6
バスを一つ乗り継いで、私は、メモの住所に来ていた。
……ええと。
きょろきょろと辺りを見渡し、私は不動産屋から当たった方が良かっただろうか、と後悔し始める。
「……大内さん?」
そんな私を、一人の女性の声が呼び止めた。
「え、あ」
「大内さん! お元気になったんですね?! もう、戻られたんですか?」
「いえ、その」
私は内心、地雷を踏む心地で、女性に答える。
「私。……まだ、姉の所にいるんです。実はまだ、記憶喪失なので、正直、あなたが誰なのかも解らないんです」
馬鹿正直に答えてから、嘘の吐けない自分を呪うが、自分は自分だ。仕方がない。
「ええっ? ……私、お隣の高杉ですよ。もしかして、ご自宅に探し物でもされに来たのですか?」
私は、女性の勘の良さに、内心舌を巻く。けれど、「解っている」彼女と、「思い出せない」私でははなから土俵が違うのだ。そこは割り切るしかない。
「……はい。実はそうなんです。大家さんに、家の鍵を貸していただきに来たんです。大家さんがどちらにいらっしゃるか、ご存じですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。こちらへ」
女性は春物の綺麗な、ラベンダー色のワンピースを着ていた。私のグレーのスーツの上下とは、また違う。パンツで男の様な格好をして来たのは、決意が鈍らないためだ。
「思い出せないのなら、少し残念ですけど」
女性は案内する私を振り返って、夢のように微笑む。
「大内さん、いつも、お花をたくさん買って来て、そのお裾分けをお隣に、って言って渡してくれてたんですよ。いつも、お花があって、和みました。今では、私が自分でお花を買う習慣がついて。ちゃんと、お帰りになることが決まったら、今度は、私がお宅にお花を贈らなければいけませんね」
「えっ。……あ、ありがとうございます」
胸の奥が少し熱くなった。
「過去」の私が、「現在(いま)」の私の背中をそっと押す。
「私」は、「一人ぼっち」ではないのだ。
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