冬─福寿草
寝起きに彼女に怒鳴られた。
朝早い僕はいつも彼女に気を遣い、布団がめくれないよう起きるんだけど今朝はほんの少しだけめくれた。
それだけで「寒い」と。確かに、今日は暖房の余韻もなくキンと冷えた朝だった。
でも……、珍しくトゲのある言い方をされたような。
(─、ごめん)
もしかすると彼女にとって普通の口調だったかも知れない、でもそれは捉え方次第だからね?
僕は彼女の身体を布団でそぉおおと、包んだ。
「アレ?」
(今日も体が温かい、というか……?)
ここ最近触れる体の感触に少し違和感を感じたけど、訊ねようにも布団に包まり気持ち良さげに寝る彼女を起こすわけにはいかない。
(そういえば……月のものは?)
指折り数え、少し考えたが女性のメカニズムが男に解るわけもないと気を揉むのは止め、身支度を整え始めた。
(最近、よく怒る……し、よく寝る)
表に出た僕は吐く息を白くさせ、手を擦りつけていた。
「ううっ、寒」
僕は北風吹く中、首にマフラーを巻きつけダウンジャケットの前をガチガチに閉め、防寒フル装備で目的地の神社へと一人歩く。
朝の冷気は年関係なく、身体に堪える。首を縮めたまま僕は鳥居をくぐった。
深々寒々と薄暗い空模様と寒波にも拘わらず、着いた場所は人で賑わう。
今日は左義長、小正月の火祭りだ。僕は正月に使用した箸やしめ縄、正月飾りを火に焼べに此処を訪れた。
「暖かい」
轟々、パチパチと燃え盛る炎はゆらゆら揺らぎ、蒼や青、赤や橙色を僕の瞳の中で舞わせ暖を与えてくれた。
彼女とここにあまり来ないどころか、あいつとは一回きり。
朝に弱い彼女は、この寒さに嫌気が差したらしい。
「朝は朝でもこんなに早いのは」と小言を漏らしたきり、彼女は二度と来ることはなかった。
「楽しいのに」
ぼやく僕は「……楽しいのは僕とお子だけ」と周囲を窺い寂しくなった。だって辺りは、はしゃぐ子どもの家族連れと老若男女の数名、少しばかりの
(……僕は子ども? いやいや、大事な行事を全うしているんだ)
気焔にジリジリと攻められ僕は一歩後退り、オレンジの燄柱と火の粉が風に煽られ踊る姿になぜかときめいた。
境内を詣でる前になぜか頭上高く
(今年もいい年でありますように)
天を焦がそうと渦巻く炎を仰視する僕の背後で、何かの影が蠢く。僕はその何かを掴み引っぱり、背負い落とす寸前で止めた。
「うわぁあああ」
この声は近所の
僕に腕を取られた
少しニヤつく、僕がいた。
「フム、お前か」
「もう、お兄。武芸も秀でてるなんてセコいよ」
「背後を取るお前が悪い」
「チェッ」
口を尖らす若僧をゆっくり、地面に降ろした。
「身体は鍛えろと言ったろう?」
「僕は運痴ではないよ」
「あっそ」
僕は偉そうなガキを転がそうと足を引っ掛けてやった。そして地面すれすれの所で身体を支え持ち浮かせ、ほぼ宙ぶらりん状態の子どもがいる。
「わっわっ、何ッだよ」
粋がっていた子どもは驚きタップしてきたのですぐ、解いて遣った。
「もぅ、転けるかと思った。今日荒れてる?」
「いやいや、そんな」
横で楽しそうに火にあたるカップルがいた。思わず目線を奪われた僕に、中坊は同じものを覗き込むと冷やかした。
「あ~、そういう。フーン」
鼻に掛け笑う
「もう、八つ当たりは勘弁して~」
「いや、
(あっ、強がっているように視えたかも)
案の定強がりと判定され、青二才に慰められた。
「来年あるって!」
いや、来年どころかこの先も、あの寒がり朝弱彼女には有り得ない……。
僕は心の中で呟き、少年には何ともないといった感じで口角を上げた。
「まあ、彼女のことはさて置き、こんな朝早くに何しに来たんだい。神事を重んじるのは良いことだけど眠くない?」
ほくそ笑む僕に、ぶんぶん首を振るう中坊は書き初めを披露した。
「
見せられた字に思わず本音がだだ漏れてしまい、口を鬱ぐが遅かった。
少年がちょっとだけ、半ベソに視えた気がしたのは気のせいかな?
「どうせお兄みたいに綺麗な文字じゃないよ、だから願掛けに燃やすんだ」
そう言い、長半紙を風に乗せた。
クルクル回り、ぼうっと火の粉を乗せた紙が空を泳ぐ。紙全体が赤く仄かに色づいたと思った矢先、赤黒い紙塊はポゥと塵芥に空気に消えいる。
薄暗い朝雲に交差する雅な─、光景だった。
「きちんと燃えてる時にお願いした?」
「何を?」
「吉
「はぁ? 何だよそれ意味不」
少年は顔を歪め、僕を訝しんだ。
「僕も爺様に教えられたんだ『吉書 天筆和合楽 地福円満楽 天下泰平楽』のあとに願い事を唱えるとその年、神様が願い事を、或いは自身を吉兆へと導いてくれるらしいよ」
気難しい表情を見せた坊主は溜息をついた。僕は首を傾げた。
「僕が最初に唱えたのはその簡略版」
次に中坊はポカンとしていた。
「そう言うことは燃やす前に教えろよ。もう無いじゃん」
怒りながら空を指差す少年がいる。謝り笑う僕に、焼きたての餡が添えられた皿と甘酒が振る舞われた。
少年には善哉とお茶が持てなされた。
「俺、コレが楽しくて来てるんだ」
「あっ、僕もそうだよ。しかもこのお餅はその
「またウンチクかいっ! まっ、良いけどね」
「……字が綺麗になると良いね」
僕はガキの爪先で膝を軽く蹴られた。痛がりもせず、普通にデコピンでお返しすると少年ははにかんだ。
帰りに近所の大工屋に声を掛けられた。
「よう兄ちゃん、
見せられたのは可愛い蕾を付けた福寿草の花鉢だった。
「俺んとこ今回、庭の植樹依頼受けてさ。でこいつが妙に余ってな」
じゃぁと一つ返事でその鉢を貰い受けた。しかも丁寧に盆栽仕様に仕上げられ、苔の上で小さい松と並んでいた。
「兄ちゃんというよりお姉さんがだよね?」
「まぁ、そうかな?」
黄色付く花蕾を見て僕は、大分前のことを思い浮かべた。
(そう境内に咲いてたんだ)
僕はまだあるかどうか解らない花の場所を目指し、走り出した。
「お兄?」
不思議そうに少年が後を追い掛けてくる。
思い当たる場所に僕を待つように、それはあった。朝陽が差し込み、ちょうど朝露に照らせられた小さな福寿草。
僕は手に抱えていた物を横に置き、そうして眼前に生えている福寿の脇を掘り起こした。
(そう確かここに─、また来たいと……)
土から、小さな御守り袋が顔を出した。
(入れたんだ、この中に。彼女の耳で輝いていた)
「……あった」
「何それ」
追いついた中坊は戯けた表情でそれを窺う。
「彼女の
また一緒に来たい。そう思い、彼女の耳で煌めく飾りを奪い
「あれ、コレも福寿草?」
少年は僕の手にキラリ反射する
「そう。今年も咲いてくれてた」
本来、この花は二月に咲く。それなのに……、黄金の花片を広げていたんだ。
「前と同じでよかった」
(咲いてないと地面との見分けが)
茶色い地面と翠苔の間からひっそり微笑む、福寿草。
彼女と僕のあいだにある─、
つぶらな約束
今度来られたら
気が向いたら
また見られたら
そう呟いた彼女は中々来ないけど、また観ようと言ったことを思い出した。
(コレは返そう。……覚えているかな)
朝焼けの中、周囲に生える松の根を押し退けひっそり咲く花。
少年がぽそっと囁いた。此処を訪れた時の彼女と同じことを。
「可愛いね、ほっこりするね」
子どもの素直な意見通り、僕もそう思った。
「お兄のはこれからこんな風に開くんだ」
「うん、彼女に見せたい」
うわぁ~と冷やかし声を零し、ととんと僕の腕を小突く
少年と白い息を見せ合い、帰路につく。
この花は早春に黄金色の花を咲かせることから、一番に春を告げるという意味で「福告ぐ草(フクツグソウ)」と言われたが語呂が悪いということで告ぐが寿へと変わったらしい。
(少年の字も綺麗に変わるかな?)
「ただいま~」
ほんのり暖かいリビングのソファに、寒そうに蹲る彼女が居た。
「どうした」と訊ねた僕に彼女はただ無言で、テーブル上の「妊娠検査薬」と睨めっこしていた。
「! 妊娠」
「うん……」
「今日会社、休む?」
「……」
(……今どういう心境なんだろう)
怪訝な面持ちの彼女と、ただ無言の僕がいる。
福寿草は花言葉通り「幸福」「祝福」を僕達に与えてくれたらしいが、それが二人にとっての……。互いが求め与えるモノは何なのか「今」はまだわからない。
僕と彼女のあいだに、緊張の空気が流れていた。
◇◆◇◆◇花言葉◆◇ ◆◇ ◆◇
福寿草
「幸福、祝福、幸せを招く、永久の幸福、回想、思い出、悲しき思い出」
今回もたくさん……ありますね。
福と寿という文字からも良い捉え方が出来る言葉ですね。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇
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