第36話 4回表 錯誤配置
《松濤視点》
*
決勝戦の2日前。
準決勝終了の3時間後。
どこにいても目立ってしまう男だった。
私服姿の泡坂を見てファミレスの店員は驚いている。
通路側に座った夙夜が手を振って案内してくれた。俺は自分でいれた緑茶を口にしている。
8月の暑い盛り。夜になっても街にはまだ熱気が残っていた。
ファミレスの奥まったボックス席に座るのは俺と夙夜、そして泡坂の三人だ。
2日後の決勝戦で対戦することになる選手が同じテーブルにつくのは不自然だが実現してしまったのだから仕方ない。わざわざ足を運んできた泡坂が悪い。
俺が喋ろうとしたそのとき不意に人が現れた。隣のテーブルの男の子が眼を輝かせ、ノートとペンをもって泡坂の前に立っている。その後ろには申し訳なさそうな顔をした父親が。まだアマチュアだというのにこの知名度だ。
手早くサインをして握手までサーヴィスする泡坂。父親は何度も頭を下げ子供を自分たちのテーブルまで引っ張っていった。
泡坂は笑いながら俺に、
「屋敷はあの子にサインしないでいいの?」
「俺のことなんて誰も知らねぇよ」
あの子供は俺のことを視界にいれなかったし。都の予選でいくら活躍したって有名人にはなれない(なりたくない)。
「で、なに? 女の子なんて連れてきて自慢にきたの?」
「この人が変なことを言わないか見張りにきたんです」
夙夜がようやく口を開いた。
「変な奴だもんねこいつ。明後日対戦するかもしれない投手に会いにくるとか普通じゃない。八百長でももちかけるの? ヒット打たせて欲しい?」
「死ねよ」と俺。
「黙ってて」と夙夜。
「大事な話があるって言ってたよね」と泡坂。
「さっさと話なさい」と夙夜。
「明後日の試合、もし松濤が大差で負けるような展開になったとき、泡坂は投げ続けてくれる? 決勝戦はコールドがない」
「戦う前にそんなこと言っちゃう? チームメイトに申し訳ないと思わない?」
俺をとがめようとする夙夜の顔の前に手をかざし、その勢いを止めようとした。少なくともそう試みた。
「そもそも俺が先発するとは限らないよ」
そう泡坂は言うが信じられぬ。
「青海の選択肢は2つ、おまえか置鮎か。でも置鮎は今日投げてて、そして練習試合で俺に打たれ失点した。感情的に投げさせにくいだろ」
置鮎も全国で2番手のピッチャーなんだけど。
泡坂と置鮎はエヴェレストとK2みたいな関係にあると個人的には思っている。記録なら
「だけど」
「そしてだ……青海の監督堂埜は決勝戦で可能ならば2つの目標を叶えようとするはずだ。第1に(当たり前だけど)チームの勝利、第2に俺の連続ヒット記録のストップ。ならばゲームで対戦したことがない泡坂をぶつけてくるはず」
泡坂が決勝戦に先発することを探りたいわけではない。先発予定がこの大男であることは顔を見れば一目瞭然だから(先発を任されていなかったら絶対不機嫌になっているはず)。
「――泡坂さんは青海で一番速いボールを投げ、一番遠くまで打球を飛ばし、そして一番足も速い。そうですよね?」
夙夜が泡坂に問いかける。
「そうだね。近い数字を残しているチームメイトもいるけれど、ほぼ間違いない」
「野球は団体競技なのに、自分一人の力で勝ってしまうことをどう思いますか? 9イニングス投げて、打って、走って決勝のホームベースを踏む試合だって珍しくはない。慎一なんてヒットを打つので精一杯なのに」
……最後の一言は余計だったが良い質問だ。
この二人は俺を重んじない。気を遣わないでいてくれて助かる。
「チームの勝利のために必要なことにとりくんでいたらそういう結果が出ただけだよ。そこを目指していたわけではない」
泡坂のそれは建前のコメントだ。
ただ才能があるだけでたどり着けない領域にこいつは立っている。投打ともにプロで一番を目指すなんて頭のネジが外れてないと辿り着けない発想だ(飛躍した発想がなければ飛躍的な成長もない)。
泡坂はメンタル面においても化物じみている。会話をしている限りでは普通の高校生なのだが。
投打ともに高校野球界最強の男だ。こいつと友人な俺がこんな不真面目で申し訳ない。
「――話は変わりますが決勝戦で慎一と対決しますけれど、特別な準備をしていたりなんてことは?」
「たとえば?」
「たとえば普段投げてない変化球とか……それとも打順を下げてピッチングに重点を置く、とか?」
こう言った夙夜はすぐに笑って首を横に振って続けた。
「――失礼しました、チーム内の事情は対戦相手に話せませんよね」
夙夜が陽動役を演じてくれた。隣の俺は泡坂の様子を観察することに専念できる。
どちらの答えも『イエス』か。オフ・ザ・グラウンドの泡坂は思っていることが表情にですぎる。試合中のポーカーフェイスとはギャップがある。
とはいえわかった。青海の監督も泡坂も俺という打者をとてつもなく意識していることが。
「あっそうだ、チームメイトのことをどう思ってる? おまえから見たらモブか? 雑魚か?」
泡坂は首を横に振る。
「ニュースだと俺の『一人舞台』なんて表現されてるけれど、結果としてそうなっちゃうだけで、理想は出場しているみんなが活躍して欲しい」
青海の勝利に貢献しているのは自分一人ではなく、チームメイト全員という正しい認識をもっている。最少でも九人いなければ試合は始められないのだから。
泡坂は優しい。
*
4回表、青海の攻撃。
風祭の第2打席、逸乃のグローヴへ170㎞/h超の打球が飛びこんでくる。
ショートライナー。
彼女は左手に残された衝撃に冷や汗をかく。
風祭は元々細い眼を閉じ不満げな顔をしている。先頭打者の役割を果たせなかったことを悔やんでいるのだろう。
風祭、泡坂は
風祭は2
ならば泡坂は、
走塁という局面において常に正解を選び続けることができる有能。
某有名RPGの戦闘テーマとともに泡坂がバッターボックスに入る。
初球インコースのストレートを迷いなく引っ張った!
俺は守備の局面においても奴の邪魔をする。即応、横っ飛び、ワンバウンドしたボールをキャッチ!
だが体勢が崩れた。一塁ベースが遠い、スライディングでベースタッチしても間に合わない。
カヴァーにはいる桜、バッターランナー泡坂が猛烈な速度でチャージ!
3年生エースが1年生エースに追いつき、
追い越し、
俺のトスしたボールをつかんだ桜よりも先にベースを踏んだ!
際どかったがセーフ、内野安打。桜も並外れた俊足だというのにまるで相手にならなかった。
1死1塁。
眼を点にして1塁走者を見る桜。
「疾風迅雷やね」
「そう?」
「どうせ盗塁すんだろ」俺は口にした。
「どうかな」泡坂は答えた。
試合を視聴する青海ファン、いや、アンチですら泡坂の走塁に注目せざるをえない。こいつだけがもつ特別な技能が発揮される。
野球を観る者、プレーする者には2つの先入観がある。
巨体の持ち主は鈍足、
そしてマウンドを任されたピッチャーが怪我のリスクがある盗塁を実行するはずがないという先入観が。
その幻想を泡坂は否定する。桜が左足を上げると同時に、
初球
スタート、片城が捕球し2塁に投げ、ショート逸乃がベースカヴァーに入り、だが送球が右にずれグラブに当たり転がる。難なく泡坂は2塁に到達、
バックアップしたセカンド華頂がボールをまだ追いかけている!
泡坂が再起動、2塁ベースを蹴った! 華頂が転がるボールをつかみそこなった!?
「今日のボールは活きがいいな」
体でボールを隠した華頂はすでにつかんでいる。
3塁でしs――だが泡坂はすでに2塁に戻っていた。
「観察力と状況判断……」
焦り顔になった華頂はボールを桜に返す。
「あいつがもっとも弱い鎖だなんてことはわかりきっていた」
ここでチームの弱点が露呈した。
桜のピッチング、フィールディングは上の中には達しているが、
片城にはあまりにも時間がなかった。
キャッチングだけは良くても、送球や守備能力はどうにもならない。技術があっても身体能力がともなわない。
「申し訳ありません……」
不安を隠しきれない顔をする捕手に投手はこう言った。
「もうランナーなんざださなきゃいいんだよ! 泡坂もオレが2塁に釘付けにしてやる!」
だがしかし、
6番打者貴船がスライダーを右方向へ打球を飛ばす。1、2塁間への強いゴロ、身を投げだした華頂のグラブもとどかない。
自動的にスタートを切った泡坂がホームに還ってくる。ライトの比叡の守備範囲は広い、打球への反応も早い、
だが肩は並。
泡坂は止まらない、
比叡の低い返球、
ホームまでの直線上で華頂が待つ、バックホームの中継、
最速の返球はいらない。必要なのは速度ではなく、
加速、まるで比叡の投げたボールに触れず加速させたかのごとく、
『ボールキャッチ』から『スローイング』までが省略されている。ホームで片城が受け、
3塁へ! すでに泡坂が引き返している。
片城に2度目のミスはなかった。正確に適切な位置へ送球、
だがそれ以上に泡坂のスライディングが長い! オーバーランしかけ慌ててベースをつかむ。中原はタッチする素振りもできずただ呆然。もちろんセーフ。これで
もどってきた華頂が俺にグサリ。
「今のはファーストの屋敷さんが中継にはいるべきでしたよね?」
「青海がおまえの鬼強ぇ肩警戒してんだから結果オーライだよ。華頂が全部処理すれば泡坂も3塁でストップだ」
真顔でそう答えた。
しかしそれにしても速い。泡坂の足がおかしい。
いまのプレーも3塁へ引き返す動きが俊敏すぎる。見ていて気持ち悪いくらいだ。俺がドーピングしてもあいつと同じように走れないだろう(危険な発言)。
……走者のことより次の打者が問題か。
1死ゆえスクイズも選択肢にあるが青海ベンチのとった戦略は……。
エースにランナーとして無理をさせず(スクイズではホームでクロスプレイになる可能性がある)、バッターがその高いバッティングセンスで先制点を生み出すプランを実行する。
打者は7番百城、桜が投じた第6球・ストレートを高々とライト方向に打ち上げた。
右翼手比叡の守備範囲。
犠牲フライになる。
あの足なら余裕すらある飛距離だ。
明日の新聞の見出しがこうなりかねない。「エース泡坂完封勝利!」「足でも魅せた! 決勝のホームイン!」……みたいな。
泡坂が攻守ともに活躍するゲーム展開は高校野球ファンにとって日常的な光景でしかない。
その時点で外野フライを放った百城も、3塁ベースを踏みタッチアップをしようとする泡坂も自軍の先制点を確信していた。
比叡も松濤の失点を覚悟している。直前のプレーよりも捕球する位置が深い。華頂が中継にはいっても間に合わない。
3塁側の内野席、ベンチ入りできなかった野球部員たちはすでに得点が決まったかのように『沸騰』していた。
白球が落下してくる。
比叡はあきらめたように身体から力を抜き、
落ちてくるボールを避けるように横に動く、
速射砲がフィールドを横断してきた。このゲームにおいてまだ存在感がなかったセンターアダムが、
ライトの守備範囲でボールをつかみ――短い助走から――バックホーム!
泡坂は最高のスタートを切り、そこからストライドがどんどん伸びていき、ホームへ突っこんでいって、
止まる。
「状況確認していたな」
アダムの低弾道ロングスローが間に合った! ノーバウンドで片城の胸元に。完璧に計算された物理運動だ。芸術的かつ技術的な。
ホームベース直前で停止した泡坂は無抵抗のまま、片城のタッチを受け入れた。気まずい顔をしながらまず片城を、次に投げたアダムを見る。
「いいチームだ」
ワンプレーでアウト2つ。
またしても無失点でしのいだ。
これは泡坂のミスというよりも、アダムの返球が特上だった。
珍しく表情をゆるませたアダムが待っていた華頂、逸乃と拳をあわせる。
「クロスプレーになって片城が潰されたら九人の俺たちの
これは俺の感想だ。
「
そう勢源は指摘する。
勝負を避けたのは泡坂のほうだ。
まだこの0対0の均衡状態を楽しみたいのか?
勢源の言うとおりピッチングへの悪影響を考慮したのか? それはわからない。
「――野球は九人でするものでしょ? 他にプロレヴェルの選手がいるのに、泡坂さん一人が目立ちすぎじゃ……」
ベンチで夙夜はそう指摘する。
「千両役者だからな。大事な場面ではあいつにチャンスが回ってくるようにシナリオができてんだろ」
それはそれとして青海は泡坂を5番に置いたのは誤りだろう。あの瞬足を活かしたいなら1番か2番が正しいはずだ。ランナー泡坂にバッター風祭というのが松濤にとって最悪な組み合わせだったがこの打順ではそれが実現しない。
青海の監督堂埜の計画など俺にはわからないが。
泡坂の体力温存がしたかったら置鮎先発の泡坂のロングリリーフ、
あるいは泡坂先発の置鮎ロングリリーフという作戦でいけば良かったのに。それなら風祭の前の打順に泡坂を置くいつものラインナップで勝負できた。
青海0000 |0
松濤000 |0
それはそれとしてなぜかベンチに帰るまで両腕を上げたマッチョポーズを維持し続けてくる片城。
「ど、どうした片城? 暑さにやられた?」
慌ててうちわで風を送る桜。
「どうですかこの限界まで鍛え上げられた鋼の肉体は。さしもの泡坂さんもこの筋肉の塊にぶつかってくることは怖かったみたいですね」
いや普通の体格だろおまえ……。
4回裏、松濤は3番中原からの攻撃だ。
1塁コーチャーにはいった俺はゼロが並ぶスコアボードを見つめる。
……ロシアンルーレットをしてる気になってきた。
弾丸が発射されたら失点するゲーム。
松濤――桜は
青海――泡坂が手にした銃には実弾がこめられていないという不条理。
松濤はまだ3塁を踏んでいない、これでは相手に恐怖をあたえることもできない。
ともかく長打が欲しい。この試合両チーム通じてまだ1本も放たれていない『エクストラベースヒット』が。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
よろしければ★と♥お願いいたします。
感想もお待ちしております。
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