんて返事しようかな?」
ひかりはここからが大事だと思った。
「返事するの?」
楓はもじもじしている。
「前も私しか見てないって言ってたから二回目だし……そりゃ、あんな奴でも告白したのをほったらかしにするって訳にもいかないし、それにあんまじらしても可愛そうじゃん」
「楓の気持ちはどうなの?」
色々誤解していそうな点については適当に合わせておくだけにしておいて、ひかりは肝心なことを訊いた。
「そうねえ、実際のところあいつのことあんまよく知らないのよね。あいつはずっと私のこと追い回してたけど、私は眼中になかったっていうかそんな感じだったから」
勢いの止まらない楓に、いったいどこまでが現実でどこからが妄想なのか、頭の中を覗いてみたくなった。
「なんか今日は急に意識しちゃったけど、初めて付き合う相手としたらなんかイメージしてたのと違うっていうか……」
楓は腕組みして、うーんと唸りながら思案する。
「そうなんだ。じゃあお友達からって感じなのかな?」
ひかりは我ながらナイス落とし込みができたと思った。
「そう。そうよね。二回も告って、フラれちゃったらいくら何でもだもんね。顔も性格もあんまりタイプじゃないけど、ちょっといいとこあるし、もう少し様子を見てあげるってのもいいかもね」
この場に新君がいたら大喧嘩だろうなと思いながら、うまく話に乗ってくれたことにひかりはほっとしていた。
「明日、今日のお礼を言って、お友達になろうって言ってあげたら新君喜ぶんじゃないかな」
「そうね、私と付き合えるかもって希望を残しといてあげようかな。今日のお礼にね」
いったい楓の目に勇磨はどう映っているのだろうか、ひかりは勢いの止まらない楓の嬉しそうな顔をただ眺める。
一つ間違いないのは、あのオタクの二人には激怒していたのに、勇磨が相手なら上機嫌だということだ。
あまり普段仲良さそうにしている感じではないけれど、楓も案外気になっているのかも知れない。
その真意を見てみたいなと思いつつ、楓の顔をじっと見つめていると、ふいに楓がこう言った。
「でも私のタイプ的には、あいつより高木君のほうかな」
「高木君はダメ!」
ひかりは反射的に言ってしまい頬を染めた。
不覚にも楓に誘導されて、隠していた本心を吐露してしまった形になった。
「やっぱりねー」
楓はひかりをからかって、うふふと悪女の顔を見せる。
「私帰る!」
頬を膨らませて部屋を出ていこうとするひかりを、楓は必死になだめるのだった。
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