8. 変わらない思い

 ドールの基地。だから、ドール・ベース。

 クリスもショウも、まだ見定めるように黙ったままでいた。セージは続ける。

「主に行っていることは、ドール関係者の保護・交流・情報交換。グラシアの人間やドールが、国外にあまり出ないことは知っているだろう? 外にいる同志は少ないんだ。だからこうして集っている。共同団体だと思ってくれていい」

 彼がクリスたちを「仲間」と呼んだのはそういうことらしい。グラシア外部にいる、ドールとその持ち主だから。

 ならばアクールも、元はグラシアの人間なのかもしれない。

「ここにいる子たちは、事情のある子が多くてね……本当はもう少し基地常駐のメンバーがいるんだけど、初対面の人間に顔を合わせられる面々が、これくらいというもので」

 ずっとセージにくっ付いているアクールと、我関せずのパク。何も気にしていなさそうなディエラとヒース。

「それで、これは相談なんだけれど。君たち、このドール・ベースに所属しないか?」

 セージが両手を広げる。

 ショウが微かに目を見開いた気配。確かに驚く。そんなに簡単に引き入れていいものなのかと。

「君たちがなぜ外に出たのかは詮索しない。そういう場所だからね。けれどここにいることは、君たちにとって損ではないはずだ」

「……例えば、何ですか?」

「何よりも安全性だね。さっきの赤マントを見たろう? ドールは外部じゃ狙われている存在なんだ。僕らはあれを撃退する活動もしている。まだ彼らの目的は定かでないけれど……そういった情報含め、常駐でなくとも共有が可能だ」

 どうだい? と。

 ショウの疑問に答えたセージが、二人を見比べる。ショウは自らの持ち主へと視線を向けた。この旅は、クリスの一存で始められたこと。どこに向かうも、どこに所属するも、選択は透明な少年に委ねられていた。

(……外部にいるドールの情報交換、か)

 使えるかもしれない。身を乗り出したくなる程には、ここの話に興味がある。

「俺たちは、目的があって最近旅を始めたんだ」

「そうだったのか。まぁそれは、無理に話さなくとも……」

 首を横に振る。

 表情を変えないまま、真っ直ぐセージを見つめて。

 その「目的」を。


「俺は、方法を探しているんです。……『最大の苦しみの記憶』を、ドールから取り戻す方法を」


 告げた。

 隣のショウが、苦い顔をする。ずっとこの目的に反対してきたショウ。そして、それを押し切ってきたクリス。会議室の一同も騒然とした。

「はぁ!? なにそれ! 意味不明すぎるんだけど」

 最初に反応を見せたのはアクールだ。眉を寄せ、顔をしかめ、理解の出来ない宇宙人でも見たかのような顔をする。

「アンタドМなの? 自分の苦しみなんて取り戻して何が楽しいわけ?」

「アクール、よしなさい。……しかし、僕も驚いたよ。『持ち主の人生最大の苦しみ』を代わりに記憶するのは、ドールの一番大切な役目だ。クリスくんは、それを奪おうとしている、ということかい?」

「ドールの役目を奪う、という認識はありません。ただ記憶を取り戻したいだけで」

「ショウくんはどう思っているの?」

「俺はずっと反対してます。……一人だと危険だから、旅には同行しているのですが」

 不穏な空気に、ディエラの跳ね毛がひょこっと揺れた。大きな瞳を瞬かせて、頭上のヒースを見上げる。

「ヒース、みんなどうしたの?」

「ふむ、ちょっと珍しいことがあって驚いているだけですよ」

 皺の刻まれた分厚い手が、空色の髪を撫でる。祖父が孫を撫でるように。大層愛おしそうに。ディエラにそっと微笑みかけた後、ヒースがクリスを見た。

 穏やかに顔を傾けながら。

「クリスさん。ドールにとって、持ち主は一番に守るべき大切な存在です……ドールとしてだけでなく、家族としても。だからこそ我々は持ち主に苦しみを思い出させたくないという気持ちがあり、『苦しみの記憶』を持つことは一種の生き甲斐。それでも、取り戻すのですか?」

 責め立てる口調ではなかった。しかし、その言葉の端に滲むのは「信じられない」という思い。彼も、クリスの目的には驚いていると取れる。

 ヒースの言葉にショウは頷く。隅にいるパクも、そっと目を瞑った。

 端から理解してもらおうとは思っていない。

 グラシアにいた頃も、皆そんなことを言っていた。それでも思いは変わらない。

 クリスは、少し視線を落として。胸元にかかった透明な水晶を見つめながら、呟くように言う。

「俺は……ドールに『苦しみの記憶』を代わりに持ってもらうなんて、おかしいと思っている。ずっと。昔から。そう思っていた」

 ショウが、ドールが。持ち主を大切に思うから、苦しみの代替わりを厭わないと言うのなら。

 クリスも同じだ。大切に思うから、取り戻したい。

「俺の記憶は、俺のものだ。苦しみの記憶を他の誰かに持たせて、自分は楽に生きることはしたくない。これは苦しみの記憶と一緒に感情が欠落した後も、ずっと抱いてきた思いだ」

「……ふむ」

 痛い沈黙の中、肩を揺らして笑うヒース。クリスの言葉に対して可笑しそうで、どこか満足している様子でもあった。

「ショウさん、大切に思われているのですね。私は勘弁ですが」

「俺も勘弁です」

 冗談っぽく投げかけられた言葉に、ショウは肩をすくめた。セージは腕を組んで「なるほど」と呟いている。

「そういう考え方もあるのか。初めて出会ったよ、中々面白いな」

「面白いですかぁ? 私はちっとも分かんないです」

 金髪の少女は不満げである。

 何やら敵意すら滲ませた視線で、クリスを射抜いた。

「ドールは一番苦しかったことを代わりに持つ。そーゆーもんでしょ? 感情を失くすほど苦しかったか何だか知らないけどさぁ」

 ピリ。声に含まれる棘が。痛みが。摩擦が。空気を再び険悪にしていく。

「アクール」と宥めるセージ。そんな愛しい人の態度も気に食わなかったらしい。隠された棘は露わに。堂々と、人の心を突き刺すように大きな声で告げた。


「取り戻したい、とか言えるアンタの『苦しみ』ってヤツ、大したことなかったんじゃないの?」


 ガタン!!

 キーン!


 その時。

 二つの影が動いた。

「……どいてくれないか」

 一つ目の影。ショウは、激昂を瞳に浮かべて短剣を構えている。

 二つ目の影、パクは、自らのかぎ爪でもってそれを受け止めている。

 咄嗟に、アクールとショウの間に割り込んだことによって。

 突然のことにあんぐりと口を開けていたセージは、慌てて立ち上がる。ヒースは「おやおや」と言いながら、いつの間にかディエラの両目を塞いでいた。

「ちょ、ちょっと二人とも!」

「やだぁ。こわーい!」

 そう言うアクールはくすっと笑い、楽しそうに唇の端を歪めている。

 ショウは奥歯を噛み締めてから、それでも、そっと刃を引く。パクもそれに応じてかぎ爪を引いた。

「……突然刃を向けたのは、人間が成ってなかったと思う。それは謝る」

「まぁお人形さんだもんねぇ」

「でも……君はそうやって、人の『苦しい』という価値観を比較するんだな」

 肩が震えていた。どうにか、色々と。堪えたまま、それでも鋭さだけは残した目でアクールを睨みつける。クリスの苦しみを、文字通り、一番に知っているから。しかしそれ以上に、人間の苦しみを比較する、その姿勢が気に入らなかった。

 この少女の持つ苦しみにどうこう言う気は無いけれど、同じことを言われたらと考えないのか。

 しかしアクールは、肩をすくめるだけだった。

「だってそうじゃない。そもそもその子、苦しみなんて感じなさそうだし。そんな鉄仮面に『苦しみ』なんてあるの?」

「アクール!!」

 最後に一喝したのはセージだった。

 普段の声からは想像も付かないような厳しさに、流石のアクールも体を震わせた。恐る恐るセージの顔を覗き込むように見上げる。

「……セージ様」

「ドール・ベースでは、他の面々をとやかく言わない。君にも、言われたら傷つくことがあるだろう?」

 諭すような怒り。それは果たして少女にどう受け取られたのか。

 アクールの、様々な色彩の混ざり合った目は納得が行っていない様子だった。ただ、ただ、不満だけがその色に降り積もっていく。

 それはセージへの不満なのか、クリスやショウへの不満なのか。キッと睨みつけた先は、こちらだった。唇を軽く噛みしめ、ふんと鼻を鳴らす。

「……知らない!!」

 音を立てて立ち上がる。そのまま、金髪のポニーテールが部屋の外へと靡いて、遂には見えなくなった。パクが音もなく、その後を追う。

 セージは小さく溜息をついて、頭を掻いた。銅色の髪がトサカのように反り立つ。「しゅらば?」と首を傾げるディエラに、「耳を塞いだほうが良かったですか」とヒース。

 それから、セージの方へ顔を向けた。

「セージ。私とディエラも、退室して構わないですかな?」

「あぁ……紹介は済んだからね。ごめんねディエラ。今度お菓子買ってあげるよ」

「楽しかったからいーよ! でもお菓子はかって!」

 ばいばーい! と無邪気に、ディエラは手を振った。

 その場には三人だけが残る。いや、重い沈黙も、共に残った。

 ショウは、一言も発さなかったクリスを振り返る。きっと彼は、何も感じてなどいないけれど。

「クリス。俺は反対だよ。あぁいう人がいる団体ってどうなの」

「庇うつもりはないけれど、あの子も少し色々あってね……まぁ、弁解はしない。クリスくん、君が決めてくれ」

 二人の視線が、クリスへ向く。

 クリスの表情は、やはり少しも変わっていなかかった。表情だけではない。意見の方も。

「情報が得られる、という点で興味がある」

「クリス……」

「俺の目的に、まだ知らないドールの情報は必要だ。ただ、普通に様子を見させてほしい。有益なことが得られそうであれば、ドール・ベースに所属する」

 声も目も、ただ真っ直ぐだった。

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