第2話 中等部校舎にて

   *


 3年前。季節は秋。


 当時俺は中学1年で泡坂は中学2年だった。

 昼休みの教室棟の廊下。


「野球部辞めるんだって?」と泡坂は言った。


「試合に出られんからね。やる意味がないよ」


「絶対才能あるのに」


「それだけじゃ試合に出られない」


 試合中ずっとベンチにいて一度あるかないかの代打チャンスに賭けるなんて効率が悪い。だから辞めることにした。


「そもそもこの学校の野球部がガチ勢だったなんて知らんかったし。スカウトされて入学したけどよぉ、高等部で全国制覇に貢献できる選手の育成とかとか暑苦しいことこの上ない。まるで燃えないね」


「ふぅん」


「なにがふぅんだよ。泡坂だってそんなの目標にしてないでしょ?」


「……そうだね」


「目標はメジャーでしょ? 世界一のピッチャーになりたい。高いレヴェルでトレーニングやゲームはしたいけれど、全国で優勝することを強く望んでいるわけではない」


 泡坂は野球というスポーツを団体競技としてではなく個人競技として捉えている。


「勝利至上主義のチームだと大会で連投させられて肩が壊れる可能性もある。だから青海を選んだ」



 高校野球の命題として、


①優秀な投手は滅多に現れず、


②しかし優秀な投手が長いイニングを投げなければ強豪校相手には勝負にならない。


③だが短期間で実施される大会トーナメントで一人の投手を連投させればその肩に回復不可能な傷を負わせてしまうかもしれない。


 大会で負傷し競技生活を終わらせた選手は大勢いる。もちろん連投に耐える体質の選手もいるのだろうが……。

 しょせん例外は例外。

 青海大学附属高校は10年以上前から4~5名の投手の起用を公言し、目先の勝利のために主力投手を使い潰しはしない。プロ志望の泡坂が望む環境といえる。



 辞める俺がいうのもなんだがうちの野球部のスタッフは全員優秀だ。

 選手の育成目的で立ち上がったばかりの中等部の指導者も、全国大会での上位進出を狙っているとかいう高等部の指導者もそうなのだろう。


 どうしてそんなところにエンジョイ勢な俺が参加しているのかというと本当に打撃だけは神だからだ。



「世界一になることから逆算してこの環境を選んだ。チームメイトもみんな上手いし刺激になるよ。1年だけど屋敷だってそうだよ」


「ふふん。俺のことはもっと褒めなさい。もっと大声で褒めなさい」


。当たり前みたいにやってのけたけど」


「あれは遊びだよ」


「もっと筋力つけて、足が速くなればスタメンで使われるようになると思うよ」


「ご存じの通り俺は努力とか嫌いなんだ。泡坂みたいなデカい目標もないし、絶対倒したいライバルなんていない」


 いやこれは嘘だ。本当は眼の前にいる相手を倒したかった。

 1学年上の先輩を。


「野球は辞めるけれど、もし気が向いたら復帰するかもしれない。億が一その気になったら」


「……屋敷は本当に好き勝手生きてるね」


「憤怒」


「褒めてるんだよ」


「第一さぁ、野球は父親に強制的にやらされたんだよ」


「へぇそうなの」


「女の子の幼馴染がいてさ、明智夙夜っていうんだけど、めちゃきれいでさ、笑顔がかわいくって髪さらさらで」


「はぁ……」


「近所に住んでる子。いろいろあって友達になってよく遊んでた。初恋だったね」


「その情報いる?」


 女っ気なさそうな泡坂にマウントをとっているつもりなのだが効果はなかったようだ。


「でぇ親父がね、これがまぁ嫌な奴でさ、物心ついたころからその子や他の女の子と女の子がするような遊びを遊んでいる俺を見て女々しいっつうの? 軟弱に育つと危惧した頭が前世紀な親父が小3の俺を『男らしいスポーツ』やらせることにして、それで近くのリトルリーグで野球始めたのよ」


 野球のどこが男らしいスポーツなのかはわからないが。


「好きで始めたわけじゃない?」


「うん。ルールもろくに知らなかったし、プロ野球だって観たことなかった。でもバッティングだけは好きになれたよ。すぐに誰よりも上手くなれた」


 少なくともあのころは、ライバルなんていないと思っていた。

 思い上がっていた。


「それで、青海大学付属中にきたの。でも野球辞めちゃって大丈夫?」


「親父はカスミガセキ? だっけ、よくわかんないとこでブラックな仕事してて滅多に顔あわせんし子供になんてかまってらんないの。だから無問題モーマンタイ。……別に君らの野球を否定したいわけじゃないよ。成果主義で合理主義でみんな意識高くってさ。でもそういうの俺やっぱり苦手だった。いけ好かないマイペース野郎だから」


「そうかもね」


 否定してくれなかった泡坂。

 泡坂は続けてたずねる。


「で、なに? 言ったよね億が一野球に復帰したらーー」


「もし戻ることになったらお前らの敵になるよ。泡坂がエースしてるなら俺が打ち砕く」


 俺があからさまな挑発しても泡坂は無感動だった。


「不可能だと思う?」


「いやわからないよ」


「わかるよ。同世代で一番速いボール投げる泡坂が幼少のころから人生のほとんどを野球のために費やしてるわけで、それを野球サボる俺が追い抜いたらそりゃおかしいよなぁ」


「才能だとか努力の量で勝敗が決まるわけじゃないから」


 うなずく俺。泡坂とは考え方が一致する。過程よりも結果が大事だと。


「楽しみだねぇ泡坂。マジで応援してるよ。成長期だから試合であんまり投げないけど、打つほうだと硬球でも柵越え連発してんでしょ。


 俺は半分冗談でこう言った。

 泡坂は真顔でこう言った。


「変化球も増やしていくから今度対戦するときは完璧に抑えてみせるよ」


 泡坂とは戯れに勝負したことが何度かある。


 俺は長考した。


「……考えたんだけどさ、1年の俺が2年の泡坂にタメ口……つぅか身長差がえげつないよね俺ら」


 ジャスト150㎝しかない俺とそのころすでに170㎝台後半あった泡坂。

同じ競技者とは思えぬ。


「背なら屋敷も伸びるよ」


   *


 現在俺の身長は175㎝。あのころの泡坂にも満たない数字で伸びが止まっている。

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