「ただいまー」

 敬子さんが玄関先でそう言って、家の中へと入って来る。

「お帰りなさい」

 いつもよりも帰宅時間の遅かった敬子さんを私は出迎え、重そうに持っていた荷物に手を差し出す。

「結構よ」

 敬子さんがそっけなく言い、私は手を引っ込める。

「敬子さん、ご飯はもう、食べて来たんですか?」

「ええ、食べてきました。あなたもきちんと火事を起こさずに夕ご飯を食べていてくれたようですし、一安心だわ」

「……ありがとうございます」

 本来ならお礼を言うような所ではなかったのかもしれないが、私はそう言って、敬子さんに頭を下げる。


 あれから、結局、私と高杉さんは名刺を持ち出した後、大家さんに鍵を返し、一緒に外で夕ご飯を食べに行っていた。

――それじゃ、今の所は手がかりらしい手がかりはこのぐらいしかないんですか?

――はい。

 高杉さんの声に、私は答える。

――スマホ、とか、ダイアリーとか。……どうも、事故の時に失くしちゃったみたいなんです。姉の家に、事故の前から読んでいた本が残っていましたが、何も手がかりらしいものは挟まってませんでしたし。この名刺から、会社へ、行ってみるしかありません。

――それなんだけど、大内さん。

 高杉さんは、少し声を落として、真面目な顔になる。

――大内さん、入院していた間とか、会社からお見舞いに誰かいらっしゃいませんでしたか?

――えっ。

 私は思わぬことを言われて、不意に思い至る。

――確かに。そういえば、会社側から、こちらに、誰かがお見舞いに来た……とか、そんな話は全く聞いていません。

――近所の私にも、お姉さんが、多分、新聞の停止と賃貸料のまとめ払いなのかしら?……そんなタイミングでこちらにいらして。挨拶されていった他は、病院も教えていただけなかったですし、お姉さんのおうちの電話番号も教えていただけなかったんです。

――どうして、姉はそんなことを?

――その時には、余程余裕がないのかな、と思っていたのですが。何でお姉さんは、会社の方に、病院のことを教えなかったのでしょうか?

――姉が病院のことを教えなかった? いえ、……でも、心当たりはあります。

私は、高杉さんの前で、呆然と呟く。

――姉は。……記憶の戻らない私をどうも、良く思ってないようなのです。もし、何か。私と会社の間に「何か」があって、姉が、会社に私のことを伝えていないのだとしたら。

――あんまり、早急に物事を判断するのも考え物だと思いますが。

 高杉さんは、そう前置きしたうえで、私にはっきりと言った。

――大内さん、真正面からその会社には行かない方がいいですよ。


 私は、外食のカレーライスの味を思い出していた。

「……何?」

 ぼんやりしていたのだろう、敬子さんがそう言って、私の顔を覗き込んでくる。

「いえ。何でもないです」

「そう? 変な子」

 私はもう一度カレーライスの味を思い返す。高杉さんと、そんな話をしながら食べたカレーライスは、全く辛さを感じない、痛覚の麻痺したカレーライスだった。

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