第50話 8回表 ■■■■①
《青海視点》
「この8回で試合が動く可能性が高い」
選手たちを集め勢源がこう言った。
青海は2番打者芹沢から、松濤は1番打者屋敷からの攻撃だ。
これで8回が両チームともに無得点で終わってしまえば、9回もまた得点は生まれず延長戦に突入してしまう公算が高い。
延長戦に入るからといって無条件で(強力なベンチメンバーが残っている)青海が有利になるとは限らないが……この暑さと決勝戦までの疲労がある分、松濤側にイレギュラーな事態が発生しかねない。
「
「7回が終わってリードしてないことがもう珍しい。青海は徳俵に足がかかっていますね? ……逸乃さんも僕もたとえがわかりにくくありませんか?」と華頂。
そこで勢源は選手たちをハグし(!)、それぞれに的確な指示を伝えていった。逸乃には代わりに夙夜が抱きついてもらい、横に立った勢源が言葉を投げかける。
千歳先生もベンチから出てきて選手たちと会話をしている。小さくうなずく選手たち。
次いで肩を組みあい円陣をつくり、極短いスピーチを行うようだ。
話をするのはプレイングマネージャーではなかった。
「夙夜が話したいことがあるそうだ」
まさかの部外者任せである。
少女は円陣の中央に立つ。
「みなさん、見てください」
夙夜は持参したタブレットのモニターを恋人にむかってかざした。
画面に表示されているのは……屋敷自身の姿だ。困惑した顔をしている。
「
「鏡です……昔ある戦場でイギリス人の将軍が出陣する直前の兵士たちに鏡を指し示したそうです。『これから生命を賭けて戦う人間が自分の顔を知っておくのは当然のこと』だと。ご自分がどのような表情をしているか確かめてください」
そう言って彼女はタブレットをゆっくりと回し、選手たちの顔を映し出していく。
「……朝見る顔となにも変わりませんね」と片城。
「そりゃおまえだけだろ。みんな戦う顔してんだよ」と中原。
各々が覚悟を決めフィールドの守備位置に散っていく。
勢源はなにも悩んでいない。少なくとも表面上はそうだ。仲間たちと笑顔で会話している余裕すらある。それがあることをチームメイトたちに知らしめ場の空気をポジティヴにしているのだろう。
現実のプレッシャーはバッテリーにのしかかっている。
(眉唾臭いエピソードでしたが良い演説でした。それはそれとして関ヶ原の島津軍くらい追いこまれてますね僕たち)
堂埜監督がベンチに戻り、青海の攻撃の準備が整った。
2番サード芹沢。『泡坂の世代』引退後は主軸となる好打者だ。
狂ったように吠えてバットを構える。長打は狙わずランナーを出したい。
芹沢は初球のカーヴに手を出しかけたが見送ってボール。
(狙いはアウトコースの変化球。彼がもっとも得意とするコースですね)
(堂埜監督の指示は『好球必打』、『ヒットにできるボールだけ打ちにいけ』というシンプルなものなのでしょう)
(『大軍に兵法なし』というように、青海は奇策に頼らず今日まで勝ってきた)
アウトコースにストレート、これには手が出ずストライク。
出塁させ、進塁打でランナーを進め、得点を奪う。
攻撃の基本が8回までできなかった。
理由はおそらく、各打者が色気を出しすぎてきたからだ。九人が全員主人公を演じようとした結果だ。
(
内角ギリギリにカーヴ、三塁線に引っ張って(!)ファウルだ。芹沢はバットを打ち据え咆吼する。20㎝内に入っていれば
(上位の中では与しやすいとはいえ、安全な打者ではありません)
(カウント的に三振を狙える。当てたらなにか起こりかねないですから)
カーヴ、
追いこまれた芹沢は狙い球をストレートに変えていた。なんとか喰らいつきファウルにする。5球目は――
カーヴ、3球連続でカーヴ! これには空を斬る芹沢。
2番打者を空振り三振に斬り伏せた。拳を握る桜。
芹沢は悔しさの余りバットで地面を叩く。
あとアウト5つで青海を完封!
「さくら怪獣じゃないもん!!」と屋敷。
今村は捕手を観察する。
(片城はキャッチャーとして俺と同じ……いやそれ以上の高みに立っている。そうでなければこのスコアはありえへん)
片城は3番打者を観察する。
(今村さん……彼も軽打ですね。過去のデータから見てもそれは間違いない。相手のミスを確実に仕留めるバッティングスタイル。狙い撃ちは得意ですが力や技術は神域には至らない)
泡坂が5番に打順を落としたことで割を食った形だ。
今村はつなぎの打者。
ここまでノーヒットの成績だ。
(もう伏線は張っています)
と片城。
芹沢にはスライダーを1球も投げていない。
(桜の野郎、スライダーを多投しすぎて怪我でもしたんか?)
(あの厄介なスライダーはもう投げられない?)
片城がそう思考を誘導した。
バッターボックスの今村は自分にこう言いきかせる。
(俺にあいつらみたいな才能なんてあれへん。自分が『挑戦者』であることを長いこと忘れとったわ……)
初球にそのスライダーを投げる。
今村にむかってぶつかる軌道から打者の眼の前で変ずる。
内角、
(よりによって内角!)
(あのクソ兄貴が俺に教えた唯一の技術)
両腕をたたみ本来窮屈なインコースのボールを打つための技術を使う。
捌き。
(俺の狙いはここや!)
今村の狙いは絶対防御を誇る
長身の投手の正中線めがけ打球をブチ込む。
普段なら処理できた打球をキャッチできない。グラヴで払ったボールがグラウンドを転々としている間に今村は1塁到達、
右拳をネクストバッターズサークルで待つ風祭に見せつけた。
「言われへんでも
堂埜監督が選手たちに話してきかせた。
「疲労した選手はアスリート能力がほとんどが低下する。
芹沢と佐山が手をあわせる。置鮎は不敵な笑みを浮かべ、そして、
巨人が一体、神宮のグラウンド上に立ち上がった。
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