第35話 3回裏 挑✕逃〇
《青海視点》
*
「ごめん、打てなかったよ萌……申し訳ない。あんなボール球に手を出して」
「気にすな佐山。俺らが決めよるさかいに」
*
(佐山が打てなかったのは本人の性格による部分が大きい)
(外部の人間が知ることはないが、佐山にとって堂埜監督は比喩ではなしにガチで命の恩人なんや)
(自分の生命を救った存在に逆らうことができない。せやからベンチからの指示を機械的に守る。融通が利かない、状況判断できない。そこが佐山の数少ない弱点)
(佐山は監督の采配を守りすぎやった。3回表が始まる前、監督からの「松濤のピッチャーはストライクしか投げてこない。早いカウントから積極的に打て」という指示を厳守しボール球に手を出し凡退……)
(打順が2巡目にはいり松濤バッテリーが配球を変えてきたことに気づいた。ボール球を有効に使い三振を狙ってくる……)
(当然芹沢にもこの情報は伝えた)
(芹沢も俺自身も形にこだわらず先制点を奪うバッティングに徹したんや)
(その結果が2者連続三振――二人が残塁という『最悪』)
(俺は5球ファウルで粘ったがそんなことはどうでもいい。青海の中軸がこの惨状……どんな言い訳もできへん)
(桜のピッチング、片城のリード両方が全国上位レヴェル、そう判断せざるを得ない)
(奴らは青海の首を狩りかねない)
(……この状況を一番喜んでいるのは泡坂やろな)
泡坂はネクストバッターズサークルでバットを振るキャッチャー片城を見る。いかにも打てなさそうな雰囲気のスイングだ。
泡坂の声は大きくないが不思議にきき取りやすい。
「勝つか負けるかわからない、ギリギリのゲームになりそうだね」
「楽しそうやな泡坂」
「だってプロなら毎試合そうでしょ? 同じリーグに格下なんていない。俺たちは高校で勝ちすぎたよ」
2年間敗北を知らない。
「……それでも俺は、勝つために最善を尽くすで」
今村は他人にどれだけ『卑怯者』と罵られようと意に返さない人間だ。
相手チームの強打者を全打席敬遠しようと、それがチームの勝利に結びつくのならば上策だと判断する。
(悪いな泡坂……)
8番打者片城をショートフライ、9番打者桜を三振に斬ってとり、
さあ1番打者屋敷だ。
神宮球場が揺れている。
グラウンドに立つすべての選手がそう感じただろう。
体感では気温すらこのタイミングにあわせ上昇している。
王者青海が松濤に3イニング続けて無得点。
そして『10割』屋敷の打棒はエース泡坂にすら通じた。
熱が伝播しているのは会場だけではない。ネット中継、各種SNS、テレビ、ネット掲示板などを調べればどれほどの人間が注目しているかはすぐにわかる。観客席が満員であることを知らずに球場に足を運んでいる人も大勢いた。
もともと『社会現象』と呼ばれるほど人気がある青海高校。
中等部でその野球部を辞めた12歳の少年が4年後に復讐を果たそうとしている。
これほどの見世物はそうはない。
今村は冷静だった。
(ふたたび打席に立った屋敷の顔を見ればわかるが、本人はリヴェンジだなんて後ろむきの感情などもっとらんが)
純粋に強い奴と戦いたい。ただそれだけだ。
(俺とは違う。自分よりも強い奴を見つけたら同じチームに入ってその恩恵にあずかろうとしていた狡い俺とはな)
今村は屋敷の〈意〉を確かめ、
(今度はカットボールのタイミングで動くんか。なら話が早い)
エースにサインを送る。
(この勝負負けてもかまへんし、勝てればなおよしや)
『ミニゲーム』、泡坂対屋敷、第二局面。
状況は2死走者なし。
この勝負は1球で決着がついた。
その投手は『悪魔の右腕』をもつと称され、つねに対戦相手に恐れられてきた。
ピッチャープレート前方から投じられたボールが、
ホームベースを通過するまでの時間わずか0.387秒!
泡坂が投じたこの日最速の158㎞/h、高めストレートに対し屋敷の反応は遅い。
(当然や。140㎞/h前後のカットを待ってこのスピードボールには振り遅れる)
思考では遅い。屋敷は反射的にそのスキルを発動させる。
そのスキルとは、『打球操作』における高等技術、
名前をつけるのならそう、
振り遅れたバットにボールが衝突する。
ふらふらと――打ち上がった打球が――詰まった当たりが失速し――ファーストとライトの間に落ちる。
ライト前へのシングルヒット。
1塁ベースに到達した屋敷は、一人の選手、青海キャッチャーの今村を見つめる。煽るように首を傾げ、
それからベンチからの声援におずおずと応え、1塁コーチャーをしている勢源にバッティンググローブを渡す。記録更新。
球場内のほぼ全員の観客がこう思った。
「本来打ちとったはずの当たりが幸運にもヒットになっただけ。この対戦の勝者は泡坂だ。ラッキーヒットで屋敷は記録を伸ばした」
スタンドからため息が漏れたのは、屋敷が初めてのアウトになるそのときを見られなかったからだ。
実際の事情は異なるが。
(超絶技巧がすぎるで……。わざと
(振り遅れてスイングが低速だったのに正確に捉えた!?)
(いや、全力投球だったからこそ、その威力を利用し『当てただけのバッティング』であそこまで飛ばしたんか……!)
(改めて驚かされたわ。法王大の捕手の証言どおりやった)
*
「はい。屋敷慎一はうちのエース、須藤の速球に詰まりながらヒットを放ちました。3打席連続で同じような形で」
*
屋敷は感情をリセットしていた。
「単打なら打たれても大したダメージにはならない。
リードオフマンは風祭に話しかける。
風祭は小声で答える。
「そうだな。おまえは中学のころから長打がない」
「俺も少しは鍛えるようになったんだけどねパイセン」
そう言って自分の腕に触れる屋敷。
「置鮎とやったときもそうだったがおまえは――」
「もしかしてだけど、法王大の選手に話きいてたりしない? さっきの打ち方したの須藤んときだけだよ」
ゲームが再開し屋敷はベースを離れリードする。
隠し事をしたがらない風祭は正直に答えた。
「おまえの言うとおりだ屋敷。うちのコーチがコネを使って法王大の正捕手から話をきいたそうだ。練習試合の詳細を」
法王大戦は大学側のグラウンドで観客を排し行われた。試合に関する情報は外部に流れていないはずだったが、こんな形で漏れていた。
「俺たちを警戒する理由は泡坂?」
「ああ。泡坂がやたらに――」
泡坂の牽制球! 速く正確に刺してくる。
屋敷のリードは大きくはなかったがそれでも帰塁はギリギリになった。セーフ。
「はいはい乱数牽制ね」
走者がいる状況で投手が頭の中で秒数をカウントし、あらかじめ記憶していたランダムなある数字に一致した瞬間牽制をいれる戦術だ。
「1回のときより牽制いれるのが遅かった。同じリズムで牽制いれてたらランナーが楽に戻れるしね」
泡坂に返球し風祭は続ける。
「泡坂はおまえを『全国で一番上手いバッターだ』と」
だから青海のスタッフもグレーな手段で松濤高校の情報を仕入れたのだ。
「『上手い』よりも『強い』ほうが厄介だろ」
泡坂が
「いい加減1塁にいるのも飽きたし、2盗して3盗してホーム狙っちゃおっかなぁ」
2死1塁、打者は2番華頂、
最初の投球はど真ん中にストレート! ファウルボールが後方に飛ぶ。初球から華頂のタイミングはあっている。
続いて第2球、球種はカーヴ、ここから、
強肩で名の知れた捕手今村に対し、
屋敷がスタートを切る!
華頂は振らない。単独。
(ざけんなや!)
2塁には走者が先んじる! 今村の送球は間にあわない。
盗塁成功。
(屋敷は走りたがる選手やなかったのに、この場面で盗塁?)
一番遅い変化球だったから盗塁に成功した。本来屋敷慎一は優れた
「やっと得点圏かよ」
そうつぶやいた屋敷は、そっと泡坂のほうを指さす。こちらをむいた今村へのボディランゲージだ。
泡坂は仏頂面で『相棒』、今村を見ていた。
キャッチャーはマウンドに駆け寄った。
「キレるのはわかるで泡坂。でもガマンしろ。おまえのストレートはまだ――」
「コーチが教えてくれたでしょ? 法王大の須藤のストレートを屋敷は詰まらせながら外野の間に落とした。今のと同じ形で」
法王のエース、須藤も150㎞/h超のストレートをことごとく屋敷にヒットにされている。屋敷の『打球操作』という技術には再現性があった。
「試したんや。おまえのストレートでもあいつが同じバッティングができるかどうか」
「……試した?」
(メチャクチャ怖い顔してくるやん泡坂。いま試合中やぞ)
「ああ。おかげで欲しかったデータは手に入れた。第3打席、第4打席に活きる」
「(今の打席で)抑えようと思えば抑えられたんじゃないの?」
「ゲームの勝利のほうが大事や!」
「屋敷を抑えて試合の流れを
(それは――)
今村にもわからない。
このままいけばどこかで桜は打ち崩せる。
たとえ屋敷の連続ヒット記録を止められなくても――屋敷をホームに還せる打者がいない以上――屋敷に
(戦場に立っとる今、難しいことを考えている暇はないで)
第3球、『見る前に振る』感覚でなければ当てられない泡坂のストレートに華頂のバットは空を切り、
第4球、アウトコースのカットボールに当てるもボテボテのゴロになる。
セカンドが確実に送球しスリーアウトだ。華頂はなにかブツブツとつぶやきながらベンチに引き下がり、屋敷は3塁ベースを踏めずに引き下がるのみ。
「乾いて
ベンチに戻った屋敷はボトルを一本飲み干す。
「1回裏と同じパターンだけど、なにか妙案は?」と夙夜。
「正直、期待薄」と屋敷。
青海000 |0
松濤000 |0
*
試合前。
置鮎は先発する泡坂にこう語った。
「松濤にはまともに投げられるピッチャーが桜しかいない。アダムも勢源もピッチャーとしてはせいぜい三流。俺たちは桜だけを相手にすればいい。だが
「一人だから肝が据わる?」
「そうだ。俺たちみたいに一線級のピッチャーが四人いる恵まれた環境でないからこそ、背水の陣で臨める桜は有利だ。あの1年生はナメてかかれない」
「うん」
「桜は5月の練習試合で俺に投げ負け地面に倒れ伏せた。1年が本気で青海に勝つつもりで臨んできたんだ。あそこまで意識が高い奴を俺は見たことがない。たかが練習試合という認識で臨んでいない。ましてや公式戦だ」
「置鮎はそういう精神論嫌いじゃなかったの?」
「暑苦しい奴は嫌いだが、対戦することは避けられないからな」
「俺はいつもの野球をするだけだよ」
*
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