第20話 校舎裏の謝罪
「おい。ちょっと顔かせ」
六組の教室に乗り込んできた勇磨が声をかけたのは、丁度三人程の連れたちと話し込んでいた梶原だった。
「あ、新……」
明らかに不機嫌そうな勇磨に、取り巻きの連中はたじろいだ。
殆どの男子生徒は勇磨のことを、ちょっと怖い奴だという風に平素から見ていた。
「な、なんだお前」
梶原も動揺していそうだった。席から立ち上がると勇磨よりも頭半分ほど身長が高い。
「話がある。ちょっと付き合え」
ぶっきらぼうな勇磨の迫力に押されながらも梶原は突っぱねる。
「俺はお前に用なんかない。出てけよ」
「やだね」
勇磨はムスッとした顔のまま、簡単に梶原の言葉を跳ね返した。
一触即発で喧嘩に発展しかねない雰囲気に、周囲の生徒達も無関心ではいられなくなった。
教室にいた者全員が険悪な二人に注目する。
「昨日のことだ。クラスの奴に聞かれていい話じゃないだろ」
「お前……」
梶原を階段の踊り場まで連れ出した勇磨は、いきなり胸ぐらをつかんだ。
咄嗟に目をつぶって梶原は腕で顔をかばおうとする。
「殴らねーよ」
そしてすぐに手を放す。
「おまえ、自分のやったこと分かってんのか」
勇磨の追及に梶原は服装を直す。何とか平静を保とうとしているようにも見えた。
「何のことだ」
「お前が俺の友達にしたことだよ」
「なんだよ試合中の事故のことか」
勇磨の迫力に梶原はたじろいではいるものの、悪びれた様子もない。
「おれも熱くなってああなったけど、あんなの試合してたらしょっちゅう有ることだぜ。お前も空手やってるんだからそのぐらい分かるだろ」
梶原は誰かに指摘された時のために予め答を用意していた。
故意であるという証拠がない限り、何をやっても競技中の事故になると計算していたのだった。
「ああ、事故ならな」
「そういうことだ。分かったんなら、もう俺行くわ」
その場を立ち去ろうとする梶原の腕を勇磨が掴む。
「待て」
勇磨の声に凄みが増す。
「正直に言えよ。わざとなんだろ」
目つき鋭く勇磨は迫った。梶原は目を合わそうとせず何とか立ち去ろうとする。
「証拠はあんのかよ。しつこい奴だな、事故だって言ってるだろ」
梶原は必死になって勇磨の手を振り解こうとするが、その腕は強い力で掴まれたままだった。
「そうか、自分から言う気はないんだな」
勇磨は梶原のかたくなな態度に方針を変えることにした。
「昨日お前の取り巻きに聞いたよ。お前の指示でやったって。お前がどんだけ汚い奴か洗いざらいしゃべってくれたぜ」
「くっそ、あいつら」
さっきまでの余裕が消え、梶原は苦々しく毒づいた。
「証拠なら出したぜ。今から俺と一緒に来て、あいつに謝れ」
「やだね」
「なんだと」
勇磨の鋭い目つきを梶原は睨み返した。
「あいつに謝る気はないね」
勇磨は半ば呆れ顔で仕方ないなとため息をついた。
「もういい。だが、このこと俺は黙ってるつもりはない。時任に全部バラすけどそれでいいんだな」
梶原の顔色が一瞬で変わった。
勇磨は思っていた以上に切札に取っておいたひかりの名が、この卑怯者に効いたことでニヤリとした。
梶原は奥歯を噛み締めた。そして最後に絞り出すように言葉を吐き出した。
「ひかりには言わないでくれ……」
諦めた様に肩を落とした梶原は大人しく勇磨について行った。
「悪かったよ」
校舎裏で梶原は誠司に謝った。
どう見ても心がこもっていない。嫌々言わされているだけという感じだった。
「これでいいんだろ」
梶原は苦々しく吐き捨てた。何の反省もしていない様子がありありと窺えた。
勇磨はとうてい納得できなかったが誠司にどうだと問いかけた。
「ああ、済んだことだ。もういいよ」
誠司は梶原を簡単に許した。
勇磨は少し拍子抜けした。まあこんな感じになるとは思っていたが……。
「ってことだ。もう帰っていいぞ」
誠司が早速校舎に戻ろうとしていたので勇磨も後に続く。
そんな二人の背中に、何故か梶原は追い縋って来た。
「ちょっと待ってくれ」
呼び止められて、勇磨は意外な顔で振り返った。
さっきまで帰りたそうにしていた梶原が、どういう訳か立ち去らずに必死な面持ちで引き留めてきた。
「なあ、二人とも、今回のことひかりには黙ってると約束してくれないか」
「なんだって? お前、よくその口で言えんな」
愛想笑いを口元に浮かべながら、身勝手な頼みを押し付けてきた梶原に、勇磨は開いた口が塞がらない。
梶原のひかりに対する異様な執着に呆れるしかなかった。
「分かった。言わないよ。勇磨も、な」
あっさりと返す誠司に梶原は安堵の表情を浮かべた。
「誠ちゃんがそういうなら、俺も言わないけどさ」
調子のいい梶原に、なんでてめえの頼みを聞いてやらないといけないんだと罵ってやりたかったが、あまり騒ぎ立てるのも良くないと思い、ぐっとこらえた。
多少物足りなさを感じつつ、勇磨は誠司に続いて梶原に背を向けた。
「じゃあな」
「ちょっと待ってくれ」
校舎に戻ろうとする誠司と勇磨を再び梶原は引き留めた。
「もう一つ頼みがあるんだ」
「なんだお前、厚かましい奴だな。立場わきまえろよ」
勇磨は梶原のしつこさに語気を強めた。
そんな勇磨の感情などものともせずに、梶原はさらなる身勝手なことを言いだした。
「あのさ、手のほうもだいぶ使えるようになったんだろ。バスケもあんなにできてたしさ。ひかりは昔から困ってる人とかに優しくて、お前がいつまでもそんな感じだから手を貸すのやめたくてもやめられないんだと思うんだ」
「おまえ、何が言いたいんだ……」
勇磨はあからさまに苛立った態度を見せた。そうすることで梶原にこれ以上余計なことを言わせないように威圧したつもりだった。
「まあ聞けよ。俺はひかりが可哀そうなんだよ。ただでさえ忙しいのに、お前の世話をやめれないのを見てられないんだ。つまりさ、あいつの親切心や同情心にいつまでも甘えないで欲しいってことなんだよ」
勇磨の威圧をものともせず、梶原はペラペラとしゃべり続けた。
誠司は無言で梶原の話を聞いている。
「お前がいつまでもそんな感じで治ってない姿を見せてたら、ひかりはいつまでもお前の面倒を見てしまうことになるんだよ」
流石に我慢できず、勇磨は梶原のほうに一歩踏みだす。それを誠司はすぐに引き留めた。
梶原は一呼吸置いた。そしてその口から決定的な言葉が漏れ出た。
「いい加減ひかりのこと解放してやれよ」
誠司の目が大きく開く。
勇磨は梶原に掴みかかった。
「お前!」
「よせ!」
拳を振り上げた勇磨を、誠司は強い口調で引き留めた。
「行こう」
足早に歩き出した誠司の横顔はいつもの感じではなかった。
勇磨は梶原を誠司に引き合わせたことを深く後悔したのだった。
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