第三章
9. 暗雲
***
(冗談じゃないわよあんなやつ!!)
アクールはずかすかと廊下を歩いていた。行く宛などない。誰とも会いたくないけれど、ドール・ベース常駐組であるアクールにとって帰る場所はここしか無い。
だとしたら行く先は。
(セージ様が構う必要無いっての! っていうか私のセージ様なのよ。あんなに注目浴びちゃってさ)
階段を早足で上がっていく。屋上なら誰もいないだろう。
頭の中が心なしか熱い。ずっともやもやしていた。セージが一番に気にかけてくれるのは、いつだって自分が良いのに。
彼は、やけにあの少年に興味があるようだった。久々にやってきたグラシアの人間だからか、その行動理念からか。しかし、そう。何より納得いかないのはその行動理念であって。
(苦しみを思い出したい? 「苦しみを忘れて生きることが出来る」ってのも考えものね。あんなに脳内お花畑になるなんて)
思い出しただけでイライラする。
屋上へ続く扉の前まで来た時、アクールは「ある気配」に一旦立ち止まり、後ろを睨みつけた。
「何よパク。あんたも私を責めるの?」
後ろに、音もなく立っていた少女のドール。
パクはそっと首を横に振った。
「……そういうわけではない」
「じゃあ何よ」
「今屋上に出るのは危ない。今日赤マントが出た。まだ近くに、敵がいるかも」
カッと、また頭が熱くなる。
「じゃあどこへ行けって言うのよ!?」
「皆のところに戻ろう」
「何よ何よ!!」
甲高い声が空気を切り裂く。
バァン!! と、音を立てて扉が開け放たれた。鋭い風が入る。それに対抗するように屋上へ一歩足を踏み出す。向かい風にも腹が立ってきて、アクールは思いのままに叫んだ。
「そもそもね……あんたがちゃんと役目を全うしてくれていれば!!」
八つ当たりだと分かっていた。パクの顔を振り返りはしない。
柵まで駆けて、その場に蹲る。セージに常日頃言われている。アクールのせいでもないし、パクのせいでもないと。
でも、そんな言葉で割り切れないことだってある。
背後から物音はしなくなった。いや、パクは元々物音なんて立てないけれど。そのまま。沈黙だけが背中に寄り添う時間があった。頭は熱いのに、どこか冷え冷えとした気持ちを抱えながら。
(……?)
ふと、疑問符が浮かんだ。
パクの気配すら無くなっている。
「パク?」
振り返る。
視界の端で、青いマントが揺らめいた。
何だか表が騒がしい。
ドール・ベースの中で仮に与えられた部屋の中。クリスは廊下の方に目を向ける。
様子を見ようと二人で騒ぎの方へ向かってみると、そこにはセージに迫っているアクールがいた。
「落ち着いてアクール。まだ近くにいるはずだよ」
「でも……!」
「何があったんですか?」
キッと少女がこちらに鋭い目を向ける。クリスに対する元々の敵意と、「弱いところは見せたくない」という感情が入り混じっていた。
セージは困ったようにクリスとショウへ視線を投げかける。
「それが、パクが青マントに連れ去られてしまったみたいで……」
「青マント? 赤マントとは違うんですか?」
連れ去られたという話題より、そちらに興味が向く。
気が立っているアクールを気遣いながら、セージが答えた。
「やってることは変わらないよ。ただ赤マントは陸から、青マントは空からやってくるんだ。部隊が異なるのかもしれないね」
「……屋上にいて。振り返ったら青マントがパクを攫うところだったの。きっと空から屋上に直接降りてきたんだわ」
苦虫を嚙み潰したような表情を見せるアクール。
クリスは小さく首を傾げた。先程までのやり取りで、アクールがパクにそれ程肩入れしているとは思えなかったのだが。自らのドールが奪われたことに、それなりに何か感じているのだろうか。
セージが口元に手を当てる。
「パクを攫うって、中々の手練れだな。彼女は気配を消すのが得意だけれど、彼女自身も周りの気配には敏感なのに」
「……」
アクールは黙り込む。何か思いつめるように、床を見つめていた。
その様子を見つめてから。クリスが淡々と口を開く。
「助けに行くんですか?」
「ん? あぁもちろん。まだ遠くへは行っていないはずだし……」
「じゃあ、俺も行きます」
一行が目を瞠る。
単純な驚きと、なぜ? とういう疑問が交錯していた。その雰囲気を察して、続ける。
「人手は多い方が良いでしょう。足を引っ張る程弱くはないと自負しているのですが」
「クリス。危ない事はよした方がいい」
「普通に旅をしていてもそれは同じだよ」
ショウの心配はばっさりと切り捨てて、クリスはセージに目を向けた。
「それに救出に同行した方が、ここの活動についてよく分かると思うので」
「それは……そうだけれど」
気弱で頼りない瞳。クリスから逸らした目は、アクールへ。
彼女がどう思うか、と気にしているのだろう。クリスもアクールを見た。彼女はまだ、納得の行かなそうな目を向けている。
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