第48話 7回裏 皇帝の新しい心①
《松濤視点》
『桜の場合』
*
都大会の初戦が行われる一週間前のこと。
松濤高校野球部御一行様は、大会直前の決起会という名目で学校付近のデパート《デパ》地下にあるケーキ屋さんに突入しスイーツを捕食していた。
ちなみに店を選んだのは顧問の千歳先生で、そして店に足を運んでいるのは一〇人だ(部員八人プラス夙夜と千歳先生)。年長者相手には逆らえない(儒教)。桜一人だけが姿を現さなかった。
《字下げ》「肉……ない? なら……
なぜか原始人っぽい話し方になる桜。
「
日本で唯一の店舗だというフランスの人気店だ。約4000億種類のケーキから好きなものを一度に二つまで注文できる。しかし食べ放題だというのにそこはアスリートだ、1名を除いてみんなケーキを1つしか注文していない(ストイック)。例外としてアダム一人が子供のような顔をして宝石のような色合いのケーキ2つをチョイスし口に運んでいた。
「慎一……これっていくらでも食べていいってことなの?」
「そうですわよ夙夜様」
「料金の追加もなく?」
「お召し上がりになられる量だけご注文なさってくださいまし。誠に失礼かと存じますが、お残しになられますとお店の方のご迷惑になりましてよ」
5分後、夙夜はもう4つ目のケーキの注文をしていた。むせる。
一人だけケーキを頼まずコーヒーを飲んでいた片城が不意にぶちまけた。コーヒーをでなく自分の過去をだ。
「まえに桜君が同級生に告白してフラれたって言ったじゃないですか。その
鼻水。
「恋の話? ききたいききたい!」
期待に頬を赤く染める千歳先生。高校教師ぃ……。
「彼女は松濤の生徒ではないですからみなさんとは面識はないですね」
「トゥクンするお話?」と俺。
「それはわかりません……名前は君島里香さんと言います」
*
《二次字下げ》学校の廊下で顔をあわせる桜と片城の二人。
「片城、おめー俺を裏切んのか?」
「なんのことです?」
「里香と付きあってるんだろ?」
「ますよ」
「ますよって……。お、俺が里香のこと好きだってわかってたんじゃねえのか?」
*
俺「NTR? いやBSSか?」
夙夜「略称でコミュニケーションとらないで」
*
頭をかきむしる桜。
「せ、先週俺が勇気出して里香に告白したら、おまえの名前だしてきて断られたんだけど……。ずっと家に引きこもってたんだけど」
「そんな程度のことで練習やめるなんて……夢をあきらめてしまうなんて底が知れますね……」
「野球と恋愛は比較できんだろ!」
「ショックですよ。桜君にとって野球はそんなに軽い存在だったんですね。そんなんじゃ青海には勝てっこないです」
*
中原「こいつ、思ったよりゲスか?」
アダム「なんで仲良くしてられるんだよ!」
*
「俺と里香は学区同じで小学校も一緒! 中学でも毎日会いにいって話してた仲だった! あいつのこと好きだなんて明白だったろ! 里香のほうも俺のこと嫌いじゃなかったし!」
「僕たちが公園で練習しているときに見にくるくらいですしね。あの日遅くなったから帰りに僕が送ったじゃないですか。もう連絡先交換してましたよ」
「……ん?」
「かわいいですね君島さん……。最初小学生が校舎に紛れこんできたのかと思ったら僕たちよりも学年上でびっくりしましたよ」
「片城と里香……いつから付きあってるの?」
「もう半年くらいにはなりますね」
「んんんん」
しばらくの間下を向いて考えこむ桜。
「なんで教えてくれなかったの? つきあってること」
「桜君が落ちこむところを見たくなかったそうです。僕はさっさと伝えたほうが良いと思ったのですが君島さんの意向で……」
*
夙夜「君島さんが夢女みたいなロールしてる」
俺「夢女ってなに?」
*
「君島さんは三人の関係を壊したくなかったんでしょう。僕と桜君が放課後野球の練習をしていて、それを黙って見守ってくれる君島さん。君島さんは無口でなにを考えているかよくわかりませんが……」
「話すとけっこう口悪いだろ? そこがいい」
「いえ僕には優しくしてくださいますよ」
桜は廊下の柱に頭をぶつける。複数回。
*
俺「脳が破壊されてますやん」
*
「り、里香のことが好きなのは俺だし! 別れろよ片城」
「ドロドロしてきましたね。ならもう僕も君島さんも桜君とは会わないでしょう。話しかけないでください」
「ちょっとまて、どうしてそんな極端なの?」
「野球の練習もしないです。別に約束事があったわけではなく僕の善意ですからね」
「それは……」
「野球は嫌いじゃなかったんですよ。桜君と会う前から試合は観てましたから……」
「え、終わる流れ?」
「あとはせいぜい一人で強くなってください」
「俺一人で?」
*
片城「怖いのはこれからですよ」
*
「君島さんは桜君が怖いと。図書館で本を読んでいたら陰から見てきて……隠れているつもりだけれど大きくて見えだって。大柄な男子生徒が覗きこんできたらそりゃ怖いですよ」
「ぐ……」
「ずいぶんデカいストーカーですね。それでも話をするうちに仲良くなれるんだから見上げたコミュ力です」
「一年くらいめげずに話しかけたからな!」
「よく警察沙汰になりませんでしたね……」
「守ってあげたくなる人だよな!」
「彼女は僕に守って欲しいと言ってましたけれどね。桜君から」
「あ! あ……」
「いつも怖い目で見てくるって言ってましたよ」
「で、でもよ、眼つきが怖ぇのは生まれつきだから……」
「友達にはなれてもそういう関係になるのは望んでいないとおっしゃっていました」
「うん、わかった。オレの代わりに謝ってくれねーか?」
「それはわかりました。野球はどうするんです?」
「野球!」
「僕に好きな人とられましたけれど野球の練習はこれまでどおり続けるんですか?」
「し、死にてぇ……」
*
逸乃「桜は簡単に死ぬとか言っちゃうキャラ?」
*
「そうだ! オレには野球があった! もしゲームにでれば絶対通用するのに!」
「そんなの実際にやらきゃわからないじゃないですか」
正論を述べる片城。
「確かにただ練習で速い球投げてるだけの奴なんて信頼できねぇ。今硬式にせよ軟式にせよ試合で活躍しているほうがオレよりずっと有名だし、エリートだし?」
「高校で追い越して見せると」
「4カ月ありゃ今全国で名前売ってる奴ら全員ぶち抜いてみせる」
「どこの高校に進学するんですか?」
「どこだろうと問題ねぇ。オレが投げて打って勝たせてみせる」
「環境って大事ですよ」
「……そうなのか?」
「団体競技ですから強いチームメイトが必要で……でも1年目から活躍するには強豪校じゃ逆に厳しい。チーム内の競争で負けます。実力云々ではなくチームの方針で1年生は自動的に戦力外でスタンド観戦です」
桜の中学時代の経歴を考えればそれが自然だ。
「最初から試合出ねーと青海の連中と戦えない。……片城はどうしたらいいと思う?」
「意外と人の意見きくんですよね……。そんな悲しい顔しないでください。たとえば創設されたばかりの野球部ならレギュラーで使ってもらえるかもしれないです。同じように1年目から試合に出たい優秀な選手も集まってくるでしょうし……どうしました?」
片城にむかって親指を立てる桜。
*
千歳先生「ねぇ恋の話はどうしたのぉ? もうおしまい?」
*
「オレには野球があった。愛なんざいらねぇ!!」
「桜君うるさいです」
「彼女なんかいるおまえになんか絶対負けねぇから!!
「桜君に野球で勝とうと思ったことないですから」
手を横に振る片城。
「あ? なに言ってんだ片城。なんでそんな自分下げるんだよ?」
「僕は戦わないですから」
あっさりと言い切る片城。
「意味わかんねー。里香はおまえのこと好きなんだろ?」
「野球と関係ないじゃないですか。君島さんは関係ないじゃないですか」
「いや関係あるね。野球知らなかった里香にマジになって教えてただろ」
「だから?」
「だからそういうコマいところが好かれた理由なんじゃねぇの? オレは野球の魅力とかルールとか上手く語れなかった」
「桜君にとってはプレーするのがスポーツですからね。上手く語れない」
「……オレがもし試合でてよ、活躍したら里香もオレのこと見直して――」
「それはないと思いますよ」
「ないかぁ」
「ないです。あれ、納得するんですか?」
「だって野球が楽しいのは、野球が楽しいからだろ?」
「
「人に認められるとか、有名になるとか、ステータスだとか、金になるだとか、そういうのは知らねーよ。つってもオレ試合出たことないから想像でものを言ってるだけだが」
「本当は弱いかもしれませんよ」
「スピードガンであれだけ球速だしてるオレが弱いはねぇよ」
「……野球の楽しさはプレーすることそのものだと」
「そのうえで勝てればサイコーだ。青海相手なら流石に苦戦するかもしれねーが」
「過大評価……」
「里香はもうあきらめた……。そうだった、《オレには野球しかないんだった》」
「しか」
「そう。オンナだとか遊びだとか、そんな他の楽しいことにかまけてる場合じゃなかった。だってオレはまだなにも成し遂げてねー。もっと純粋に、単純に、野球のことだけを考えていれば良かった……」
思いつめた眼をする桜。
「桜君?」
「野球さえやっていれば『楽しい』しかない」
桜は自分という人間を単純化してみせる。
「桜君はときどき怖い顔をしますね」
「青海に勝てたらそれこそその日のうちに死んだってかまわない」
困惑する片城。
「一応、彼女のことをフォローしておくと……里香さんは幼馴染とまた友達になれてうれしかったと言ってましたよ」
中学進学を機に一時的に疎遠になっていた幼馴染と。
*
オリーヴ色を基調としたセーラー服。確かに高校生らしい。知っている学校の制服でなければ中学生と疑ってしまうところだった。君島が小さすぎる(片城の肩に頭のてっぺんがくるくらいだ)。
片城の証言が正しければ俺と同じ高校2年生。うん、ちんまい。
「片城と桜がつくりあげたイマジナリー彼女かと……」
俺は夙夜にささやく。
一同のまえに姿を現した君島、の横に立つ片城。
「君島さんは非常に声が小さい人なので……」
そう言ってかがみこむ片城。
君島は片城の耳になにか話しかけた。
千歳先生はその様子を見てテーブルのうえで溶けていた。
「そのまま伝えますね。『桜のことを悪く思わないでくれ』、『夏の大会は君たちを応援してあげるから』」
けっこう口調がフランクだった。
片城の通訳に何度もうなずく君島。耳をすませば口を動かしなにかしゃべっているかはわかるのだが俺たちの耳にはとどかない。
「読唇術できる?」
俺は夙夜に言った。
「できなくても恥ずかしがっていることはわかります」
夙夜は答える。
そのあとも君島は片城に隠れるポジションをとり続けた。
「片城のノロケで終わった?!」これは中原。
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