18

「――」

 私は、うつ伏せになったままの姿勢で、その朝も目を覚ました。

 無意識に、顔を伏せる。右頬が枕に触れて、私はその忘れかけていた激痛に、跳ね起きる。

……痛い、……痛い。

 けれど恐らく、昨日の敬子さんは、私よりも「もっと痛かった」筈なのだ。

 私は、台所に敬子さんの気配が現れる前に着替えを済ませ、一人で朝食を作り出した。

 トントントン、と私の手が大根を刻む。

 敬子さんの手では、綺麗に形の揃った千切りに切り揃えられる大根は、私の手の中では不格好で、不揃いなままだ。

「――」

「おはようございます!」

 起き出して来た敬子さんを、私は笑顔で迎えた。黙ったままの敬子さんに、私は更に話を続ける。

「敬子さん、やっぱり、長いこと兼業主婦やってると違いますね。私も自炊はしてましたけど。……ほら、私の切った大根なんて、こんなに、形が不揃いで」

「また、忘れたの?」

 敬子さんの声は冷ややかだった。

「忘れた? ……やだなあ、何のことですか?」

「そう、忘れたのね。あなたにはもう、何も望まないわ」

 冷めたような敬子さんの声。その声を聞くたびに、私は何か、お腹の底から熱いものが、ふつふつと湧き上がってきた。

「何ですか?」

「え?」

「憎しみ合った記憶を忘れて、何が悪いんですか。傷つけあった記憶を覚えていたって、空しいだけ。そんなのことのために、本当に私たちは、姉妹でい続けているんですか?!」

 私は叫んだ。右頬の痛みが、甦ってきていた。

「昨夜言ったでしょう? 憎まれても、恨まれても、『覚えておいて欲しい』ことがどんなにあるか、……って。私、今日は朝食はいらないわ。自分で何とかします。もう、仕事に出ますから」

「敬子さん!」

 私は叫んだ。全てを諦めきったような目をして、死んだように、私の前から去っていく、「姉」に向かって。

「私、思い出しますから! どれだけ時間かかっても、絶対、思い出しますから!」

「……そう。行ってきます」

 パタパタパた、と敬子さんの履いたスリッパの足音が鳴る。

 遠ざかっていったその足音は玄関で扉の開ける音に変わり、そして、音を立てて玄関の扉が閉じた。


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