第21話 悩める勇磨

 勇磨は迷っていた。

 弟と共用で使っている狭い部屋の布団の上で、なかなか寝付けずに悶々としていた。

 野球部の弟はいつも練習疲れか早くに就寝する。勇磨は軽くいびきをかいている丸坊主の後頭部を、気楽でいいなと羨ましく思いながら、またため息をついた。

 昨日の晩からずっと勇磨はらしくなく、誠司のことで悩み悩みぬいていた。


「いい加減ひかりのこと解放してやれよ」


 怪我をした手がもう元に戻らないことを知らない無責任な梶原の言ったことを、誠司はどう受け止めたのか。

 明らかにあの後、様子が変だった。

 先日、誠司から勇磨にだけ話しておくと、もう手が元に戻らないことを打ち明けられた。

 担任の島田だけは知ってるが、他の生徒には秘密にしておいてくれと言われ、絶対ひかりには言わないでくれと念を押されていた。

 だが正直、誠司の為と思い自分がしたことが原因で、あんなにつらい顔をさせてしまったことに勇磨は勇磨なりにかなりこたえていた。


 誠ちゃんと時任がうまくいって欲しいだけなのにな……。

 誰かに相談できたらなあ。


 珍しく弱気になって勇磨は思い悩む。


 島田は黙って見ていろと言うばかりだし、時任には口が裂けても言えんし。

 後は……あいつか。


 勇磨の頭に脳天気な楓の顔が浮かんできた。


 ないない。いま、俺恐ろしいこと考えてた。

 あいつはかき回すの専門のやつだぞ。

 ……でも時任のことめちゃくちゃ大事にしてるし、誠ちゃんのノートも真面目にとってるようだし……。

 俺のことラオウみたいって、なんか妙に核心ついてくるときあるし。


 それはただの思い込みであったが、勇磨はかなり気に入っていた。


 あいつに相談してみようかな。


 過度のストレスと心細さからか、何かに縋りたかったのだろう。恐々としつつもも、勇磨は行ってはいけない方向へと足を踏みだそうとしていた。


 よし決めた。しかし……賭けだな……。


 果たして勇磨の選択は正しかったのか。

 普通に考えて絶対に賭けてはいけないダークホースに、勇磨は一抹の恐怖を覚えながら賭けてみるのだった。



 翌日の朝。

 朝日が射し込む靴箱の前、結局、通学途中も相談するべきか、やっぱり止した方がいいか悩んでいた勇磨だったが、ばったり靴箱で楓と遭遇してしまったので、思い切って声を掛けてみた。


「橘、ちょっといいか」


 丁度上靴に履き替え終わった時に声を掛けられた楓は、あからさまに不愛想な感じで振り返った。


「なによ」


 最近、誠司とひかりを通じて、なんとなく交流のある二人だったが、楓の反応は結構いつも冷たかった。


「あっ」


 思い出したように鞄で脚を隠す。


「あんた、また見てたでしょ。もうやめてよね」


 天然脚線美娘。実は天然逆噴射娘と言いたかったのだが、訂正はするなと誠司には固く言われていた。


「見てねーし」

「見てたわよ。いやらしい」


 いい加減変態扱いされるのにも慣れてきた勇磨だった。


「あんた、ほんと気をつけなさいよね。こないだの交流戦の時も新に見られてたってクラスの女子全員がひいてたわよ」


 俺のことをとんでもないスケベだって言いふらしてたのはおまえじゃねーか。心の中で叫んだ。


「俺、あいつらの脚なんて興味ねえっつーの」


 勇磨が反論すると、楓の動きがピタリと止まった。


 おかしい。いつもなら噛みついてきそうだが。


「きゅ、急にそんなこと言わないでよ」

「?」

「私のことしか見てなかったなんて急に言われても」


 そうきたかー!


 楓は恥ずかし気に頬を紅く染め。少し肩をすくめて見せた。


「馬鹿」


 ルンルンと弾むステップで遠ざかる楓に、勇磨は用事があったことをしばらく忘れて立ち尽くしていた。



 楓は教室に入るなり、ひかりを捉まえて、早速さっきのことを報告していた。


「でね、あいつ靴箱の前で私を呼び止めて、いきなり告るから私びっくりしちゃって」

「そうなんだ。で、なんて言われたの?」

「私のことしか見えないんだって」

「新君すごいこと言うのね。なんかそんな感じじゃないけど」

「そうなの。そんなタイプじゃないのに言わせちゃった私が罪深いんだけど」


 自慢げに腕を組んだまま楓はふんぞり返る。


「それからどうしたの? 楓はなんて言ったの?」

「えーと。なんだっけ」


 楓は眉間に皴を寄せて記憶を辿った。


「確か、馬鹿って言ったような」

「え、なに、それだけ?」

「そうそれだけ」


 フフフと笑う楓を、ひかりは疑わしいといった顔で見つめる。

 そして盛り上がる楓の視界にも入ることなく、疲れた顔で教室に入ってきた勇磨だった。


 ダメだ。やっぱりあいつかき回すの専門のやつだわ。


 でかい笑い声で早速ひかりにとんでもない勘違いを報告している楓を見て、勇磨はどっと疲れていた。


 おれ、やっぱり一人で頑張ろう。


 一時の気の迷いで、とんでもない奴に相談しようとしていたことを猛省したのだった。



「新君」

 

 放課後、教室で帰り支度をする勇磨の手を止めさせたのは、ひかりの声だった。

 いつも一緒にいる楓の姿はない。

 取り敢えずややこしいのがいなかったので勇磨は安堵した。


「なんかごめんね。楓がまた何か勘違いして騒いじゃって」


 ひかりは手を合わせて謝った。

 誤解を解かずとも、察してくれていたようだ。


「いいです。もう慣れました」

「どうしたの? なんかいつもの元気なくない?」

「そうなんだ。実は……はっ!」


 言いかけて勇磨は我に返った。

 危ない。この天然癒し系の口車でペラペラ何もかも吐いてしまうところだった。


「元気。おれ、元気。元気にしか見えん」

「どうしたの? でもそのほうがいいね」


 ひかりはくすくす笑う。


「まあな」


 くそ、どうもこいつと橘が絡むと調子が狂うっていうか。


「で、あの一応確認したいんだけれど」

「は? なに?」

「楓に告白した?」

「なんですと!」

「いや、ひょっとしてと思って」

「するわけねーだろ! さてはおまえも俺を陥れようとしてるのか? なんて恐ろしい奴らだ」

「そんなつもりじゃなくって一応確認だけ。だって楓ったらずっとご機嫌でよっぽど嬉しかったのかなーって思ったの。前に漫研の山田君と美少女アニメフィギュアコレクターで名高い山本君に告白されたときは、もう滅茶苦茶怒ってたから」


 ひかりが名前を挙げた二人は、学校で一二を争うアニメオタクだった。彼らは虚構と現実世界の境界すらもう分からなくなっているようで、いつもうつろな目をして学園内をうろついている怖い奴らだった。

 勇磨は漫研の山田と怪しい山本を思い浮かべて背筋がゾクッとした。


「確かにあいつらじゃ橘も気の毒だな。しかしあいつらの住む世界は二次元のはず。三次元の女に関心はないはずだが」

「なんでもアニメのキャラに楓が激似してたって話で、二人とも殆ど同時期に楓に告白したんだって」

「ひでー話だな。あいつに同情するよ」

 

 そう勇磨が言った途端、ひかりが急に声を上げた。


「あっ」


 ひかりは両手で口を押えた。


「今の話、聞かなかったことにして。楓に口外禁止だって言われてた」


 何気に口を押えるしぐさに、勇磨は以前楓が言っていたことを思い出して感心していた。


 少女漫画のヒロインか、橘はなかなか的確な表現をするな。


 ちょっと横道にそれたが、ひかりの話はまだ続いていた。


「怒らないで聞いてね……私ちょっと新君が楓のこと本気で思ってくれてたらいいなーって思ってたんだ」


 勇磨は思わず座っていた椅子から飛び上がりかけた。


「お、お前、俺をいたぶって何が面白いんだ?」

「そんなつもりないよ。ただ」


 ひかりは楓の席に目を移す。


「あの子、本当に嬉しそうだったから」


 勇磨もひかりの視線の先にある窓側の席に目を向けた。

 カーテンがなびいて涼しい風が入り込んできた。


「じゃあ、俺帰るわ。部活がんばれよ」


 なんとなくいたたまれなくて勇磨は席を立つ。


「高木君ね……」


 ひかりが小さく口を開いた。


「なんだか最近元気ないような気がするの」


 勇磨は唇を噛む。

 ひかりは誠司の変化に気が付いている。


「こないだの怪我、まだ痛いって言ってたからそのせいじゃないかな」

「うん、きっとそうだね」


 胸に手を当てて何かを考えるひかりを残して勇磨は教室を出た。


 どうしたらいいんだ。


 勇磨はもう一度ダークホースに賭けてみようかと廊下を走りながら考えていた。

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