13
「真奈美先輩」
私は、公園の人目に付かない茂みの中に入った所で、ようやく押さえられていた口元を解放された。
げほっ、げほっ、と私の喉が激しく咳をする。
「随分、……酷い対応じゃないですか?」
私は咳き込みながら、相手の姿を改めて確認する。
背の低い、肩までのウェーブの髪をした、制服姿の女性だった。一見、力があるようには見えないのだが、先程、私を茂みにまで引っ張って来た力は相当なものだった。
ちなみに制服は、昨日訪れた私の部屋のクローゼットで見かけたものと、同じ制服だった。……彼女が私と同じ会社の人間であることは、明らかだった。
「それについては、謝ります」
女性は、先程の強引な応対を詫び、頭を下げて来る。
「ですけど。先輩、何を考えているんですか? 外部から顧客扱いで、『名前で』の訪問なんて。私が、先輩を『名前から』よく知ってたから良かったですけど。中川部長なんかにでも、万が一見つかったりしたら、どうするおつもりだったんですか?」
「うん。……実は、あのね」
私は一言前置きし、その「後輩」女性に話を切り出す。
「少し話が長くなるんだけど、まずは最初に、あなたの名前から聞いてもいいかしら?」
「……それじゃ、先輩、事故に遭って意識が戻った今も、記憶喪失のままなんですか?!」
女性が驚きの声を上げて来る。
女性は、自分を吉田久真子、と名乗った。彼女によれば、彼女は私の二歳後輩にあたり、「私」には随分お世話になってきた、のだという。
「ええ、そうなの。だから、吉田さんのことも、その『中川部長』のことも、名前を出されても、何も思い出せないの」
「先輩、……それじゃ」
吉田さんは、そこで急に私から目を逸らした。
そこにあるのは、躊躇いの表情。
だが、結局彼女は、私に口を開いた。
「先輩は。……ご自分が、中川部長からパワハラを受けていたこと、全く覚えていないんですか?」
「……ええっ?!」
「解らない。思い出せない。その『中川部長』のことも、パワハラを私が受けてた、ってことも」
けれど、私には思い当たる節があった。
「過去」に対して、漠然とした「恐れ」のようなものを抱いていた「私」。
それは、上司によるパワハラの記憶が、あまりにも激しすぎて、到底思い出すことが出来なかったのではないのだろうか?
「……あの日、先輩が自動車事故に遭った、って知らせが、次の日に舞い込んできてから」
吉田さんは、沈痛な表情で、話の口火を切る。
「解りませんか? 社内では、まことしやかに、今度の事故が、中川部長のパワハラによる過労自殺、っていう噂が飛び交い始めたんですよ?」
「ええっ?!」
私は、ただ絶句するしかない。
「中川部長にも、その噂は聞こえてきたんでしょうね。……部長、その噂が流れ始めた頃から、躍起になって仕事にピリピリし出したんですよ。丁度、部長が、先輩にパワハラをしてた時みたいに。頭ごなしに毎日、誰かが怒鳴りつけられてました。……でも、そんな部長の様子を、上層部は『人員の欠けた穴を埋めようと精一杯努力している、頼もしい部長』としか見てくれなくて。今、会社の中の、同期の皆が疲れ切っているんです。何で、先輩は会社に連絡をくれないのだろう。まだ、それ程まで事故の怪我の程度が重症なんだろうか……って。先輩のスマホは繋がらないし、先輩の自宅へ電話してもずっと、留守録応対ばかりで。早く先輩が復帰して、『本当のこと』を証言してくれないと、私たちはいつか、本当に中川部長に潰されてしまう、って」
「……ねえ、ちょっと待って!」
私は吉田さんの言葉の途中で、思わず、その言葉を遮っていた。
「今の話をまとめるんなら。中川部長も、社内の皆も、私の事故については誰一人、『本当のこと』を知らないんでしょう?!」
「えっ。ええ。まあ、そうなんですが どうしたんです?」
「今、思いついたことがあるの。私一人じゃとても出来ないことだけど。……何人か、他の人に協力を頼めないかしら?」
「えっ。いいですけど。何をするんですか?」
「まず、……準備をしなきゃ。今日、終業後に人を集めることは出来る?」
私は吉田さんに、意味ありげに微笑んだ。
どきどきと胸が、これまでにない、踏み出す「一歩」に高鳴っていた。
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