第38話 5回表 幕間劇①

≪松濤視点≫


『00000000』


  青海0000     |0

  松濤0000     |0


 勢源を打ちとった泡坂が駆け足でベンチに引き上げていく。

 堂埜監督が両腕を組んで待ちかまえていた。泡坂をのぞいた青海ナインはリードされているがごとく顔色が悪い。

 点が動かないまま4回裏が終了。このシチュエーションを現実レヴェルで想定してきた選手は両チーム含めほとんどいないだろう。

 内野席の野球部員、学校関係者、それに青海ファンも同様だ。

 確かに俺――大会を通しフル出場で打率10割をキープする好打者を擁したチーム――ではあるが、松濤高校は過去最強の挑戦者というわけではない。


 過去3度甲子園で対戦しことごとく敗れた大阪の超名門校、


 あるいは1年目の夏に青海を敗退目前まで追いこんだ神奈川の王者、


この両者に比べたら無名もいいところなのだ。こんな相手に苦戦するなんて異常事態でしかない。

 青海ファンにとってストレスが溜まる展開――つまり松濤ファンにとっては理想に近い進行で試合が経過していることを意味する。

 俺と夙夜は小声で言葉を交わす。

「序盤にこっちが先制したら相手の闘志に火が点いて大量失点もありえたからね」と俺。

「野球は『流れ』があるスポーツ……だからといってわざと得点を狙ってないわけじゃない」と夙夜。

 俺としては無風のままこのゲームが進行することを願っていた。

 もっとも松濤の頭脳ブレーンはそうは思っていないようだが。



『松濤ベンチの会話 その1』

  俺「さて話そう」


 俺は後輩たちにそううながした。

 むこうのベンチでは堂埜が選手たちに指示を飛ばしている。相手の攻撃まで時間はあるはずだ。


  勢源「(抑えた口調で)現状おまえらは悪くねぇ。だが結果がでてない。対戦相手あってのゲームだ。今日は泡坂の調子が良すぎる。投手戦だが」

  片城「先に失点してしまったら取り返すことが難しい」

  桜「1点ならまだしも2点以上だとな。まぁ俺が投げてる限りありえねぇ仮定だが」

  俺「はいはいはい」

  比叡「すべては私が不甲斐ないせいよ」

  逸乃「(小さく手を挙げ)もっと足を使ってかき回すべきじゃないかな?」

  勢源「得策とは思えない。その程度の策はこれまで全国の猛者が試して効果はなかった。奴は守備フィールディングも内野との連携も完璧だ。泡坂に小技は通じない」

  中原「対案を用意しろよ」

  華頂「(小声で)球数も少ないですよね? 相手のリードにいいように打たされています? もともと泡坂さんは完投が多くスタミナは問題ない?」


 不利な条件を増やさないでくれよ華頂。まぁ現実そうなんだけど。

 俺がいなかったら無安打無得点ノーヒッターが現実味を帯びるくらい泡坂は絶好調だ。過去一。

『試合中に相手にとって有利な条件が付加される』。

 現実的に思考できる人間ならこのパターンを想定できるはずだ。

 勢源もこの『投手戦』、

『相手先発投手の出来が上々』、

『1点を先に奪ったほうが超有利』、

『だがエース攻略の糸口がつかめない』というゲームの流れパターンを予期していたはずだ。

 見ろ、勢源は落ち着き払った態度で選手たちの様子を冷静に観察している。いつもの試合中のあいつだ。なにも悩んでいない、迷っている様子などこれっぽっちもない。序盤中盤終盤隙がないよね。うーん、これは名将勢源。


  アダム「なにかあるのかセイゲン? アワサカから点獲れる秘策が?」

  勢源「あんよ」


 そう即答する。

 ざわつくチーム松濤。


  桜「どうやってだ?」

  夙夜「……?」


 夙夜はわかったようだ。


  千歳「あたしもわかったわ、野球のルール! だいたい理解した!」


 顧問を無視した片城が、不審の眼をチームの監督にむけている。

「もったいつけずに教えてくださいよ勢源君」

「君づけはやめれ」

 勢源は自信たっぷりに言った。

「超絶簡単なプランだ。常識に縛られている奴は気づかないみたいだけど」

 謎の開き直り的な笑顔を見せた勢源。

 そうか、



『強さ議論』

 ここで選手たちの強さを比較してみよう(唐突)。

 いろいろなデータを参照し俺独自の感性で投手と打者をわけずにランクをつくった。

 打者と投手が同ランクの場合、対戦したら打者が3割弱程度の打率を残せると思ってもらいたい。

 俺のなかで格付けはこうなっている。

S級上位

・屋敷慎一

S級中位

・泡坂(投手) ・置鮎 ・中原潔(全盛期)

S級下位

・泡坂(打者) ・風祭 ・須藤

A級

・佐山 ・今村 ・桜 ・比叡

B級

・中原 ・アダム ・芹沢 ・貴船 ・久世 ・霜村……

 あくまでこの試合途中までの成績から算出したランクだ。

 現実の試合でこの手の格の違いなど簡単にひっくり返ってしまうものなのでこの表にはまったく意味はない。弱者が強者を喰う瞬間を俺はたくさん観てきた。

 自分を最強格に迷いなくおけてしまうこの強心臓っぷりが恐ろしくも頼もしい。



『泡坂の世代』

 青海ベンチの様子をざっくり探ってみよう。

 まずは佐山。普段は積極的に声を上げチームメイトの士気を盛り上げる役割をこなす陽キャなのだがいまは違う。

 監督が声を上げているというのに集中力を切らし、スタンドの観客席に。片城のプライヴェート暴露作戦が功を奏したようだ。攻守ともに隙ができつつある。株価はダウン。


 試合にでてない置鮎は悠揚迫らざる態度だった。ベンチで泡坂の隣に座りイニングの間毎になにか話しかけている。泡坂に意見できる同格のピッチャーがベンチに控えているとか人材充実しすぎだろ青海高校……。株価はアップ。


 風祭は2打席ノーヒット。当たりが良いが桜のボールをヒットにしきれなかった。長打を狙いすぎなのか、それとも新しい技術を試しているのか……。一応元チームメイトなので知っていたが、中学時代から泡坂と比較され続けた男だ。ここで4番に本領を発揮されたら松濤の勝利は消し飛んでしまうだろう。株価はダウン。


 今村はタブレットで松濤のデータを復習していた。こいつは1度出塁している。だが3回のチャンスで凡退したのはいただけない。そしてキャッチャーとしては失格だ。泡坂をリードして俺を2打席とも止められなかったわけで、その時点で落第点アウト

 こいつはどんな手段をもちいても俺の記録を止めるべきだった。そうすれば満員の観客は泡坂を称賛し歓声を送り、挑戦者である松濤に対し興味をなくし好プレーに拍手を送ることもなくなったはずだ。いつもどおりこの神宮球場を自分たちの本拠地ホームとしてプレーできたはずだ。なので株価はダウン。


 泡坂はチームの円陣に最後に加わった。

 この男は集団においてアウトサイダーであろうとする。群れの中心に収まりたがらない。リーダーシップをとらない。試合中はプレーにのみ集中し誰かに指示をだすことも滅多になかった。

(俺の持論だが)ある集団の筆頭ナンバーワンにコミュ力など必要ない。そいつの実力だけでチームの中心に位置づけられてしまうからだ。泡坂は背中でチームを引っ張れる。

 株価は維持。


『ふたたびファミレスにて』


  *


「屋敷はねぇ、本当に小っさかったよ。それに痩せてて力なくて足も遅くて。小学生のころからそうだったんでしょ?」

「そうですそうです。大人しく私のそばにいればいいのに野球なんて始めて……中学ではどうだったんですか?」

「才能はあったよ。中学高校といろんなチームと対戦したけれどそのなかでもピカイチだと思う。それでも都大会で10割はできすぎだけど」

「ですよね私も思います。慎一が変な勘違いしないか私は心配で……勢源君がコーチになってからまともにトレーニングするようになったけれど、慎一はフィジカル的にまだですからね。性格もちょっと……」

「人間性がね」

 どうして俺が『竜虎相打つ』的に泡坂と夙夜の二人から総攻撃喰らっているのか、それは日頃の不品行をとがめる機会を二人がうかがっていたからでこのファミレスに泡坂を招いたのがそもそもの失敗だったわけだ。

 もう帰ってよろしいか?

「屋敷はバッティングに特化したスペシャリストなんだよ。俺は――中学のある時期からバッティングもピッチングも一流を目指すようになった」

全能オールマイティを目指すようになったわけですね」

「……これは俺の持論だけど、すべてのアスリートは『なりたい理想の選手』になるように成長していくんだ。才能があるからなるとか、誰かに指導されてそう育つんじゃない。『なりたい自分になる』」

「おまえはなりたい自分になったんだろ? 高校1年で甲子園優勝投手、余技のバッティングですらプロ選手から高く評価されるくらいだ」

 俺がそう言うと泡坂は小さく首を縦に振る。

 夙夜が俺を見ながら言った。

「慎一は自分がなりたい自分になってるの?」

「なってるよ。175㎝なんて野球じゃコロポックルだよ。ホームランなんて滅多に打てないよ。フィジカルスポーツで身体の大きさは正義、マンガとかで小さい主人公が活躍するのは現実の逆張りにすぎない。……だから俺はバッティングに確率を求めた。結果が7試合で10割キープ。まあ素晴らしいと言え」

「まあ素晴らしい、といえ試合を決めてきたのはチームメイトのみなさんでしょ? 打点はそんなにない」

 夙夜は俺に冷たい。

 味方のバットでホームに還る役割の1番なんだから仕方ないじゃないか。

 泡坂はこう指摘する。

「ΟPSで計ると屋敷はそこまですごいバッターじゃない。そのことは知ってるよね?」

 ΟPS(one-base plus slugging)は長打率と出塁率を合算して求められる指標だ(長打率は合計塁打数を打数で割って算出され、出塁率は安打数、四死球の合計を打数、四死球数、犠飛数で割って算出される)。

 この指標は得点と非常に相関性が高いとされる。『マネーボール』以降打率などよりも重要視されている指標だ。

「知ってるよ。俺長打ない。HRなら風祭とかおまえのほうが打ってるしそこは弱い。いくらヒットを打ってもホームに還す打者がいなきゃチームは勝てない」

「そこまでわかってるなら少しくらい長打狙うバッティングに変えてみたら? いや変えないか」

「変えないよ。だってこれが俺の野球だもん。そこは変えない。選手がになうのは『技術スキル』までで、『戦術タクティクス』をになうのは監督だけど」

 俺はパーツにすぎない。

「あー勢源って選手ね。あの小柄な外野手兼投手」

「青海の堂埜なんかよりもずっと有能だ」

「? そうなの……すごいねそれは」

 そこは反論しようよ泡坂。あのヒゲ全一4回の名将だぞ。

 こいつを知らない人は驚くだろうが、泡坂は。野球をしている泡坂に比べプライヴェートの泡坂は最地味。喜怒哀楽というものがないのだ。話をしていても手応えが感じられない。柳に風、暖簾に腕押し。

 泡坂は自分の驚異的なプレーを語ろうとする意思すら見せない。俺も会って数日ほど口が利けないと思うほど無口だった。泡坂は常にフィールドのプレーで自分というものを表現したがる。試合がある度にSNSのトレンド入りする超人気チームの中心選手がこれというのは……。

『現象の本質は空』と書いていたのは仏教だったか。

「慎一は野球で遊んでいるんですよ。他の選手はみんなマジメに勝とうとしているのに一人だけ自分のために野球をやっている」

 そのとおりだ夙夜。おまえの言っていることはすべて正しい。俺が惚れた女なだけはある。

 泡坂は少し考えてこう言った。

「俺は全国制覇なんて一度も目標にしたことはなかったよ。

 結果として高校無敗なわけだけど。

「でもさ泡坂、全国制覇よりも個人としての最強のほうが意識高いんじゃないの?」

「そうだね。だって一人でやりきらないといけないから」

 常に助けあえる関係にある『組織としての最強』ではなく、味方のサポートを当てにできないのが『個としての最強』だから。

 ガチ勢の泡坂とエンジョイ勢の俺じゃ見ている光景がまるで違うのだろう。


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