第49話 7回裏 皇帝の新しい心②

《松濤視点》


『泡坂の場合』

「泡坂は他人に関心がないよね」と俺は言った。

 泡坂は露骨に帰りたそうな顔をしていた。野球部の寮から抜けだしてきたのだからそれはそうだろう。

「そんなことないよ」と本人は語る。

「昔からチームメイトの名前覚えないじゃん」

「そんなことないって。同じ学年の奴の名前くらい覚えてるよ」

「下の学年の方のお名前はどうです?」

 ここまで黙って俺をにらんでいた夙夜が指摘する。

「……オボエテルヨ」

「なんか間があったけれど……青海は一学年一五人前後で少数精鋭だろ? せめてレギュラーくらい」

「まず風祭だろ、百城だろ……」

「いや3年は覚えてるの前提だろ! 中等部から6年間の付き合いだもん」

 よその中学出身の三人(置鮎、佐山、今村)を除いて。

「2年は芹沢だろ、霜村だろ、御手洗、神麻……」

「2年生も中高で合計4年間つきあってんだろ。後輩だけどさ……つぅか続きは? まさか四人しか名前出てこないの?」

 泡坂はとまどいながらも笑う。マジでそれしか記憶にないのか。

 それでもようやくこいつを困らせることに成功した。泡坂は並大抵のことでは動じないから珍しくて面白い(俺が)。

「今ちょっと出てこないだけだよ。正直ピンとこないな。試合で活躍してくれないからかな……」

「そういうとこだぞ」

「ありきたりな煽りですね慎一。泡坂さんが気を悪くしますよ」これは夙夜。

 泡坂……ガチか。いくらなんでも記憶力に問題があるのでは。というか普段どういう眼でチームメイトを見ているんだ。モブ扱いしてるの?

「映像で記憶する人間だから、顔がでてきても名前がついてこないんだよ」

「泡坂は後輩とコミュニケーションとらない人? 末っ子気質が抜けてないんじゃね」

 泡坂は三人兄妹の末っ子だ。

「そういう屋敷も後輩とちゃんと喋れてるの?」

「全員親友ブラザーだよ」

 俺特有の安易な断言だ。部内にそんなに仲良い奴なんていない。親しいのは勢源くらいであとは距離を置いているというか……。

 勝つために野球をやっているのであって、仲良しになるために野球やってるんじゃない。気にすることはないか。

「正直どっちもどっちですよね」と夙夜。

 勢いでごまかそうとする俺。

「オラ泡坂! 1年の名前は!?」

「一人だけ……久世って奴かな。シニアで日本代表だったって子で」

「そりゃ青海に推薦でくる選手なんだから代表にだって選ばれてるよ!」

「あいつはいい球投げるよ。いい選手の名前なら覚えてる」

「選民思想……」

「冷たい人間だって言いたいの?」

「泡坂の正体みたり!! 人格者と知られる泡坂の本性は血も涙もない鬼畜のような男だったのかあっ!!」

 噴きだしそうになって下を向く夙夜。

「人の名前覚えられないだけでキチク?」

「甲子園4連覇もしたら勝利への意欲が薄くならない? どーお?」

「急に質問してくるな屋敷――確かに勝つのが当たり前になりすぎている。負ければ終わりの勝ち抜きトーナメントで2年間負けなかったことがおかしいんだよ」

 練習試合でも負けがない。青海は大学や社会人野球の上位と戦って不敗を守っている。

「……奇跡だったと?」

「そう。俺も置鮎も『絶対』じゃない。ピッチングには不調がある。他にもいいピッチャーはいるけれど、マウンドは1つしかない。大事なときに投げてるピッチャーがやらかしたら終わりだ」

 青海と他の高校チームの戦力差は『恐竜とアリ』にたとえられるほどのものだが。

「あさっての決勝戦で負ける可能性は現実的にありえる?」

 青海の他の選手は一笑に付すだろう。『あり得ない』と。

 だが泡坂はこう答える。

「俺は負けても泣かないと思う。チームのみんなは負けるのを想像できないみたいだけど」

「衆酔独醒ですか?」

 夙夜特有の難解表現が飛び出した。

「またよくわからない言葉を……」

「周りの人間は酔っ払っていて自分一人だけが醒めているという意味です」

 泡坂一人が醒めていると言いたいのだ。

 一番強い泡坂だけが。

「俺は敗北から学ぶことがあると思ってるし、それに野球人生はまだまだ続くからね。ここで負けてすべてが終わっちゃうわけじゃない。高校生のときだけすごくても仕方ないでしょ」

 泡坂がそう言うのは嫌味にしかきこえないんだよなぁ……。

「まぁ決勝は松濤が勝つし、俺は四打席連続でホームラン打つよ」

 泡坂は俺のおふざけに付きあわない。

「俺は勝つことに飽きてるのかもしれない」

 戦うまえに強者が口にしていいセリフではない。

「……それでもモチヴェーションはありますよね?」

「そりゃ技術に完成はないからね。決勝でも完璧なプレーを目指すよ。特に打撃はどんなボールがきてもHRを打つのが理想なわけだし」

 俺がHR王を狙うにはボクシングなら階級を4つほど上げないといけない。

 常に長打を狙うというその野球観が理解不能だ。

 俺の身体についてなら夙夜のほうが詳しい。

「最近ようやく骨端線が閉鎖して(身体の成長が止まって)本格的にマシントレーニングできるようになったんだ。フィジカルにあわせて技術もアップデートしないといけない」

「うげっ」

「筋肉量が増えれば瞬間的な出力は間違いなく大きくなると思うよ」

 

 投球打撃走塁すべてにおいてまだレヴェルアップしていくと。

 泡坂にとって高校野球は過程にすぎない。

 数年先を見据えている段階の泡坂が頂点に立っている。

 もちろん青海にいるからなかば調整目的で公式戦のマウンドに立つことも許されたのだろう。

「堂埜監督が古いタイプの監督だったら、かつ俺以外の投手がぱっとしなかったら、無理して投げて潰れていたかもしれないね。都予選も突破できなかった?」

「1年目の秋なんて成長痛でほとんど投げてなかったしな」

 センバツの実質予選である秋季都大会で。

「俺以外にいいピッチャーが何人もいたからね。俺が4連覇に貢献してきた割合なんて1割以下だよ」

「野球はピッチャーが8割なんだろ?」

 なら3割くらいもらっておけよ。

「高卒でプロ入りするピッチャーが常に二、三人いたチームだよ?」

 過言ではないのが恐ろしい。

「変わったね泡坂。他人のこと持ち上げるなんて。前は自分のことにしか関心がなかったのに」

 泡坂2.0なの?

 世間擦れしてる。そもそも中学時代のこいつは自分の知らない人がいる空間でまともに喋ろうとしなかった。それくらい性格が内向的だった。

 今はまるで普通の高校生みたいだ。

「2年間も無敗のチームにいたらいろいろな経験があるからね」

「想像できん」

 栄光もあるが重圧もあるだろう。

「今村が言ってたけれど、高校野球は日本のアマチュアスポーツでもっとも人気があるコンテンツで、そして青海は100年以上歴史がある高校野球史上最強のチームなんだって」

「青海は高校野球を終わらせるんじゃないですか?」

「終わらせる……かな」

 夙夜が急に早口になってまくしたてる。

「青海が無敗で5連覇を成し遂げるか、あるいはどこかのチームがそれを阻止する……これ以上ないクライマックスですが、物語としてはもう《下る》しかない」

「一番強い奴らが引退しちゃうからね」

 泡坂今村風祭佐山置鮎。青海以上の戦力を集められるチームは今後現れない。

 これ以上戦力をインフレさせるには高校年代で世界選抜でもつくりあげるしかない。

「今は一時的なブームだからね。同じチームが優勝しているから人が集まってる。来年以降は落ち着いていくんじゃない?」

 泡坂もその点は認めた。

「今が『青海ブーム』の絶頂期なんだよ。青海が負けるか五連覇した瞬間バブルの崩壊がくる。バブル崩壊知らんけど」

 歴史小説で読んだ記憶がある。

「大きな物語の終焉がくると思います。高校野球という器に対し選手の才能が収まりきらない。以前から問題になっていましたが、プロで活躍できるかもしれない投手が高校時代に肩を消耗しすぎるという問題がある」

「一人の選手への負担が大きすぎる」これは泡坂。

「そうです。好投手が現れる可能性は低いのに、全国にどれだけ野球部のある高校があるかって話ですよ」

「不条理ですらある」

 これは俺。

「極少数の才能を頼りにしなければ高校野球というカンファレンスを勝ち上がれない」

 夙夜あんまり喋んないのに今日は話すな(二人のときも俺ばかり喋っている)。興が乗ったの?

「指導者も選手も目標として『大会を勝ち上がって全国大会に出たい』、『優勝したい』と口にするでしょう。そのためのトレーニング、試合中は無理をしてプレーすることは避けにくい」

「俺は怪我したら監督に報告してベンチから外してもらったりしたけどね」これは泡坂。

「それが許される選手や許す指導者は例外的だと思います」

 それはそう。

「本来スポーツは楽しむもので、必死になって怪我をおしてまでプレーするものではない。そうでしょう? 気晴らしレクリエーションなんですから」

「言うねぇ」これは俺。

「遊びですから。それをお金が賭ったギャンブルみたいに、命が懸かった戦争みたいに捉える人がいるのはどうかと思いませんか?」

 俺は小さく手を挙げる。

「夙夜が女性だからそう思うんだみたいなことは言わないよ。意見は発言者の立場に由来しないから」

「それはどうも……」

「なんか社会派な意見だね。ルールあってのスポーツなんだからガチ勢を規制したいなら高野連が動くべきだろう。高野連が大会主催してるんだから。それはそれとして選手を守りたいって言うんなら――夙夜の趣旨はそうなんだろ?」

「ええそうです」

「なら大人がどうにかしないとダメだね」

「子供は無力だって言うんですか? もう高校生でしょう、私たち」

「子供の定義が曖昧だよ。年齢が18になれば無条件で大人になる? たとえば顧問の千歳先生が大人だと思う? 成人してるけど言動子供じゃん」

 便利な反例だなあの先生。

「ぐうの音も出ないです……あ、古典的な表現を使ってしまいました」

 そうですね。

「誰その人?」これは泡坂。

「あさって会えますよ。面白い人です」夙夜は目を細め答える。

「俺の意見は……野球部辞めて運動部転々としていた俺の意見としては、フェアな男らしい勝負も法令遵守コンプライアンスを優先したアスリートファーストなスポーツも共存しえる新しいルールが必要、かな」

 そのルールを書き記すにはこの余白は狭すぎる(フェルマー)。

「俺の意見は俺の競技人生から得たものだから口をはさまないよ」

 泡坂は言う。

 こいつは特別な環境で育った特別な才能をもち特別な経験をした側の人間だ。

 泡坂の視点から一般人を守るルールは語れない。

 そのことを理解している。

 才能は周囲の大人から守られる。

 才能は見出されるもので育てることはできない。

 わざわざ過酷な状況に才能を送りこんで鍛え上げる必要などない。

 最適なトレーニング環境は、一般人が思った以上に休息を優先させるものだ。

 練習すればするほど能力が上達するというのは幻想でしかない。

 少なくとも俺と泡坂は中学高校と休みまくっていて、それでいてこの実力を身につけているわけで。

 その事情を知って「ふざけるな!」「もっと練習していればもっと素晴らしい選手になっていた」と口にする指導者もいるかもしれない(知らんがな)。

 練習に時間をかけ過酷な訓練を課せば良い選手が育つというナイーヴな考え方は捨てろ。

 それはそれとして泡坂、思ったより考え方が昔と変わっていなかったことがわかって好感がもてる。優勝旗トロフィーの重さで性格が俗な方向に変わったと思ったのは俺の勘違いのようだ。

 泡坂は流されない。積極的に意見を口にはしないが、周囲の人間に意見を流されることはない。こいつは選手としてだけではなく思考の面においても天才なのかもしれない。


『play』

 7回裏、

 泡坂は3者連続3球三振で松濤の攻撃を零封した。


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