第25話 勉強会にて

 日曜日、楓の家に集まって次の定期試験の勉強をしようということになった。

 ノートをきちんと取れていない誠司を気遣って、ひかりが声を掛けてくれたのだった。

 そしてこの間の騒動のこともあって、勇磨と楓は一応正式なお友だちという関係に発展していた。

 参加するかどうか分からなかったが、誠司はこの勉強会に勇磨も誘ってみた。


「勉強会だけど、お前どうする? 橘さんの部屋使わせてくれるって時任さんが言ってたんだけど」

「橘の部屋でか……俺も行ってみようかな」


 長い付き合いの誠司は、勇磨が相当女の子の部屋に上がりこめるということに関心を示しているのを察していた。


 ひょっとしてやっぱりこいつ橘さんのことを……。


 苦手だと言いつつ喜んでついてきた勇磨に、どうなんだろうなと誠司は考えさせられるのだった。



 そういう訳で、なんとなく勇磨も誠司に付いて来た。

 玄関に入るなり楓の母に、それはもう好奇の目で全身を舐めまわすように見られ、どっちが彼氏なのと質問攻めにされた。

 当然、何言ってるのと楓は突っぱねていたけれど、楓の母の視線は最後まで二人に突き刺さったままだった。

 やっと楓の部屋に通された男子二人は、初めての女子の部屋にやや落ち着かない様子で、出されたお茶に口をつけていた。

 特に勇磨は遠慮しつつも、がっつり楓の部屋を隅々まで眺めていた。


「さっきはごめんね。お母さんたらどっちが私の彼氏なのかってしつこく訊いてきちゃったわね」

「グイグイ来る人だったな。まあそれはいいとして、おまえのかーちゃんお前とそっくりだな。顔もそうだけど雰囲気といい、あの勢いといい」


 勇磨は素直な感想を述べた。


「そう? ひかりにもよく言われるんだ。実感ないけど」


 そのまま歳いったらあんなんだよ。


 言いかけて勇磨はやめた。最近楓としゃべるときは口に出す前によく考えるようにしている。


「お母さん、ひかりが来るたびにいっつも写真撮るの。自分の娘じゃなくひかりの写真待ち受けにしてるってどういうことよ」


 そりゃ顔だろ。


 もちろん勇磨はそれも口に出さなかった。


「私、お母さんが撮った写真いっつも転送してもらってるんだ。こないだ撮ったのはこれだよ」


 そう言うと楓は自分の携帯画面をみんなに見えるようにした。

 すかさず画面のひかりを誠司は食い入るように凝視する。


「ちょっとやめて。楓もうしまってよ」


 ひかりは少し紅くなって楓から携帯を取り上げた。


「携帯だけで100枚ぐらいあるんだ。高木君携帯持ってるよね?」


 誠司と勇磨は首を横に振った。


「あんたには聞いてないけど、なに? 二人とも携帯持ってないの?」


 特に恥ずかしがることもなく二人は頷く。


「今時、全校生徒探してもあんたらだけだよ持ってないの、逆に目立つわ」

「だって必要性感じねーし」


 勇磨はくだらないと吐き捨てた。


「だからあんたには聞いてないわよ」


 楓はいちいち会話に割り込んでくる勇磨を無視して誠司に詰め寄った。


「ね、高木君。携帯持ったら? 私ひかりの写真全部転送したげるよ」

「かえで!」


 ひかりは楓の脇腹をギュッとつねった。


「イタイイタイ。やめて。私が悪うございました」


 そんなひかりと楓のやり取りを前に、勇磨は誠司が何を考えているのかを観察していた。

 携帯買おうかな。誠司の顔にはそう書いてあった。



 四人は狭い座卓を囲んでそれぞれの筆記用具を鞄から出すと、さあ取り掛かろうと意気込んだ。

 楓はちょっと勿体ぶった感じで、用意していたあれを誠司に渡した。


「これ、私がちゃんと取っといたノートのコピー。役立ててね」

「ありがとう橘さん」


 誠司はきれいにクリップで止められているコピーを受け取った。

 そしてひかりも鞄からファイルを取り出す。


「私は英語と化学と古文。実は楓と分担してたんだ」


 ひかりは同じように綺麗に閉じたコピーを誠司に手渡した。


「時任さん、橘さん、二人ともありがとう。本当に助かります」


 誠司に感謝され、ひかりと楓は少し照れ笑いを浮かべた。

 そして黙ったままの勇磨に向かって、楓は口元にニヒルな笑みを浮かべた。


「で、新君はなんだったっけ?」

「おれは、なんもない……」


 消え入りそうな声で小さくなる勇磨を見かねて、ひかりはやめなさいと楓を窘める。

 その間に、誠司は先にひかりの作ってくれたコピーをめくりながら感心していた。


「時任さんのコピーすごい分かりやすいね。解説まで書いてくれてて大変だったんじゃない?」

「えー。私にも見せて」


 楓は誠司の手からひかりのコピーを奪うと、ペラペラめくって見だしたのだが、途中で顔色が変わってきた。


「なに? 何か変だった?」


 明らかに動揺している楓の様子にひかりは不安になる。


「へへー」


 ひきつった笑いを浮かべながら楓は誠司にコピーを返すと、さっき自分が渡したコピーを誠司からサッと取り上げた。


「なに楓? まさか!」


 ひかりは、「返してー」と言う楓からコピーを取り上げた。

 そしてその中身をざっと見ているうちに、ひかりの顔色が変わってきた。


「なにこれ、あっちこっち歯抜けじゃない」

「だって問題解けなかったんだもん」

「数学の解答間違いまくってるじゃない」

「仕方ないじゃない。間違ってるかわからないし」

「歴史の年号も間違ってるじゃない」

「だって私歴史が一番嫌いなんだもん」

「何よこの漫画は(私の顔?)なんでこんなあっちこっちに描いてるのよ(全ページじゃない)」

「いや、なんか高木君が勉強しながら和んでくれたらなあーって……」


 勇磨は楓の追いつめられる様子を嬉々として眺めている。


「やっぱ俺がノートを……」

「あんたは黙ってろ!」


 楓が吼えた。


「ごめんね、高木君。私の他の教科のノートも使って」

「あ、ありがとう。使わせてもらうよ」


 ひかりは楓のコピーを自分の鞄の中にしまった。

 楓は結構落ち込んでいるみたいだった。


「橘さんも勇磨も気持ちすごく嬉しいよ。本当にありがとう。またあらためてみんなにはお礼するからね」


 誠司の声は二人には届いていない。

 役立たずのレッテルを貼られた楓は、勇磨と一緒に小さくなったように見えた。



 いつも成績上位のひかりが三人を引っ張るような形で勉強会は順調に進行した。

 追いつこうと頑張る誠司に影響されてか、楓と勇磨もそれなりに頑張っていた。

 あっという間に時間が過ぎ、夕日が窓から差し込んできたので、そろそろお開きにしようかと楓が言い出した。


「ふー、疲れたー」


 楓はあおむけになって思い切り伸びをした。

 勇磨はでかい欠伸あくびをして眠たそうだ。

 皆が筆を置いた中、誠司だけがまだ机に向かって奮闘していた。

 慣れない左手で字を書いている誠司はもう少しかかりそうだった。

 そんな一生懸命な誠司をひかりはじっと見ている。


「左手でもうそんなに書けるようになったんだ」


 お世辞にも綺麗な字ではなかったが、夏に宿題をしていた時よりも早く書けるようになり、ある程度読めるくらいの字を誠司はこのひと月で書けるようになっていた。


「すごい練習したんだね」


 誠司の頑張る姿をずっと見て来たひかりは感慨深げにそう呟いた。


「汚い字で恥ずかしいな……」


 誠司は照れながら腕で文字を隠した。


「隠さなくっていいんだよ。とってもいい字。私好き」


 言ってしまってひかりはハッとする。

 誠司の手が止まる。ひかりは真正面から誠司と目が合い赤面する。


「嬉しいよ。ありがとう……」


 夕日の中、誠司の頬はひかりと同じ色に染まる。

 二人とも言葉が続かなくなりしばし見つめあう。


「あの、ごゆっくり……」


 雰囲気に耐えられず、楓と勇磨は部屋から立ち去ろうとしていた。


「いや、待って、行かないで」


 ひかりは我に返り、慌てて二人を引き留める。

 誠司もひかりも隙だらけであった。

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