第51話 8回表 ■■■■②

《青海視点》


   *


「泡坂と対等に喋れるのは俺だけだ」

 1年と4ヶ月前、置鮎は風祭にそう言った。

「ピッチャーとしてあいつと張りあえるのは全国で俺だけだ。俺たち二人と他の投手との実力差は隔絶している。……その点を踏まえ風祭、お前のバッティングは。泡坂とは比較にならない」


「あいつを一人にするな風祭」


「コミュ症のあいつがなに考えてるかは全然わかんねぇよ。俺たちを認めてるのか見下してるのか……でもあいつが青海の中心選手だと、投打ともに最強のプレイヤーだと外の人間が思っていることは確かだ。なにせ大事な場面に限ってデカいことを成し遂げやがるからな」


「それがムカつく。!」


「方法は簡単だ。あいつが試合でヘマやって、チームを敗北の危機に追いやって、で、そのときが俺らのリヴェンジの機会だ。俺がマウンドに立って後続を抑え、おまえがあいつが凡退した分バットで取り返すんだ。簡単だろ?」


「俺は準備ができている。おまえはどうだ風祭。そのチャンスときが訪れたとき確実にぶっ放せるか?」


「正直言おう、俺たちは無敵だ。2年の夏の今の時点で1年後のドラフト1位候補、泡坂にも俺にもMLBメジャーのスカウトが声をかけている。青海に敗北の二文字はあり得ない」


「だから敗北を糧に成長することもできない、そうだよな」


「おまえは泡坂より打球を確実に飛ばせない、試合を決められない、相手投手に勝負を避けられない。そうだよな?」


「だったらおまえは毎試合のように敗北しているようなもんだろ。泡坂に」


「眼前の敵を直視しろ!」


   *


「左手だろ? 右利きの左打者のおまえに足りないのは左手の精密動作。インパクトの瞬間左手を押し込む正しい感覚が身についてない。だからアウトコースに投げられたら打球に角度がつかない。小さく変化する球を投げられたら飛距離がでない。今村の受け売りだけどな」


「左手の感覚を養うために授業中も左手でノートをとるようになった。あんなきれいな文字で書いてたのに日本語覚えたての外国人さながらだった。歯磨きも箸を持つ手も左にして不器用さらしてる……」


「ま、その程度の努力やって当たり前なんだがな」


   *


「木製バットで特打(特別打撃練習)か。おまえはミートポイントが狭く飛ばない木のバットに苦戦してた」


「泡坂はもっと早い段階で木製バットを手にしおまえよりもかっ飛ばしているぞ。投げた俺がそう言うんだから間違いない。公式戦は金属バットでもセンスの違いは現れる」


「先達が歩みを緩め待っていてくれるという都合の良い考えはやめろ。泡坂は道を違えない。後進のお前にはその分長足の進歩が求められる」


「泡坂と学年同じなんだからな、忘れるなよ」


   *


「トップレヴェルの投手は最高のボールを投げればトップレヴェルの打者を打ちとれる。投手にとって練習がほぼイコール実戦であり、再現性があるといえる」


「打者は練習でできた会心のバッティングが実戦で再現できるかわからない。どんなボールを投げるか投手が事前に教えてくれないからな」


「練習して日々成長を実感できない。昨日出来たことが今日出来ないことだってあるんだろ。新しく試している技術が本当に正しいことなのか? 本当に自分にあっているのか? それすら判断できない」


「暗中模索。進むべき方向に進んでいるのかわからない……」


「俺は『盲信するしかない』と思う」


   *


「約束は守れよ。あいつをグラウンドで孤独にしない。試合中ピンチになってチームメイトに助けられる――そんな当然の出来事がなかったら高校で野球やってる価値なんてねぇからな。


「俺たちは共犯者だ」


「泡坂を救ってやって感謝されて、それでゲームが終わったらあいつを一日パシリにしてやろうぜ。絶対楽しいぞ。なぁ風祭」


   *


 一塁ランナー今村は風祭の『一塁ベースに戻れ』というジェスチャーを見て、リードを狭めた。ベースのすぐ脇で棒立ちになる。

 青海ベンチがそれを見て騒ぎ始めたが下をむく。

「不合理故に吾信ず」

 ファーストの屋敷は冷や汗を流す。

「3年生がベンチの指示に従わない。傾奇者かよ……」

(ゴロを打ったら二重殺ゲッツー必至だぞ)

 超強豪校のレギュラーが謀反……。

 この今村の行動は理ではない。

 屋敷の心の中を読んだかのように今村は語りかける。

「違うで屋敷。これは『信頼』の証や」

 片城は『アウトローのストライクになるストレート』のサインを桜に送り、投手はうなずいた。

 両足に負った怪我の功名か、打席に立つ風祭の構えに力みがなくなった。

 泰然自若。

 桜が投球動作に入る。同時に片城は強く後悔した。

(どうしてここまで3打席抑えた程度のことで、今大会風祭さんが不調なくらいのことで、この人を軽んじてしまったんだ)


   *


 風祭にアウトコースは安牌ではない。


   *


 風祭の眼には炸裂する桜の豪速球が止まって見えた。

 重圧に潰されかけていた過去の自分を消し去る。

 右足を踏みこみ、スイングを開始した風祭の脳裏には、一瞬先の未来、勝利している自分の姿が浮かんでいた。


 一撃。


 勝因はただ一つ、風祭の左手の押し込みが完璧だったこと。

 

「マジか……」

 泡坂が珍しく叫んだ。

「超えろ!」

 ベンチで置鮎が身を乗り出している。

「遅えよ馬鹿……」


 実況するアナウンサーが声を特大にする。

「痛烈! 一閃! レフトスタンドへ一直線だ! 先制の2ランホームラン! 本日ノーヒットのキャプテン風祭君が最高の仕事をやってのけました! 都大会の決勝戦、ここまで不調の打線を救ったのは風祭君です! 青海の『打』の象徴はゆずらない! 先発・泡坂君を援護する4番の一発で8回の表、試合が動きます――」


  青海00000002  |2

  松濤0000000   |0


 耳が痛くなるような球場全体からの賛辞のなか、風祭は巨体を飛ばし、ほとんど全力疾走でダイヤモンドを一周する(ホームランを打たれた松濤選手たちへの敬意だ)。


 走る行為そのもの対戦相手への示威行為に他ならない。野球におけるホームランというプレーの特殊性、『打球がノーバウンドでフェンスを越え審判がホームランと認め、その瞬間守る側に選択肢は奪われ、攻める側は打者を含めた走者が無条件に、安全に本塁に還ることができる』。他の状況とは違い野手の送球に怯えずホームまで進塁できる。『「安全」であることの愉悦』そのものがホームランを放ったバッターの祝儀セレブレーションなのだ。


 先にホームベースを踏んだ今村が右拳を突き出し、追いついた風祭も控えめに同じポーズをとる。

 泡坂が『称賛』と『敵視』を含んだ視線を送り、風祭と拳をあわせる。

(俺は昇る、どこまでも……)

 黙って親指を突き立てる堂埜監督。それを見て頭を下げる風祭。

 チームメイトが殴りかかる。置鮎が本気で叩いている。佐山が主将の身を気遣い仲間を止めようとする。

 ただ一人、ベンチに座ったままの選手がいた。

 その姿に気づいたのはホームランを放った風祭だけだ。

 退姿

(結果だ。結果がすべてを肯定してしまう……)

 血の気が引いた風祭はその幻想を消し去り、桜の次の投球を見ることに集中した。


(……打席に入る直前の風祭さんの姿を見た瞬間、凄みを感じた僕は逆に勝負を避けるという選択肢を奪われてしまった)

「まだ終わったわけじゃありませんよ桜君――」

「ったりめーだ!!」

 片城に向かってそう叫んだ桜。

 そばに立つ屋敷は耳をふさぐ。

 必要以上に桜の声が大きい。

(体力的にキツくなったから、シャウトすることで精神が肉体を凌駕する状態にもっていくつもりらしい)

(スライダーの変化幅が前の回から減じた? だから片城もサインを出せない……)

「ランナーもいなくなりました。一つ一つアウトをとっていきましょう。みなさん助けてくださいね」

「打たせてとるなんて器用なことはできねーよ。当てられたら頼むが……」

(8回までリードや好守備、奇策でなんとか逃れてきたが、そろそろ手品のタネが切れてきたか)

 そう屋敷は分析した。

アダムと勢源と二人投手が控えている(ベンチではなくグラウンドに)。下位打線ならまだ通用するかもしれない。

 ポジティヴな要素をグラウンドから見つけることはできない。桜の疲労感はナインにも伝わっているし、というか投げてなくてもみんな全快(全開)というわけではない。長い大会の長い決勝戦の終盤だった。

 声をかけ流れを変えられない屋敷は自分のメンタリティを初めて恥じた。

(俺は大人じゃない)

 そしてあのホームランを放った風祭という男を改めて尊敬した。

(奇跡じゃない。あのホームランは風祭の修練がもたらした果実。一打席でヒットが打てなくても一試合4度打席が回ればかなりの確率で一発あれがある。俺の単打シングルなんてこの展開のゲームになんの価値もない)


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