第47話 7回表 詭道
《青海視点》
(もはやなんの驚きも……なんの感慨もない)
今村はただそう想う。
7回表も青海の攻撃は無得点に終わった。
青海0000000 |0
松濤000000 |0
青海の7番8番が淡泊なバッティングで凡退する(三振、セカンドゴロ)。桜相手にチャンスメイクができない。
格下相手に追いつめられつつある格上。
自分たちの背中を押す学校関係者の応援が今日に限って心理的な圧迫感をあたえる。「なぜいつもどおり得点が奪えない? あの程度のピッチャー、下位打線でも打てないはずがないだろう?」と。
打ち損じてあっけなく2アウト。
だが9番御手洗。
インコースのスライダーを引っ張り、打球はファーストの頭上を突破しライトの横を抜ける、ツーベースヒット、セカンドに悠々と到達するスタンディングダブルだ。
これが7回表にしてこのゲーム初の長打である。
迎えた打者は佐山。
相手選手を眼で殺しかねない熱視線。
身体が大きく見える。
内野席からのほとんど女性陣から送られてくる声援に応えるでもない。
笑顔を見せて打席に入るでもない。
いつもより深く集中している。
ブラスバンド部が鳴らす日本のヘヴィメタルの名曲も耳に入らない。
灼熱の太陽が地上にもたらす熱気も。
球場の全光景も。
あるのはただバットを素手で握る感触、
眼に入るのは相手投手の全情報。
そして脳裏をよぎるのはスタンドで声をからし応援する野球部員の一人、
泡坂の世代で唯一高校3年間ベンチ入りが叶わなかった一人、■■の存在だ。彼一人だけがプレイヤーとして全国4連覇の栄光に浴していない。
(■■が見ている。この状況で打たずなにが男だ)
佐山はまだ桜がなにをしているかわかっていない。
初球ストレートが低めに外れる。
どんなボールがきても打つつもりだった佐山だがこの悪球は見逃す。
同時に振り返り、
転がるボールに飛びつき抑えようとしているキャッチャー片城の姿を認めた。
佐山は2塁ランナーを止めてから口走る。
「け、敬遠しようとしていた? だが桜は指示を無視しストライクをとりにきていた……」
キャッチャーが外し、主審が見守る虚空にむかって投球を敢行した。
片城が敬遠するため外に構えるも、納得しない桜はストライクをとりにきた。
これは策ではない。
勇気でもない。
ただの愚行。
松濤がタイムをとる。1年生たちがマウンドに集まり、黙ったままの桜が地面を強く蹴る。中原は呆れ華頂と逸乃が理を諭そうとしている。
片城は冷たい眼で投手を見ている。
ファーストの屋敷だけが中途半端な位置、そしてプレイングマネージャー勢源が外野から馬鹿声を発揮、伝令者の夙夜にその指示を伝えた。
夙夜がグラウンドに降りなぜか屋敷と一緒に球審の元にむかっていく。
「えーと、申告故意四球……? です」と夙夜。
「佐山君と勝負しんです(博多弁)。敬遠で1塁を埋めて2番打者芹沢君と勝負」と屋敷。
佐山はバットを放り投げ地面に倒れ伏す。
(どうして僕にチャンスを与えてくれないんだ! ■■が見ている眼の前で!! 僕以外の誰が青海を救える!!?)
(誰でも)
そう斬って捨てたのは今村だ。
(桜が暴走しかけたがどうにか歩かせることに成功。あいつのプライドを鑑みて際どいコースに投げ歩かせるつもりだったらしいが……。俺もランナー2塁で佐山を迎えたら歩かせるで)
桜はまだキレたままボールを宙に投げてはつかみ、投げてはつかみを繰り返していた。
佐山がトボトボと歩み一塁に到着。
ファーストの屋敷が「いいガタイしてるね、なにかスポーツやってるの?」とジョークを飛ばすも完璧に黙殺される。
片城がサインを出した。
(2番の芹沢は右打ちやらせたら天才や。シングルヒットで2塁の御手洗が還る現状は変わらない。桜は今のボロボロな精神状態を立て直せるか?)
右打者の芹沢にとってアウトコースに変化する桜のスライダーは絶好球。
松濤の外野はセンターアダムがかなり浅く守り(外野三人が同一直線上に並んでいる)、ライトとレフトがそのセンターに近寄るという2塁ランナーホーム生還阻止態勢。今村ですら見たことのないシフトだ。中央が堅く外野は抜きにくい、そこに打たれれば二死満塁、芹沢がレフト線付近ないしライト線付近にヒットを放てば二人還るというリスクを負うことになる。
(勢源はこの試合の先制点の価値の高さを理解しとるようやな)
芹沢への初球は外への力ない棒球。芹沢は見極めボールの判定。
まだ怒り足りない桜はマウンドを強く踏む。
投手が捕手への信頼を完全になくしている。
(片城も片城や、あのタイム中に桜に対し実力行使も含め言うことをきかせるコミュニケーションをとるべきやった)
*
「いやぁ、すごい打線ですね。佐山さんは歩かせて、とりあえず芹沢さんは勝負、彼を打ちとれてもまだピンチです。泡坂さんも一発があるから敬遠して、風祭さんはどこに投げても打たれる気しかしないので同じく、今村さんは配球を読み打ちしますしチャンスに強いから歩いてもらいましょう。この時点で押し出しで失点しちゃってますねどうします?」
「全員殺すに決まってんだろ?」
*
片城は勝敗だけに興味をもっている。たとえ親友に、
(今日のために明日なんて捨てられる)
(正確に、素早く、強く!)
片城は座ったままではなく、立ち上がり、左足を踏み出しながら右足に体重、強いボールを桜に返球する。
(桜を独裁者にするつもりはないようやな。片城が自分の怒りを表現するため、メッセージの意味もこめ強く返球――)
その今村の判断は誤りだ。
(――! ボールが高い!)
キャッチャーの返球は桜を狙ったものではなく、
そのまま2塁ランナーを刺すためのもの。直前に片城のトリックに気づいた桜が本能的に身を反らしボールを避け、
2塁ベース20㎝上、
そこにいた華頂がキャッチ→御手洗へタッチアウト!
青海にとって一抱えの金塊にも値する希少かつ貴重な2塁ランナーが無駄死に。
片城は決してこの状況を狙ってつくっていたわけではない。
ショート逸乃はあくまで返球が逸れた場合にそなえバックアップしていただけ。華頂の移動にあわせ片城が投げた。
桜が本気で敬遠という指示に怒っていたため、そのフラストレーションをランナーからアウトをとるために利用した。
このチーム一の謀略家はこの男だ。
1塁ベンチに戻りグラブを叩きつける桜。
(無失点で終わってこの怒りよう。そんなに佐山と勝負したかったのか?)
「中原さ、なんか相対的に常識人になってない?」と屋敷。
「俺がどうかしたの?」と中原。
勢源が口を開く直前、片城が優しく桜に話しかける。
「桜君?」
「あ、どうした?」
「集中してもらわないと困ります。この回僕らに打順回りますから」
「っっ! ああ……そうだな、片城」
片城が声をかけるだけで、桜の怒りは沈静化した。
松濤ベンチの空気が和らぐ。
屋敷はこのイニング、桜の様子をつぶさに観察していた。
(敬遠がなんだっつうんだ? そもそもなんで怒ってるかわからんし……)
「ピッチャーって
「それどこの方言ですか屋敷先輩」
自分も含めチームメイトの疲労が色濃いことに屋敷は気づいていた。
(同じプレー内容でも年長者に比べ経験のない若い選手のほうがスタミナを消費する)
(動作に無駄が多く、また緊張のため状況判断が遅れ、それを取り戻すため余計に燃料消費が嵩んでしまう)
(『若いチームは緊張して心拍数が上がりそれだけで体力が消耗される』とスポーツ心理学の権威も言ってたっけ)
(同じイニングプレーしていても青海の奴らのほうが疲れていない。ましてやこっちは大会通して九人で乗り切っていた。ここまでミスらしいミスがないのが奇跡か……)
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