みかんの自主練習

 夢のふくろうカフェは、いくつもの部屋に繋がっている。カフェに入って左側の扉を開けると、そこは物置兼休憩室になっている。さらにその部屋の奥にも扉があり、そこを開けるとトレーニングルームとなっている。


 トレーニングルームは、体育館のような内装で、広くてなにもない。そんな部屋の真ん中に、一人の少年が立っていた。


 クリーム色をした髪から覗く金色の目が前を見ている。その瞳をおもむろに閉じて、頭の中でイメージを膨らませる。


「エリア、荒野。強さ、強。数、百匹……」


 頭の中で言葉を唱えるように呟き、目を開ける。するとそこは、さきほどまでの体育館のような場所ではなく、広い荒野となっていた。岩陰や上空、砂の中から、人の倍ほどある大きさのネズミの姿をした夢鼠が次々と湧いて出てくる。


「全部ぶっ倒してあげるよ!」


 カフェの制服姿のまま、少年は背中から生える自分の翼から二枚の羽を抜く。両手にひとつずつ握られた羽は、拳銃へと形を変えた。二丁の銃を構え、迫り来る夢鼠に向かって引き金を引く。


 銃声が、荒野を模したトレーニングルームに鳴り響く。少年は両手の銃をそれぞれ前へ、横へ、後ろへと移動させながら、流れるように弾丸を撃ち込んでいく。弾丸はどれも夢鼠の額へと的確に当たり、夢鼠は弾けるようにして光の粒子を散らしながら消えていった。


 しかし、撃っても撃っても、夢鼠は岩陰や上空や砂の中から湧いて出てくる。四方からやってくる大群は、しだいに小さな少年との距離を縮めていく。


 少年の顔に、焦りがにじみ出てきた。


「あーもうっ! 早くぶっ倒れろ!!」


 やけを起こしたかのように叫び、両手の銃を前に向けて撃ちまくる。前方から迫っていた夢鼠がみるみるうちに倒され、減っていく。


 その時、少年はハッと殺気を感じ、撃つ手を止めて振り返った。後ろから、一匹の夢鼠が目の前に迫ってきていた。尖った前歯を剥き出しながら、少年に噛みつこうと口を大きく開ける。


「っ!?」


 少年はとっさに右手の銃を夢鼠に向けた。引き金を引いたのと、夢鼠が彼の腕に噛みついたのは同じタイミングだった。


 一発の銃声が響いた直後、周囲の景色が揺らいだ。目の前にいた夢鼠の姿は消え、周囲に群がっていた他の夢鼠も消える。荒野もなくなり、体育館のような部屋に、ぽつんと少年は立っていた。


「……くそっ!」


 悪態を吐き、少年は自分の膝に手を置いた。息が切れている。流れた汗が、頬を伝ってあごの下から零れ落ちる。


「みかんは焦ると周りへの警戒が疎かになるのが悪い癖だね」


 不意に横から声が掛けられた。名前を呼ばれたみかんは顔をあげ、右手の銃を歩み寄ってくる人物へ向ける。


「それに、設定を強くしすぎ。練習はいいけど、無理は良くないよ?」


 銃口が向けられているにもかかわらず、恐れる素振りもなく近づいてくる。みかんはそんな相手を睨みながら、吐き出すようにため息を吐き、銃から手を離した。


「れもん、勝手に入ってこないでって、いつも言ってるでしょ。アドバイスなんか求めてないから」


 下に落ちる二丁の銃は、床に当たる前に二枚の羽に変わり、ふわふわとどこかへ飛んでいった。不機嫌そうにそっぽを向くみかんに向かって、れもんが持っていたタオルを投げ渡す。清潔な真っ白いタオルが顔に掛かり、みかんは嫌そうにしながらも顔の汗を拭った。


「ちょっと休憩しよう?」


 れもんはみかんの言葉にお構いなしで、笑みを浮かべて問いかける。

 みかんがまた、わざとらしく大きなため息をひとつ、零した。



   *   *   *



 トレーニングルームの隅へ行き、二人は壁に寄りかかって腰を下ろす。


「はいこれ」


 れもんが床に置いておいたグラスをひとつ、みかんへ手渡した。

 氷の入った茶色い飲み物を一口飲んで、みかんは顔をしかめる。


「苦っ。なにこれ?」

「はちみつ入りのレモンティー。らいむが差し入れにって作ってくれた。みかんのために甘くしたって言ってたけどな」

「ボク、紅茶とかコーヒーとかの苦みは嫌いなんだけど。水のほうがマシだよ」


 愚痴を言いつつ、それでも喉は渇いているのかグラスを傾ける。

 れもんはそんなみかんを見ながら目を細め、自分も同じ飲み物に口を付けた。

 汗が引き、空になったグラスを床に置いてから、みかんが口を開く。


「他のみんなは、もう寝たの?」

「うん。明日もあるからあんまり無理しないようにって、らいむが言ってたよ」

「別に。無理なんかしてないよ」


 みかんはずっと視線を合わせないようれもんの反対を向いている。

 対してれもんは、みかんの顔をずっと見つめていた。


「みかんは頑張り屋だよね。よくこうやって、一人で自主練してるのすごいよ」

「別に。褒められたくてやってるわけじゃないよ……」


 そう言葉を零すみかんの手が、なにかを堪えるように握られた。

 れもんはその様子を見逃さずに静かに見つめ、ゆっくりと口を開く。


「もしかして、この前、はっさくに怪我させたこと、気にしてる?」


 その言葉を聞いた瞬間、みかんの身体が小さく震えた。それでも、なんでもないようにそっけない返事をする。


「別に。あれはただはっさくが勝手にボクを庇っただけだよ。はっさくがいなくても夢鼠は狩れた。ボク独りでだって夢鼠は倒せる。だれの力を借りなくても……」


 作られた拳が、さらに強く握りしめられる。

 味気ない声はしだいに熱を帯び、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「そうじゃないとダメなんだ。もっと強くならないと。だれも傷つけないくらい、強く……」


 みかんの話をそばで聞きながら、れもんは静かに笑みを浮かべた。


「みかん、変わったね」


 顔は見えないが、握りしめていた手がかすかに緩んだ。

 れもんは前を向き、軽く上を向いて、なにかを思い出すように話し出す。


「みかん、最初ここに来た時、すごく荒れてたから。だれも信じないって目をして、全員が敵だって顔してた。けど、今は全然違う」


 そう言って、視線をみかんへ戻す。みかんは首を曲げて、れもんのほうを見ていた。目と目が合い、れもんは頬を染めて微笑む。


「だから、みかんはすごいんだよ」


 みかんは呆気にとられたように、れもんの目を見つめていた。数秒。ハッと我に返り、顔をしかめて再びそっぽを向く。


「意味わかんない。なにがどう変わったのか全然説明になってないし、すごいとかテキトーな褒め言葉しか言ってないでしょ。からかわないでよね」


 悪態を吐き、顔をれもんからそらしたまま立ち上がる。それから、前へ進もうと足を踏み出すが、一歩前に出して立ち止まった。

 なにかを言おうか言うまいか、逡巡するようにたっぷり間をためてから、ぽつりと呟く。


「こんなふざけたこと言ってくれるの、れもんだけだよ」


 相手に聞こえるか聞こえないかの小さな声で言って、みかんは逃げるように再び歩き出す。しかし、二歩目を踏み出したところで、また動きが止まった。


「そんなことない!」


 不意に身体が、後ろへと引っ張られるように傾く。れもんが立ち上がって、後ろからみかんの身体に覆いかぶさってきた。

 みかんが「ひっ!?」と思わず声をあげて、身体を強張らせる。その様子を楽しむように、れもんは後ろから身体を抱き締めた。


「らいむもはっさくもすだちも、もちろん僕も、みかんのこと、大好きだよ!」


 飾り気のない素直な言葉が、耳もとで大きく発せられる。

 みかんの身体がみるみるうちに熱くなる。その熱から逃れるように、翼と腕をばたつかせた。


「やめてよ、離れてっ! こういうことされるの一番嫌いだって、わかってやってるでしょ!?」


 れもんはじたばたする身体をしばらく笑いながら抱いていたが、さすがに顔を両手で押されて腕を離した。みかんの息づかいが荒い。睨みつける顔も真っ赤に染まっている。

 そんな表情を見て、れもんは満足したのか、ニッコリと微笑む。


「ねぇ、みかん? 久し振りに、一対一で対戦しようか?」


 急に話題を変えて、れもんは軽い足取りでトレーニングルームの真ん中へと歩み出した。

 みかんは楽しげに揺れる白い翼をぽかんと見つめていたが、言葉の意味を理解して不敵な笑みを浮かべる。


「頭に穴が空いても知らないよ?」

「大丈夫。らいむやはっさくが避けられるなら、僕にもできるはず」

「弾丸避けながら突っ込んでくるとか、あの二人が異常なだけだよ」


 軽口を言い合いながら、二人は並んで歩いていくのだった。

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