第37話 4回裏 今村と勢源
《青海視点》
*
今村には2つ年上の兄がいた。
歳の近い兄弟というものはやっかいなものだ。兄は主従関係を弟にわからせたがるから。
少年野球をやっていた今村兄は週に3日程度、夕方暗くなるまで弟を練習につきあわせた。
練習メニューはフリーバッティング。自宅のすぐ裏にある広い公園で兄がバットをかまえ、弟がボールを投げる。ひたすら何十球も何百球も。兄が納得するまでそれが終わることはない。
今村兄は「気持ちよくボールを遠くへ飛ばせばそれで満足する」思考の持ち主ではなかった。
「弟の遅いボールを打ってもなんの自慢にならない」「ならば高低、内外にボールを投げわけ、さらに緩急も駆使させる。もちろんノーサインで」「より近くで投げさせ、さらにフォームも工夫させる」
この兄のオーダーを当時小学2年生にすぎなかった今村は応えてしまった。
ストライクゾーンだけで勝負しても2つ年上の兄を打ちとるようになったのだ。
今村兄は不機嫌になり、なにかと理由をつけ弟を痛めつけるようになった。
(かといってど真ん中に緩い球を投げても「舐めてんのか!」とブチ切れる。あいつほんまクソを越えたクソやった)
それでも野球のトレーニングにつきあわされる今村は……手加減をするようになった。名前をつけるなら『接待野球』。
(クソ兄貴がギリギリなんとかヒットを打てるボールを投げるようになった。視線、身体の力み加減、バットの位置、立つ位置、スタンス、表情等々……それらを総合しクソ兄貴がどんなボールを待っているかを察し、ときには待っているボールを投げクリーンヒットを、ときには狙いを外しながらギリギリ対応できるボールを投げ前に飛ばさせたんや)
(クソ兄貴は自分が『接待』されているとは気づかなかった。俺が絶妙な加減で失投してヒットを打たせているとは思いもせず、長打がでれば俺を見下し、打ちとられそうになったら俺を見直した)
だがそんな兄がいたからこそ、今村の打者の〈意〉を見る能力は身につけられた。
2年後、小学4年生でリトルリーグのチームに入団した今村は、兄の特訓で身につけたこの能力を逆用する。
兄に打たせるために使っていたこの能力を、
相手打者を打ちとるために使ってしまえば封殺できた。
それこそ空振りもゴロもフライアウトも思うがままだった。
小柄で投げるボールも大して速くはなかった今村がそのチームでナンバー1に登りつめるまでわずか数ヶ月。そこから中学では名門シニアチームに入り中学1年の段階で全国大会でも活躍、その1年後青海大学附属中学と練習試合で
高校1年目の夏に全国制覇、
15歳にしてUー18野球日本代表として国際大会に出場しチームを世界一に導き、コンバート2年目で早くも『打撃』『配球』『守備』すべてを備えた高校球界最高のキャッチャーと呼ばれることとなる。
彼の『顔色をうかがう程度の能力』。本人曰く言語化しノウハウを他人に伝えることは可能だという。有力な後輩を捕まえ、実戦で敵や味方の思考を見透かすためのマニュアルを伝授しているそうだが、伝わりきっているとはいえないのが現状だ。
(クソ兄貴は大学で野球部を退部したそうや。親によれば「俺の活躍が誇らしい」とかなんとか。知ったことやないが……でもこの能力は幼少期のあの地獄がなきゃ身につけられへんかった)
*
2球、
たった2球でしとめた。
3番と4番を。
青海バッテリーが狙って初球を打ち損じさせ凡退。
(中原、比叡ともにドアスイングタイプのバッターや。振り回し長打を浴びかねん怖い打者やったが……)
(神主打法はアウトコースのストレート系のボールに振り遅れがちになる。中原の〈意〉はまさにその弱点となるコースを待っていたが、初見のカットボールに当てただけのバッティング)
結果はファーストゴロ。
「クソが!」
バットを投げ捨てつつ悪態をつく中原。
(対比叡はともかくコントロールを重視すべきや。甘いコースにきたら遠心力がかかるスイングで外野の頭を越されかねん。たとえ泡坂でも。ゆえにインコースへふたたばカットボール)
結果はピッチャーフライ。
「くっ……!」
それでも全力で1塁まで走る比叡。
今村はネクストバッターボックスにむかった勢源の姿を見る。部員が少ないながら1年生がプレイングマネージャー。本当に異例のチームだ。
(……流石に5番には待球させるやろうけれど、前の回で泡坂を本塁で刺したアダムや、流れはある)
アダムはベンチの勢源からのサインを入念に確認し、
その見上げるような長身でもってバットを高くかまえてはいるが、
(あまりに力みがない。様子見なのが手にとるようにわかるで)
今村はシュート、ストレートであっという間に2ストライクをとらせる。
「悪いが顔やないで」
「本当に
驚いた顔をして今村を見るアダム。
バッターボックスから離れ大きく素振りをする。とんでもないスイングスピードだ。風切り音で捕手の耳が痛むほど。
(ジェットエンジン並の爆音やな。それよりも注目すべきは奴の表情)
(ベンチを見た瞬間顔色が変わった? なにか指示があった。しかし策を講じるなら追いこまれる前が正解やろ……)
アダムは打席にはいり――バントの構えをとる。
(バスター?)
アダムの〈意〉は……読めない。
「これなら打てるっつうが……マジか?」
自分で構えておいて困惑しているアダム。
(なんや? こいつの考えていることがわからん)
相手の選択が今村に読みとることができない。これは珍しい事態だ。
(セオリーならバントはない)
2ストライクでバントしたボールがファウルゾーンに転がれば、打者は自動的にアウトである(スリーバント失敗)。
それでも足のあるアダムのバントは警戒すべきだ。練習試合の例もある。
今村は高めにストレートを外させ様子を見ようとする。
サインにうなずく泡坂。投球動作にはいると同時に、
アダムはバットを引き、泡坂の投じたボールを凝視する。
(見極めた?)
アダムはスイングせず見送る。カウント
(都大会でこの打者はその有り余る力を使いこなせていない。ボール球にも手を出しやすい『安牌』。その弱点がこのバントの構えで解消されたと?)
今村は相手チームの監督を見る。
(俺が泡坂にサインを送ったあとに指示をだせば俺の能力は無効化できる――それは正しいんやが)
今村はインコース低めに構える。
(アダムがバントしようがバスターしようが……あるいは他のどのプランを実行しようと、泡坂の才能が上回る)
この男がどれだけフィジカルモンスターでも、
ゾーン内側ギリギリに投げられたストレートには――
振り遅れはしたがバットに当たった!
(当たっただけ)ボールは内野の頭を越え、
(あれをあそこまで飛ばすか!?)
センター佐山が落下地点へむかう!
(佐山の守備範囲や!)佐山が足を止める。
(動きが固い?)ボールが高々とバウンドする。三人の野手の境界地点にボールが落ちる。お見合い。
青海の
ヒットを放てなかったアダムは悔しそうにしていた。
セカンドとショートは声をかけあい離れていく……センターの佐山は、青い顔をしたまま守備位置に帰っていく。
(なにかあったんか? そもそも守っているとき声が出てへんかった。第2打席が終わったあとから不自然やぞ……あのとき片城になにか言われたんか?)
(それよりも次の打者や。アダムの足を警戒しながらこいつ相手……セーフティな状況から厳しなってきたわ)
立ち上がった勢源、小柄な男の表情が変わる。
それまでの『将』としての重たい、薄暗い雰囲気は消えて失せ、
歯を見せ笑みを浮かべながら打席にむかう。
勢源が監督からただの選手に変わる唯一の瞬間、それはバッターボックスに入るときだ。
今村は知っている。事故に遭うまで最強の小学生、現在の泡坂同様誰にも打てない速球を投げホームランを量産し俊足でフィールドを駆け回った……リトルリーグで世界を獲った勢源がなんと呼ばれていたかを。
悪童。
(殺気を感じる……本能が忌避する。学年が2つ上の俺ですら悪い噂を耳にしたもんや。だが実力は確かやった。あの交通事故にさえなければどんな化け物になっていたか)
勢源が都予選で残してきたバッティングの成績は平凡。
だがそのオーラは、そして過去の実績は屋敷以上のものがあった。
そのバッターに対する泡坂の〈意〉は、
征夷。
相手の過去など関係ない。全力でもって潰しにいく。
(そう、大事なのは今強いかどうかや。勢源の実力は小学生時代よりも劣る。長いリハビリ期間がおまえからすべてを奪った)
(高校生が4年前のガキだった自分以下という現実に耐え、選手権の予選というこの最前線にカムバックしてきた)
(感動で涙がでてきそうや)
(怪我をせず成長していた
(この打席でプライドをへし折ったる)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
よろしければ★と♥お願いいたします。
感想もお待ちしております。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます