第23話 狸寝入り中②

「なら私を家に上げなきゃ良かったのに。さっきからずっと寝たふりしてるんでしょ?」


 俺は目を閉じたままダイニングのソファで仰向けになっていた。


「えーと、華頂君の話の続きは?」

「華頂は自分に自信がないみたいでね。屋敷みたいに自分を神だのなんだの喧伝したりしない。守備っていう絶対の特長がある癖に、自分が一番チームで弱いと思いこんでいる。だから落ち着きがないし、言葉数も少ないし、いつも体調不良そうで――」

「それは思いました。いつも青ざめた顔してて……なにかストレスを抱えてそうだった」

「それは理由があるんだけどね」

 小さな声でつぶやいた逸乃。


 華頂……は桜ほどではないが無口だしいつも自信なさげにうつむいてて自己主張がないので実質モブだったのだが。

 そして話をしたらしたで片言の日本語で語尾に? がついてくるので挙動不審さに拍車がかかってくる。

 嫌なことがあると半泣きになるしそれを隠そうとしない。うーん、弱き者。

 そんな華頂だが、部員たちの中で一番仲がいいのは、そうだな。

「逸乃さん、華頂君とよく話してるよね」


 逸乃が突然俺のみぞおちにパンチをいれてきた。本気で殴っているわけではない。拳ではなく平手でひっぱたいたのだろう。それでも胃の内容物を噴きだしそうになったが。

 不自然ではあるが俺は眠ったふりを継続する。


「私は……ほらさ、こういう風に友人のスキャンダルを探ったり話したりするのが好きな人間なんだ。自分のことを探られていい気持ちにはならないけれど――」

「わかりますよ」

「華頂の家の事情は私の家の事情に少し似てるから……」

「だから?」

「野球で失敗すると今の自由な生活が送れなくなってしまう。私たちだけ野球を続けられるかわからない環境でプレーしてるんだよ」

 俺は逸乃の事情も華頂の事情も知らなかった。

「ま、私のことはおいといて……華頂君は両親がダメだと言ったら野球部を退部することになるわけで……そしてその基準は恐ろしく高いみたい。1年目から全国に行かないと――」


 そう口にすると逸乃は俺の膝の上に乗りかかってきた。

 けっこう重いなこいつ……。裸なんて見てないがガッシリとした体格してそう。そもそも感触とか楽しんでいる余裕がないのだけれど。

 舌打ちをしながら近づいてきた夙夜までもが腹の上に乗っかってくる。はい、どうしたの君たち。


「逸乃さん」

「はい」

「さっきから思っていたけれど制服着崩しすぎですよ。下着も見えますし慎一が起きたら……」

 どういうかっこしてるの逸乃? いや、純粋な疑問にすぎないのだが。薄らとでもまぶたを開いたら起きていることが明確になってしまうし。

「これくらい気にしないよ。見えても問題ない」

「私は問題あるんです。そして会話の流れは?」

「ああ、華頂だったね。詳細については口止めされているから言えない。これで打ち切り」

 華頂のこと知りたかったのにストップがかかった。

「あなた自身の事情は? 彼がいるから言えない?」

「夙夜と二人きりでも言えないね。ただ言わせてもらえば……全国大会出場がこんなに現実味を帯びるとは数ヶ月前には思っていなかった。私にとってそれは夢でしかなかったんだよ。男子に混じってプレーしているだけで満足だった。チームメイトはみんないい奴だし」


「中原君も?」

 中原がオチ担当になりつつある。

「中原も本質的には善人だと思う。親の教育というよりも生まれつきあんな性格なんでしょうねぇ……。まっ、みんな野球馬鹿ないい奴だよ。いや、私も含めてかな……」

「優勝しないとダメなの?」

「創設したばかりのチームにそんな外圧はかかってないよ。監督もいない九人のチームには。でもね、私たちは同じ夢を見ている。トーナメントを勝ち上がって決勝で青海を倒す。女だからって足を引っ張るわけにはいかないよ」

「プレッシャーは重い?」

「それはない。私はチームの中心じゃないから」

「集団を所属するほとんどの人間は、自分が集団においてアウトサイダーだと思いこむものです。コーチしている勢源君だってもとはマネージャー志望なわけだし」

 いつもどおり理屈っぽいな夙夜。そして正しい分析だ。


 このチームに真のリーダーが存在しない。


「慎一だって長打がないアヴェレージヒッターです。試合を決めるのは彼じゃないかも」

 そう言って夙夜は俺の鼻をつまむ。

「そうでしょう?」

「――かもしれない。誰もが自分を主人公だとは思わない」

「敗戦の責任を負いたくないからです。大人がいない子供の集団。夏の大会が終わってもチームは続くのに……」

 俺が対戦したい投手はどちらも3年生。

 モチヴェーションを維持することが難しいかもしれない。でも先のことなんて知ったことではない。

「誰もそんなことは考えてない。練習試合で負けて思ったんだよ。青海にはリヴェンジしないと」

「私は、『スポーツ』とは楽しむものだと思っていました。その語源は『気晴らし』や『楽しむ』からきているはずですが……」

「私にとっては勝負であり挑戦だった。子供のころから男子と戦ってきたからね」

 小中高と、逸乃は常に自分の能力をテストされ続けていた。

 無能なら異性に混じってプレーすることが許されなかったわけだ(失礼千万テンミリオン)。

「あなたにとって高校野球は最大の挑戦ですね」

「そうだよ。いまここで自分の力が通用しなかったらこのさき続けていく自信がない。成長期が遅い男子と一緒に野球やっているわけだし、身体能力ではこの先置いていかれる一方なはずだから」

 逸乃はマジで特別な女だ。

 しかし決意を表明するのはいいが力をこめて俺の脚をにぎるのは止めていただきたい。痛い。


「それじゃ慎一は?」

「クレイジーだよ」

「性格が? それとも彼の野球が?」

「ただの変人ならどこにだっているよ」

 笑うなよ逸乃。

「すごいのは打者としての彼さ。走塁も守備も向上したけれどやっぱり打撃だ。全国どこのチームでも打撃あれだけでレギュラーになれる選手だと思う。いや、そんなレベルははるかに通り越してしまったかな?」

「経験者のあなたもそう思う?」

「だって単純に退。青海とやったゲームからこれまでずっと、1打席も凡退してない。ゴロアウト、フライアウト、ファウルフライもなし。ライナーが野手の正面に飛んで運悪くアウトになることもない。空振りなし、見送ってストライクをとられない。バットを振ったら打ち損じなしでほぼヒットになる。異常だよ。成績も内容も文句がいえないくらい……大会を通した打率が7割や8割というのは例があるけれど、10割っていうのはちょっとね」

「試行回数が少ないわけではない」

「もう練習試合も8試合目なのに未だに凡退してないんだよ。みんな慎一にドン引きしてる」


 人にとっては驚きでも、俺自身にとってはただの日常だ。

 力は『常用』――日常的に使用できなければその人の実力とみなすことはできない。

 その力を発揮するのに長期間の準備が必要だとか、

 ケガをするリスクがつきまとうとか、

 絶好調でなければ使えないとか、

 そういったコストや条件がある能力はその人間のスキルとみなすことはできない。

「えいや!」と気合をいれなくても100の力が出せる。ゲージを消費せず必殺技が使える人間なのだ。

 歩くことや話すことのように『できて当たり前』でなければその技術を修得できたとはいえない。

 俺はバッティングというものを正しく修得している。


「数学的にはとんでもないですね。仮に打率9割の打者がいるとして、5打数5安打になる確率は0.9の5乗でおよそ59%です。彼の場合は現在30打席連続ヒットだから0.9の30乗で……」

 よく俺の成績覚えてるな夙夜。

 彼女はスマホで計算しているらしい。わずかな間。

「およそ4%という低い確率が導かれます。つまり実際には打率9割以上の実力が慎一あると推定される。10割付近かと……」

 対戦する投手のレヴェルを問わず、必ずヒットを飛ばし出塁する打者。

 逸乃はため息を吐く。

「野球のルールが壊れるね」

「無条件で敬遠するのが最適手になりますね」

 スタメンにいるだけで(全打席敬遠されたとて)俺はアドになると。

 二人は長考する。

 逸乃が口を開いた。

「相手は決して弱くなかったんだ。置鮎もそうだったけれど法王大学の投手も主戦が先発だったし……」

 法王大学は東京六大学連盟の直近の春季、秋季リーグ戦を無敗で制した大学最強チームだ。

 法王ΟBである中原潔氏に依頼し、松濤高校野球部との練習試合を組むことに成功した。

 3、4年生が中心の大学生チームが3月に中学を卒業したばかりの高校生と対戦。チームの平均年齢差は6歳ほどだ。松濤の勝利など期待などできなかった。

 そもそも高校チーム対大学チームなんて冗談みたいな対戦カードなのだ。野球にはバスケやサッカーのような年代カテゴリーが違うチームが戦う大会はない。ハナから勝負にならないはず……。


 結果は7対2で俺たちの勝利。


 来週から始まる公式戦――夏の大会の予選に弾みがついた形だ。

 順当にトーナメントを勝ち上がることができたら決勝戦で青海とは対戦する。松濤は2回戦からの登場なので組み合わせには恵まれているといえる。

「今年のドラフト1位候補っていわれる『須藤』と対戦しても屋敷は難なくヒットを打ったんだ」


 須藤は最速153㎞/hのストレート、キレのあるスライダーとフォーク、ストライクが常に先行し三振の山を築くことができるパワーピッチャーだった。大学野球界最強の。

 とはいえ泡坂や置鮎より1つか2つ下にランク付けされる選手だが。


「先輩は少しも慌てず、当たり前のように、ボールを外野前に運んだ。全打席なんの苦労もなく相手の決め球ウイニングショットだとかリードの駆け引きだとかそんなの意に介さず……いや、瞬時に攻略してヒットを打ったんだ。そして私たちは屋敷のそのプレーを見て、驚かなくなっていた」

 そう言いながら噴きだす逸乃。

「なにがおかしいの?」

「私たちは慣れちゃったんだ。屋敷がどんなピッチャーからもヒットを打って出塁している光景に。思えば最初に会ってあの泡坂と対戦しているヴィデオを見せつけられたときからだったね。彼の才能は絶対で、この先も裏切られることはない。彼が試合で活躍することは前提になっている」

 相手が勝負してくれるならね。

「みなさん素直じゃないけれど、慎一のことは認めているんですね」

 夙夜は弾んだ声で言う。

「そう。あの泡坂や置鮎ですら彼を打ちとるとは思えない。彼が凡退するなんて現実的じゃない。打率10割なんて口にするのもおかしいくらいありえないことなのに、屋敷には可能なんじゃないかなって……」

 逸乃の口調は熱を帯びていた。

「屋敷の背中を追いかけていればきっと、青海を倒すことも可能になる。みんな屋敷に引っぱられているんだよ」

「彼に魅力があるとわかってくれましたか?」

「黙っていたらもっと魅力的かもしれないけど。ところでなんで彼はここで横になっていたの? 事後?」

 急に変なことを言う女子高生ぇ。

「急に変なこと言わないでください! 彼は食べてすぐ横になっただけですよ」

「食器はないけれど?」

「天王寺が片づけたんです。天王寺はこの家の執事です」

「そんな富豪みたいな名字しているのに執事なのか」

 それは俺も思ってた。

「どうしてこの家なんだい?」

「慎一はときどきここにきて料理するんです。うちのキッチンのほうが立派だからだそうです。こちらの炊飯器のほうが美味しいご飯炊けるんだそうで……」

 明智邸の設備はモデルルームみたいに広々としているのだ。キッチンには調味料もそろっているし夙夜に餌付けできて俺が楽しい。

 あと明智家の炊飯器は調べたら8万円とかするので俺の思い込みかもしれんが美味い気がするのである。

 近所に住む幼馴染なので感覚が鈍くなるが明智家は超金持ちなのだ。

 夙夜は一年ほど前俺が野球ガチ勢に戻ったと知ると家の金で高価な練習用具を買い集め、空いていた部屋をトレーニングルームに改装してしまった。自分自身は手をつけず俺が触らなければまったく無駄になってしまう消費なのだが彼女は気にしない。金持ちの道楽というか愛情なのか。メジャーリーガーも導入していたというかの有名な初動負荷トレーニングマシン(お値段3M)の購入を検討しているときいたときは流石に止めることにした。普通の女子高生は恋人にこんな尽くし方をしない。夙夜スパダリ説。

 彼女はは俺にどのようなリターンを求めているのか?

「わざわざ部活ない日にまっすぐ帰って家で夕食つくるの? 二人で?」

「いえ、つくるのは慎一だけです。彼は私を台所に立たせないです。包丁で手を切って危ないからって。過保護ですよね」

「……夙夜の料理が下手だからではなく?」

「そんなことはないですよ。ただなんにでもカレー味にするのはやめてくれって言うんですよ。なんにかけても美味しいですよね? カレー粉って」

 逸乃の沈黙。

「どうしました?」

「屋敷の家はすぐ隣なんでしょ? 父子家庭だけど料理は……」

「お手伝いさんにつくってもらっています。でもそれだけじゃ足りないと……朝体重量ったら1キロ強減っていたそうで、なのでスーパーで食材を買って私の家で一緒に食べようという流れになりまして。慎一はすごく食べるんですよ」

「それは知ってるけれど……料理を楽しんだあとは君のことも美味しく――」

 腹とか胸を撫でるな逸乃!

「帰ってくれませんか逸乃さん」

「ジョ、ジョーダンだってお嬢様。そんな人殺しみたいな眼で私を見ないで……」

「要件があるならさっさとおっしゃってください」

 ここまでのやりとり全部前菜オードブルかよ。

「夙夜、マネージャーとしてベンチに入らないかい? もちろん野球部の側にも得することがあるからなんだけれど……いやぁ、慎一もだけど勢源も変人だね。夙夜がいるだけで松濤の勝率がハネ上がる理由があるんだって。私には理解できなかったけれど」

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