第3話 少女の悩み事

 二人はテーブル席に座った。テーブルの横には枝のような止まり木が設置されていて、店員がその上にれもんを係留けいりゅうする。それから、注文したドリンクが運ばれてきて、二人の前にカフェラテが置かれる。表面の泡には、フクロウの顔が描かれていた。


「それで、木ノ葉このは。相談したいことってなんなの?」


 カフェラテをスマホで撮り終えた少女が、向かいに座るショートボブの少女に向かって首を傾げた。

 木ノ葉と呼ばれた少女は、カフェラテを一口飲み、視線を泳がせながら口を開く。


「う~ん、たいしたことじゃないんだけどね……」


 言葉を濁しながら視線を横に向けると、れもんと目が合った。れもんは木ノ葉の友人と同じように、首を傾げる仕草をする。愛らしい姿に思わず手が伸びて、れもんの柔らかな羽を撫でながら、話を続ける。


「実はね、最近変な夢ばっかり見るの」

「夢? どんな夢?」

「それが……」


 木ノ葉は頬を掻きながら、自分の見た夢について説明する。

 カフェラテを飲みながら話を聞いていた友人は、ぷっと吹き出しそうになって、むせながら笑い出した。


「なにそれー。元カレがウサギになって木ノ葉を追いかけてくる夢って、面白すぎるんだけどー」

「笑わないでよ~。最後には食べられちゃうんだよ? 夢の中だと、すっごく怖いんだから」


 木ノ葉は笑う友人に向かって、恥ずかしそうに頬を染めながら抗議した。

 友人は「ごめんごめん」と謝りつつ、スマホを片手に検索を始めた。


「でもさ、夢占いによると、ウサギの夢って、チャンスが訪れる前触れって意味があるらしいよ。あっ、でも追いかけられる夢は、幸せになることに戸惑っているのかもしれない、だって」

「幸せになることに戸惑ってる? 自覚ないな~」


 木ノ葉はそう言葉を零し、カフェラテを飲む。

 友人はスマホから顔を上げ、真面目な表情になって、木ノ葉の顔を見つめた。


「もしかして、まだ引きずってるんじゃない? 元カレのこと。未だに夢にまで出てくるんでしょ?」


 木ノ葉は友人の視線に苦笑いで返し、小さく両手を振った。


「そんなことないよ。もう一ヶ月も経ってるんだもん」

「本当? だって木ノ葉、別れた時、すごく落ち込んでたじゃない? あたしの家まで泣きながら訪ねてきたりして」

「あー! そんな恥ずかしい記憶、思い出させないでよ~」


 木ノ葉はとっさにテーブルに突っ伏して、首を激しく左右に振る。

 止まり木にとまっていたれもんが、びっくりしたように翼をその場で羽ばたかせた。


「あっ、驚かせてごめんね。れもんちゃん」


 急に動き出したれもんに気付き、木ノ葉が顔をあげて謝る。優しく頭を撫でてあげると、れもんは落ち着いたかのように止まり木にとまり直し、木ノ葉の手にすり寄った。

 楽しそうにれもんと触れ合う木ノ葉の姿を写真に収め、友人は笑みを浮かべる。


「ここ、悩める木ノ葉にはピッタリの場所だと思って連れてきたんだよ?」

「どういうこと?」

「実はね、このふくろうカフェを訪れた人には、幸福が舞い降りるって噂があるの」

「幸福が舞い降りる?」


 木ノ葉はれもんから手を離して首を傾げる。

 れもんも真似するかのように、首を傾げる仕草をした。


「そう、SNSで密かな話題になってるんだよ。特にこのれもんって子と触れ合うと、幸せになれるらしいの」

「だからご指名で、この子にしたんだ」

「木ノ葉はどうしてこの子を選んだの?」

「なんとなく……、目が合ったから?」


 木ノ葉はそう言って、再びれもんの羽にそっと触れた。れもんの足には革製の紐が結ばれていて、リードに繋がれている。よく見ると、その革の部分には、白くきらめく小さな結晶がはめ込まれていた。

 れもんは気持ちよさそうに触られながら、木ノ葉の目をじっと見つめる。

 れもんと目が合い、木ノ葉は思わず笑顔になる。


「どう? ちょっとは元気になった?」


 カフェラテを飲み終えた友人が問いかける。


「うん。すごく癒やされたよ。ありがとう」


 そう言って、木ノ葉は友人にも笑顔を向けた。

 いつの間にか、店内は客で満席となっていた。フクロウとともにドリンクを楽しんでいる人、写真を撮っている人、触れ合っている人。皆、思い思いの時間を過ごしている。

 二人はまたしばらく他愛のない会話を楽しんだ後、席を立った。会計を済ませると、女性店員が小さなしおりを二人に差し出した。


「これ、来てくれたお礼のおまけなの。換羽かんうの時に抜けた羽を使って作ったしおりなんだけど、良かったらどうぞ」


 しおりは羽をラミネートして作られたものだった。羽は真っ白で、おそらくれもんのものだろう。

 二人はお礼を言って、しおりを受け取り、店を後にした。



   *   *   *



 木ノ葉はその後、友人とショッピングをしたり、カラオケへ行ったりした。家に着いたのは夜になってからだった。

 自室へ行き、ベッドの上で横になる。部屋には、犬や猫や鳥など、動物のぬいぐるみがたくさん置かれていた。


「今日は楽しかったなー」


 木ノ葉はスマホを手に、友人から送られてきた写真を見返す。

 ふくろうカフェで撮った写真の中には、真っ白な羽のれもんとともに写る自分の姿があった。

 ひと通りの写真を見終えて、スマホをそばのサイドテーブルに置く。そして、隣に置かれた写真立てに、そっと手を伸ばした。


「もう、別れたはずなんだけどな……」


 手にした写真の中には二人の男女が写されていた。動物園の前で撮られた写真の中で、二人は笑顔で手を繋いでいる。


「今日もまた、あの夢見たらどうしよう……」


 呟き、写真をテーブルに戻す。

 木ノ葉は電気を消して、ベッドの中に潜り込んだ。



   *   *   *



 雨の降る街で、二人の男女がそれぞれ傘を差しながら並んで歩いていた。


「あのさ、木ノ葉ちゃん……」

「どうしたの、――くん?」


 口にした相手の名前はおぼろげで、なぜか耳に届かない。

 木ノ葉と年の変わらない男子は、道の端で立ち止まり、目を伏せながら口を開く。


「おれたち、別れないか?」

「えっ?」


 男子の隣で立ち止まった木ノ葉は、言葉を漏らしたきり、固まってしまった。


「お互いに受験も近いだろ? 塾とかで忙しくなったら、デートとかもできなくなりそうだし……。そろそろ、終わり時かなって思ってさ……」


 男子の話を聞きながら、木ノ葉の頭では二人の思い出がよみがえってきていた。

 クラスで一緒になってから、優しい彼のことが好きになったのは木ノ葉だった。引っ込み思案な彼女から声を掛けることはできなかったが、友人が協力してくれて、グループで遊びに行ったりしていた。それでしだいに仲良くなって、夏休みに入る前に、彼から告白された。

 動物好きな木ノ葉のために、彼はよく動物園へ連れて行ってくれた。デートの時はいつも楽しかったし、彼に対してなんの不満もなかった。


「そっか……」


 雨の音が、やけに大きく聞こえる。

 木ノ葉はうつむいて、ようやく言葉を口にした。傘に隠れているせいで、彼の顔は見えない。


「――くんが、そう言うなら……」


 お互い会えない日が多くなっているのは事実だった。付き合った当初と比べて、デートをする回数は少なくなっていた。彼は忙しいのか、連絡をしても繋がらないことが多かった。

 なによりも、好きだから。自分がここで食い下がって、彼の困った顔を見るのが嫌だった。


「ごめんな。今までありがとう。木ノ葉ちゃん」


 彼の声が、空しく雨音に紛れていく。

 木ノ葉は最後に、彼の顔を見ようと傘を持ち上げた。

 真っ黒な毛に包まれて、長い耳を生やし、赤い目を持つ、彼の顔を――。


「えっ?」


 まぬけな声を漏らして、木ノ葉は硬直した。

 目の前にいるのは、彼ではなく、人と同じ大きさの黒いウサギ。

 ウサギは赤い目で彼女を見つめ、次の瞬間、飛びかかってきた。


 ――殺されるっ!?


 木ノ葉は、傘を捨てて走り出した。雨に濡れるのも構わず、濡れているのかさえわからずに、街の歩道を走り続ける。

 振り返ると、黒いウサギは二階建ての家と同じくらいの大きさになっていた。口から覗く前歯が、なぜか血のように赤い。


 ――捕まったら、ダメだっ!


 反射的に頭を押さえる。何度も繰り返されてきた結末が頭をよぎる。走っているけど前に進まなくなり、あのウサギに追いつかれて、頭を前歯で突き刺される。脳天に走る痛みを思い出すと、思わず身体が震える。


「だれか……だれか助けてっ!」


 道を走りながら、声をあげた。さきほどまではいたはずの人々が、今はだれもいない。この街にいるのは、逃げる木ノ葉と、追いかける巨大なウサギだけ。


「だれか……、お願い! 助けてっ!」


 走る速度がどんどん遅くなっていく。走っているはずなのに、前へ進めなくなる。


 ――また、殺される……。


 諦めかけたその時、目の前を、白いなにかがふわりと舞った。


 ――羽?


 それは、真っ白な鳥の羽だった。

 羽はふわふわと宙を舞いながら先へ進んでいく。導かれるように、木ノ葉は羽の後を追いかけた。自然と足は、前へ進むことができた。

 気づくと辺りは、街ではなく、真っ暗な空間になっていた。ただ、進む先に、細い階段があるだけ。木ノ葉は羽を追って、階段を駆け上っていく。

 羽が舞う先には、ひとつの木の扉があった。それは、日中に訪れたふくろうカフェの扉に似ていた。木ノ葉は迷うことなく、その扉を開けて、中へ飛び込んだ。


 カランカランッ。


 ドアベルの澄んだ音が鳴る。いつの間にか息が切れていた木ノ葉は、両膝に手をつきながら荒い呼吸を繰り返した。


「「「ようこそ、夢のふくろうカフェ『dreamドリーム owlオウル』へ!!」」」


 不意に声が聞こえ、顔を上げる。

 店内にいたのは、五人の男性。彼らの背からは、鳥に似た翼が生えていた。

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