「――?」

私は自分のベッドの中で、俯いた姿勢のまま、目を覚ます。

 パジャマ姿のまま、自分が敬子さんに割り当てられた私の部屋の中で、私は身を起こす。剥き出しの、アパートの窓。そこに閉められた水色のカーテンから、微かな光が零れて来ている。

時計の針が指しているのは、午前五時半。

私は窓際に歩いて行き、アパートの三階のこの部屋から、カーテンの下の景色をそっと覗き見る。

 桜の季節が、眼下に静かに広がっていた。

 薄い桃色の吹雪が、風に舞っている。風は花びらを遠くに持って行き、それぞれの桜が風に恵まれて、追いかけっこをする。

 どこまで飛べるかは、風の気まぐれ次第だ。誰にも、その行先は解らない。


 私は、自分の中に二つの境界線を持っている。

 一つは、単純に「私」というものの境界線。もう一つは、毎日の連続の中の境界線だ。

 「私」というものの境界線については、昨日話した。

 毎日の連続の中の境界線、というのは、眠る前と、眠った後の境界線のことだ。

 寝る前、苦しくて、とても遣り切れない熱い記憶の塊がある。

 焼ゴテを当てられたような「それ」を、私は眠ることで解き放つ。

 記憶は分解し、分散し、壊れてばらばらになる。

 苦しい記憶はベールの向こう側のようになって、少し痛みが和らぐ。


……恐らく、私は長いこと、「こういうこと」を繰り返してきたのではないのだろうか。

 目を覚ますたび、私の境界線は、とても上手に「ぼやけて」いる。私はその中から、新たな境界線を自分で勝手に選び直せばいいだけなのだ。

 悪い記憶は眠らせて、そして、けっして起こさない。

「……また、やっちゃった」

 吾知らず、言葉が零れる。

 軽い罪悪感と、微かな安心感。

 それに包まれて、私は今日も、「私」を始めるのだ。

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