第52話 8回表 ■■■■③

《青海視点》


 泡坂はマスク奥の片城の顔色を見た。

(疲労した選手……思考力の低下……初球アウトロー、ストレートのサイン。片城も配球がわかりやすくなってる?)

 普段相手の配球を読まず打席にはいる泡坂が、投手としての経験を糧に思考をダイヴさせる。

(……ホームランを浴びた直後というシチュエーション。なら初球は■■■■■、コースは■■と考えられるか?)

 桜は己を鼓舞する。

(さっき鏡で見た自分の顔を思い出せ。自信たっぷりのあの顔を。今日の俺は投手として自分の理想に到達している。だからこれ以上の失点はありえねー……)

 力みがなくなった。

 必勝のサインを送り、

 中腰に構える片城。

(そうです、桜君は仲間のことなど考えず、自分のためだけに投げればいい。2点差ならまだ取り返せますよ!)

 桜は投球直前、5番打者から空振りを奪い片城のミットに叩きつけられたボールの捕球音を幻聴するが、

 ボールのリリースのあと、

(巨大な武具を振り回すがごとく力の入った、泡坂の異様ともいえるバッティングフォーム)

 片城の耳を襲ったのは異常な金属音――硬質な不協和音だった。

 その日桜の最速のストレートに対し泡坂が最速のスイングで応える。

 高校野球界最速のスイングを持つ男が、木製でも芯をとらえる精密さで打球する際発生するその音を例えるならば、


 濠瀑。


 泡坂だけが発することができるその轟音は、間近で耳にした相手校のキャッチャーたちの眠りを妨げ続けてきた。


 打球はセンター方向へ飛んでいる。

(角度が足りない! ホームランにはならない!!)

 背走するセンターのアダムはボールから一度視線を切った。フェンス手前で振り返ると同時に

(ボール!? フェンスに直撃し背中に当たった? 2塁に投げろッッ!!)

 ランナー泡坂はまだ一塁ベースを通過したところだ。遅い。

 アダムの強肩が発動する。

(怪我でもしたのか? ともかく刺せる!!)

 泡坂はそのまま2塁を通過した。アダムの投げたボールをキャッチした逸乃はそこからなにもせず下を向いている。

 アダムは彼女の動作を見て気づいた。


 打球は減速せずバックスクリーンに激突し跳ね返り、彼の背中にぶつかっていたのだ。

 ホームランが成立した瞬間プレーは中断し(ボールデッド)、その事実に気づかなかったアダムただ一人がプレーを続行していた。

 2者連続の本塁打ホームラン!!

泡坂はバットフリップし(バットに回転をあたえ投げ捨てること)、一歩一歩確かめながらベースを回っていた。


  *


 神宮は俺たちには狭すぎる。


   *


 屋敷は腕を組み泡坂のスイングを解析する。

(片城の意図はストレートを高めに。打たれた球種で空振りを奪い、桜を元気づけようとしたもの。それを狙われたな)

(最初はいつものアッパースイングで打とうとしていた)

(だが桜の投球はストライクゾーンよりも高い位置に外れ、それでも打ちにいった泡坂は始動したあとにスイングの軌道を上昇アッパースイングから平行レヴェルスイングに修正し、最長飛距離を出すスイングから最短時間でフェンスを越すスイングに変じた。それが功を奏し弾丸ライナーでセンターバックスクリーンに到達……か)

(知・力・技すべてが最上位ハイエンド

(これが真のホームランバッター……)

 怪物がホームベースを踏み帰還した。

 泡坂は微笑みチームメイトたちとハイタッチして回る。

 青海には『王』が二人いた。

「あいつとは永遠に戦い続けるよ」

 風祭は言った。

 置鮎はその表情でその言葉に納得したことを示した。


  青海00000003 |3

  松濤0000000  |0


 最初から彼我の絶望的な戦力差はわかっていたはずだった。

 2年前、一年生の『泡坂の世代』相手ならともかくとして、

 現在最高学年に達した『泡坂の世代』と1年生主体の松濤がまともに戦えるはずがない。

『大数の法則』でいうところの試行回数を重ねるごとに理論値へ収束していく光景を目の当たりにしている(現実のゲームがそこまで単純なモデルではないにせよ)。

 屋敷慎一は勝つ確率が顕著に下がったことを自覚していた。

(松濤の勝ち筋としてありえるのは、中原の親父が言ったように『先制逃げ切り』が有力だった。それを逆にやられたか……。残り2イニングスで3点差はマジに不味まじい。そしてピッチャーをぶっ潰された。精神的に回復できてない)

 青海の選手たちも、球場の大観衆も、内心松濤高校のここまでの善戦を褒め称えていた。

(今年ここまで戦えたのなら、来年はもっと強いチームになる。優勝候補としてまた都大会を勝ち上がれるはずだ)(今日の敗北から多くを学び次につなげ……)(ダメージを少なくするためにはせめて大敗しないでくれ)



 8回表 本編開幕③



 片城の配球を攻略された。


 最上級の配球リードとは、一球一球の『球種』『コース』『速度』などといった情報を与え、相手の思考と動作をコントロールし意のままに打ちとること。

 単純な例を挙げるなら――

『インコースに投げられれば意識がそちらにむかい、外のボールに手が届かない』

『遅いボールを先に見せれば初動が遅れ、速いボールに反応することができない』

 1球だけではなんでもない見せ球が、決め球として一流相手に通じてしまう。

 1球目を見たあとの3球目、2球目を見たあとの3球目……と組み合わせコンボが成立し効用は高まっていく。

 仮に一回の投球に『球種』×『コース』で3×9、27通りの選択肢があるとしたならば(これでも少ない仮定だが)、指数関数的に配球の組み合わせは増えていく。

 球数が増える毎に1球目(27)、

 2球目(729)、

 3球目(19683)、

 4球目(531441)、

 5球目(14348907)、

 6球目(387420489)!

 6球でバッターを打ちとると仮定しても、投球の組み合わせは3億手をはるかに上回る。この無数の組み合わせから打者の反応やカウントを前提に最適手、最善手を選べるのがトップクラスの捕手だ。片城や今村にはこれができた。

 では打者はどうすべきか?

 有効な対策として上げられるのは――

『第1球を叩けば組み合わせの樹形図ツリーは広がらない』


 青海打線は初球攻撃を続ける。

 それが失敗しようと積極的だ。それが成功ヒットにつながっていく。

 6番打者ライト前ヒット(一死一塁)。

 7番打者左中間適時二塁打タイムリーツーベースヒット、1点追加(一死二塁)。

 8番打者左翼線適時二塁打タイムリーツーベースヒット、1点追加(一死二塁)。

 二塁走者三盗成功(一死三塁)、

 9番打者得点犠打スクイズ、1点追加(二死走者なし)。


 この回一挙6点、3番今村から9番御手洗まで桜は12球しか投じていない。わずか12球、時間にして一〇分間弱で打者七人に対し被安打6、失点6を喫した。


  青海00000006  |6

  松濤0000000   |0


 松濤は返済不可能な負債を押しつけられている。

 これまでの鬱憤を一気に晴らすかのような青海の猛攻だった。

 ナインに流れを変えるようなプレーはない。

 2死ランナーなしの状況で勢源がマウンドに駆け寄ってきた。

 タイムをとり松濤ナインが集まった。全選手集合だ。

「ピッチャー交代だ。桜はお疲れ! 外野で少し休んでろ」

 勢源は優しく言った。

 エースからボールを奪おうとするも拒絶される。

「……」

「また黙りに戻るのかよ桜。ここまでゲームをつくったんだ。おまえは自分の仕事を果たしたよ」

 勢源はそうねぎらい桜の胸を叩く。

 それでも桜はマウンドから降りようとしない。不満そうに勢源を見下ろしグローヴで口元を隠す。ボールは右手に握ったままだ。

「……」

「6点は勝てる点差だ。それともあれか? 桜もみんなも闘志がなくなっちまったのか? 《俺はあるぜ》?」

 元マネージャー志望が自信家の一面をのぞかせた。

「世界一さんは言うことが違うなぁ」と屋敷。

「あ、当たり前でしょ!」

 比叡はあわてて勢源の意見に追従する。

「じゃあ勝てるって思ってる奴は行動で示してもらおうか?」

 そう勢源が言うとすぐさま屋敷は桜に腹パンを喰らわせ、

 同時に逸乃がビンタ、

 首の後ろに手刀を当てる華頂、

「なにしやがる!!」

「早く失せろカス」

 中原は暴言を吐き、

「僕も勢源君の意見に賛成です。大人しくしたがってください」

 こぼれ落ちたボールを片城がキャッチする。

「なにやってるのあんたたち……」

 呆れる比叡。

 アダムはこう言った。

「セイゲン、オレが投げる。桜の代わりに……残りのイニングは全部オレに任せろ」

 勢源がこう言い切る。

「いや俺が投げるね。俺があいつを抑える」

 殺気に気づいた選手たちが振り向く。

 バットを持って座る青海の1番打者・佐山の姿があった。

 いつにもなく野性味にあふれたその容姿……『甲子園のアイドル』はどこにいったのやらだ。

「佐山だろうが風祭だろうがオレが抑えるよ。試合前は……正直投げたくなかった。こんな大勢の人のまえで……大事な試合だし。相手はとんでもなく強い。でも――」

「でもなんだよ?」

「もう一点もやれないだろ? オレが投げなきゃ勝てない」

「前半はイエスで後半はノーだ」

「オレは今日変わるよ。恥だってかく。チームのために戦える……そんな当たり前のことも言えなかったな」

 臆病な眼をしていた数分前のアダムの面影はない。

 今はもう迷いはない。

「そういう精神的成長シーンは攻撃のときにとっておいてくれないかアダム。おまえのバッティングには期待している」

 肩をたたく勢源。

「あ!?」

「お前じゃ力不足だ。その勇気だけもらっておおく」

 困惑し右腕に力こぶしをつくるアダム。マッチョを誇示するな。

「そういう意味じゃねえ! 今のおまえじゃ青海には通用しないってだけだ。勝算がないから勝負させないの!!」

 投手アダムには力はあるが技術がともなわない。

「おまえ! おまえ大して成績変わらないだろオレと! あんなおっせぇボールでサヤマと戦うのか?」

 勢源の球速の遅さは事実だ。

「小笠原晶子よりも遅い説ある」

「またよくわからないことを屋敷先輩は言う……」

「黙ってろ!!」

 すでに黙っていた残りの選手たち。アダムと桜も口を閉ざす。

 勢源は強く手を叩く。

「議論なんて意味がねぇ。俺がどんなくだらない低脳な意見口にしようがおまえらに反論の余地はない。なぜなら指揮権はにしかないからだ」

 背番号7、チームの一員である勢源が松濤高校野球部の監督だ。

 ふざけたことに一生徒の彼がこのチームの序列をつくっている。

「指揮権の分割なんて『船頭多くして船山登る』だろ。いつも言ってるがおまえらの意見は参考にするが判断するのはだ。現場指揮官だからって勘違いするな。が監督だ。監督より上の選手なんて存在しねぇ。……変に説得しようとしたが間違いだった。その点は謝るよ」

「王様は桜君じゃないですよ」と片城。

 キャッチャーはうやうやしくボールを勢源に渡す。

「散れ!!」

 わずかな間を置き、二人の投手候補が外野へ走って行く。他の選手たちもそれに習う。

「いつもの俺って感じだな」

 自嘲してマウンドに立ち足場をならす勢源。

 逸乃が優しい顔をして言った。

「……敗北の美学、なんて言わないよね。誰が投げても打たれるならいっそ自分が、なんて」

 誰でも見惚れてしまいような表情なのだが勢源にそんな余裕はない。

「それはねぇよ逸乃。うん、頼むからかわいそうなものを見る眼やめてね」

 ほっとした顔をする逸乃。

 屋敷は心配そうにして言った。

「大丈夫か? 本当は打たれるんだろう? 俺が投げてやろうか? ボクぅ?」

 誰でもキレてしまうような表情なのだが勢源にそんな余裕はない。

「ピッチャー舐めんなよ屋敷!! ……その気になりゃおまえだって打ちとれる」

 ふーんという顔をする屋敷。

「あの人ホームラン狙ってますよ」

 キャッチャーミットで口を隠しそう指摘した片城。

「ランナーなしの二死ツーアウトなら長打狙いもわかる。いや理屈じゃないか」

 センバツの決勝で30点奪ったチームだ。

 小さな成功を積み重ね勝利をもぎるチーム。少しでも勝率を上げるために走攻守投すべての局面で効率最大化を狙う……そんな青海にあって佐山は横暴にもスタンドインを狙っている。

 我欲の発露。

 この試合佐山がヒットのみを狙い続けてきたのは彼が1番打者の役割をまっとうしていたからにすぎない。クリーンナップ(3~5番)にはいれば一発で相手投手を打ち砕いてきた。

(シングルヒットじゃ僕のミスは帳消しにはならない。リードしたこの場面だからこそ、このイニング3本目のホームランで試合を終わらせる。それが青海の顔の役目だ)

「三振狙いだ。三振は純粋投手指標FIP的に出塁の可能性がゼロの『完全アウト』。佐山から三振を奪えば試合の流れを松濤に引き戻せる」

『本塁打狙い対三振狙い』


 打席に立つのが佐山、救援リリーフしマウンドに立つのが勢源であることから、観客のほとんどはこの対決に一つのテーマを見出していた。


『天才対元天才』

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