第1話 前哨戦①

 3月中旬。


 諸事情あってその日俺屋敷慎一やしきしんいちと幼馴染の夙夜しゅくや、および彼女の家の執事である初老の男性をともない『敵地』青海大学付属高校野球部の練習グラウンド(都内だというのに大自然に囲まれていて驚かされる)に侵入している。


 平日の午後六時半、恐ろしく美しい夕焼けのもと十数名の部員が外で練習をしていて好都合にもコーチたちの姿はない。


 さらに好都合なことに俺たちの姿を最初に発見したのは約束相手の泡坂あわさかで、まあなんてことはない。この世界は俺に都合良くできているのだ。


「本当にくるんだ……」


 無表情な男が近づいてきた。

 泡坂はただ動くだけで威圧感を周囲の人間にあたえる。『巨人』という表現はおおげさだがそれでも身長190㎝超はじゅうぶん大男の部類に含まれるだろう。こいつはベースボールに関してはなにをやらせても超傑出する天才プレイヤーだ。


「そりゃくるさ。久しぶり先輩」と俺。

「先輩はよせよ……」


 泡坂は俺の制服姿を確認し、それから俺の後ろに立つ夙夜(黒を基調にしたセーラー服、赤いリボン、そして誰もが注目してしまうようなご本人の容姿)と執事(メガネが似合っていない)の二人を見る。


「誰? 屋敷の妹?」

「言ったろ? 俺の彼女と--」

「彼女って教えない約束……」


 夙夜が耳元でささやく。本気で怒ってもかわいいのは卑怯だと思う。今日は長い茶髪を後ろで一本にまとめていた。


「幼馴染とその執事。夙夜の家はお金持ちだから」

「シュクヤ?」


 名前を尋ねはしたが泡坂は他校の女子生徒に関心がないようだ。俺の幼馴染はこんなに美少女しているのに。

 あいかわらず野球だけの男だ。これは称賛の言葉。


「見学するんでしょ。少しだけならいいけど」

「いや悪い。嘘吐いたわ」

「?」

「ここには練習見学にきたんじゃない。喧嘩売りにきたんだよ」


 首を傾げる泡坂。


 俺はバッグから金属バットをとりだす。シャツのボタンを外し緩めた。手にバッティンググローブをつける。学校からきたそのままの制服にスニーカーで全開とはいかないが仕方がない(ここで着替えるのは面倒めんどい)。


「私立松濤1年、屋敷慎一だ」


 泡坂以外の連中に一応自己紹介しておく。そして泡坂に、


「フリーバッティングしよう。3球でいい」


 メガネをかけた男が泡坂に近づく。マスクを外した以外は防具を一式身にまとったままのキャッチャー。泡坂ほどではないにせよこいつも有名人だったはずだ。

 そいつと一言二言会話をしたあと、泡坂はマウンドにむかい、キャッチャーはホームベース後方でまつ。


 俺は2回素振りして、バッターボックスにむかう。

 夙夜と執事はケージ越しに俺の後方で待機し、これからなにが起こるかを目撃しようとしている。

 夙夜の白い肌がオレンジ色の夕焼けに映える。一瞬見惚れてしまった。


「特別やからな」とキャッチャー。「そもそも俺らセンバツで明日朝移動するんやで? そんくらい知っとるやろ? 全国大会前だっちゅうのに他校の生徒勝手に入れて対戦とか冗談にもほどが--」

「関西出身? 訛り抜けないのな」


 中学のときに野球部にはこんな奴はいなかった。ということはよその学校からスポーツ推薦で青海に入ったのか。


「ンな安い挑発にはノらんわ。投手の肩は消耗品……君と泡坂がどんだけ長い付き合いなんかは知らんけど大概にせえと」

「いや、年に1回喋るか喋らないかくらいの仲だよ」

「は?」


 黙ってうなずくマウンドの泡坂。


「ときどきラインでやりとりするくらいのうっすい知り合い。泡坂マンガ好きだろ? 俺が面白いの紹介してやってんだ」


 マンガの趣味だけはあうのだ。性格は真逆なのに。


「え、じゃ、なんで君うちの学校のグラウンドまできて戦おうとしとるの?」

「そりゃ俺のバッティングの才能を泡坂が認めてるからでないの?」


 その泡坂は投げたくてうずうずしている。


「一流一流を知るってことで」

「いや納得できんわ。君今から高校野球で一番いっちゃん強いピッチャーと対戦するんやで」

「まぁ無謀だよね」

 俺高校入ってから公式戦出たことないし。

「つぅか無意味やろ」


 ノーブランド泡坂エリートのボールなんて打てないってか。


「常識的に考えたらそうだけど」

「——屋敷は強いよ」

 マウンドから歩み寄ってきた泡坂が告げる。

「根拠は?」

「屋敷が本物だからだよ。投げればわかる」

 屋敷慎一の性能が。

 俺は泡坂に続けてこう言う。


「投げたり守ったり走ったりは全然だけど、バッティングだけは本当に自信ある」


 そう大勢の人前で宣言する。

 うーんこれで失敗したら恥ずかしいなんてもんじゃない。介錯なしで切腹しないといけなレヴェル。


「屋敷? そんな名前の選手きいたこともねぇんだわ」

「敗北フラグ積み重ねていくスタイル。君程度が泡坂とバッテリー組んでるの?」

「だからそんな安い挑発いらんて。ここからは口じゃなくて行動で応えてもらわんと」


 そう言ってキャッチャーはマスクを被る。

 座ってノーサインでエースの投球をまつ。


「ヘルメット……まぁぶつけられて脳漿ぶちまけたら山にでも捨ててくれよ」

『なにがあっても責任はとらないでけっこうです』的な誓約書を用意すべきだったか。


 俺は無意識にグラウンドの野手の守備位置を確認してしまう。

 今日の相手は一人だけだった。


 超人が俺のまえに屹立している。研鑽を重ね経験を重ね『投げる』ことについて十億人に一人の才能を有するであろう泡坂が。

 バッターボックスに入る。いつものように脱力して、バットも軽く握り、左手小指をグリップエンドにかけ、ヘッドを泡坂にむけ、そして自然体の構え。

 火は点いている。相手は強者だ。

 泡坂を注視する。


 投手はセットポジションから……ボールを投じ、

(?!)

 ……その弾道に完璧に一致する角度で俺はスイングした。ボールはバットに衝突。

 打球は俺の意図したとおり投げ終えた泡坂のピッチャーグローブに飛んでいった。

 強烈な音を立てボールはグローブに収まる!


 後方で夙夜が叫ぶ。

「ピッチャーライナー……!!」


「狙ったんだ」

 俺は自分の意思を言葉にする。


「思ったよりやるやん」

 少し驚いた声色のキャッチャー。

 一呼吸してから俺は声を上げた。



「どうして本気で投げない!」



「試合でもないのに本気で投げないよ」そう泡坂は言った。「今のは140㎞/hくらいかな。全力の五割。怒って俺に打ち返したんでしょ?」


 160㎞/hの直球フォーシームを有している泡坂からすればこの程度のボールは50%の出力にすぎない。


 泡坂は別のボールをつかむ。

「……公式戦じゃないと本気で投げない?」

「俺だけの野球じゃないから。……悪いね、仕方ないよ」

「当たり前やろ! わがまま言うな。これだけで満足せいや!」


 自分ではわからなかったが怖い顔をしているらしい。俺の顔を見た夙夜が息を止める。

 理解はできる。できるが……。

 二歩マウンドに近づいた。

 追いかけ肩をたたくキャッチャー。


「まぁ落ち着けや。今の感じ……君ができることは認めるわ。今の打撃だけで『上の下』に達してるってわかるで。せやな、全力の九割までは出してもかまへん。これでも出血大サービスや」

「公式戦……泡坂は3年だからもう夏の大会でしか対戦できねぇってことか?」

「いや春季大会もあるで。つっても君の学校、野球部九人おらんのやろ。残念やが――」

「俺一人だけだよ」


 それが現状。圧倒的事実だ。


「そりゃご愁傷様」

青海大付属うちにくればいいのに……」

 泡坂は真面目な顔をしてそう提案する。

「そんなことしないわよね!」と夙夜。

「そんなことしないさ」と俺。

 キャッチャーは呆れた顔をして泡坂にこう言った。

「つか転校しても1年間は公式戦にでられへんのや。それくらい知っとけ」


 今のバッティングで俺が青海の戦力になると暗に認めたということか――いやそれじゃまるで足りない。

 俺は俺の天才を、俺の有能をここにいる全員に認めさせるためにここにきた。だから、


「続けろよ泡坂。全弾打ち返してやる」


 キャッチャーは座りながら相方に指示を送る。

「もっとサービスしてあげよ。ここからは変化球も混ぜるし、球種の予告なんてヌルいことはせぇへんで……」

 お試し期間は終了のようだ。全力は出さないと宣言したが無傷で帰すつもりはないと。

 ここからはあらゆる球種、内外高低コース、緩急、変化、それら全状況に対応しなければならない。実戦に近似する。俺が望んだシチュエーションだ。

 雑念は消えて失せた。より深く集中。より脱力してバットを握り、爆発的な起動にそなえる。

 泡坂がキャッチャーのサインをのぞきこむ。

 不意に夙夜のどこかあどけない声が俺の鼓膜を震わせた。


「慎一! せっかく相手の方がつきあってあげてらっしゃるんですから、本気でやりなさい!」


 俺はいつだって本気なんだけど。

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