秋─リンドウ(竜胆)
私と彼のあいだに咲く
──リンドウ。
互いを癒す気持ち
互いを癒す時間
互いを癒す眼差し
凛とまっすぐ上を向く。紫の花弁を晒す
(この人だけを誠実に……)
無邪気な彼の笑顔が目の前にあった。道すがら咲くリンドウを尻目に、彼の手をしっかり握り歩く。
今日は楽しい日かそれとも苦痛な日か、想像つかないお出掛け日。
湿る土、泥濘む足場。
水気を含んだ緑葉の香り漂う木々があり軽く踏んだだけで沈む地面に私は、四苦八苦していた。
何故こんな場所を歩くのか?
それは─。
彼と山の頂で朝陽を見るため。
山と云ってもそんな高くはなく、中級レベルの山。今は前と違って短いコースもあり日帰りも出来るという事だが時間をかけ登る、頂上コースを選んだ。
「今は途中まで車で来れるんだ。便利だけど、僕は……」
横にいる彼はぼやいた。この山は彼が高校時代に登ったことがある、想い入れの山だと教えてくれた。
峰を詣でる山道は今と違い滑らかでは無くウネウネ、モリモリ。険しく困難極めと、文句言う彼の瞳は昔を思い馳せ輝いていた。
私の前では本を楽しむインドア派の彼だがもしかしたら、こちらの方が向いているのかもしれない。
だって……、彼が時折見せる笑顔は眩しかったから。
「あっ」
「大丈夫?」
転けそうな私の身体を瞬時に持ち上げ「きみは軽いなぁ」と、ほくそ笑んでいる。普段おっとりしている彼が溌剌に動いている。
(リュックを背負う私を軽々。どこにそんな力が……)
「ありがとう」
「お安いご用で」
(お安い? ぷふ、変なの)
慣れきった彼の優しさも、こういう所だと新鮮に感じる。
(本当は慣れてはいけないのだ。人の優しさは常日頃、感謝してこその有り難み……)
彼は父に感謝していると、昨晩ベッドの中で零した。
彼は中学、高校、父と休みが合えばよく滝行や山行などに連れられ鍛えられ、難儀したが……今の自分があるのは父親のおかげだと。
呆れた顔つきで語るも、目と口端は笑っていた。
愉快で楽しいお父さん。
時には厳しく、時には優しく。
ただ、会話の節々に出てくる「行」という言葉に、何の荒行を強いられたんだろうこの人はと疑問符で溢れた。
(変なの? ふふ)
会話を反芻さす私はそれとともに景色も頭に入れた。そよそよと揺れる、葉の狭間に菊に似た花を見つけた。
白い花と黄色い花が仲良く、頭を振っている。
(あれはアキノキリンソウにリュウノウギク? 野花もいいなぁ)
知らぬ間に私の手は彼の服をぎゅっと、絞り握る。ゆっくり息吐き、前歩く頼りがいある人の服裾にこぶしをつくる私を、彼は気遣った。
「どうした? 疲れた?」
「ううん。花が綺麗」
「ああ、山の植物は清らかだね」
「ふふ、空気も良いしなんか。はぁ清々しい──気分いいなぁ」
揺れる緑と花々に、気持ちは晴れ晴れしていた。
山から見下ろす地上の風景もミニチュアのようで面白い。小さな情景に満足する私の横で、彼も深呼吸していた。
彼の手が私の頭を優しく撫で、満面の笑顔を空に向けた。
「一旦、此処いらで休もうか?」
「じゃあ、お弁当広げる?」
「だね」
山道脇の原っぱで、拵えてきた少量のサンドイッチとおにぎりを出した。
私はシートの隅に置かれた荷物を見て、ほくそ笑む。
大きいリュックは彼。
小さいリュックは私。
まるで今の私たちのように寄り添い、もたれていた。不思議と笑みがこぼれ、表情筋が弛んだままの私がいた。
「ん美味しぃフムむ? どうした」
「ううん」
私は首を右、左に大仰に振り、わざと視線を逸らした。だってリュックと私らの肩の並べ方が……、似ていたなんて恥ずかしくて言えない。
私の思考がバレないように、余所の様子を窺う。
「すごいあの人、カメラが三台も首に。私はコレなのに」
胸ポケットにしまい込んであるスマートフォンを出し、彼の姿にシャッターを切る。
大口でおにぎりを頬ばる彼は子どものように「かわいい」。
「おまっ、なんてところを」
「っへへ」
「あのな~……」
彼の秀麗な顔は珍しく可愛いく歪み、食べ物で口を動かしむくれていた。
(わわ、久々に見た。なんか楽しい)
少しじゃれ合った後、また開けた道を歩く。見ず知らずの私に笑顔を向けすれ違う人々、そうしてそれを会釈し返す。
ああ、山だと人はこんなにも打ち解け、解放されるんだ─と。
普段、頭に描く山とは違う山の醍醐味を知りつつ……、頂上に着いた!
山頂は思ったより人で溢れ、私は少しがっかりした。
(そうだよね、私達だけじゃないもんね)
カシャッ。
私の耳元に聞き慣れたシャッター音が切られた。
「うん?」と訝し、彼を覗くといきなり連写された。
彼ご自慢の小型カメラだ。
「なっ、なっ」
慌て腕を伸ばし、彼の前をパタパタと忙しく動くと嘲笑された。
「仕返し、実は持ってきてた」
怒った私はぷくぅと、むくれた。
するとまた「かわいい」と彼は云い、パシャリと音を鳴らせた。
(もう! 可愛いは聞き飽きた)
「ハハ、拗ね顔が良いね」と彼は吹聴し、大きく広げた手で私のおでこをぐりぐり。
子どもをあやすように撫でた。
「あと少ししたらこれより人数減るから静かになるよ、今は中腹に車が置ける。そこに戻る人もいるから」
私に白い歯を見せる彼がいた。私は考えを読まれ、頬を更にむむぅと膨らませた。
(どうしてこの人は私のことがわかるんだろう)
「フッ、いい表情だ」
呟いた彼は人目を盗みキスをする。
(この人は~~)
「だってしたかったんだもん。そんな顔しないでよ」
「誰も見てないよ」と彼は私を抱き寄せ、耳元で囁いた。すると、
「ママ~あそこ、チュチュしてる~。ねーねー」
親に報告しながら足早に去っていく子どもがいた。
子どもの背を見送り、私がたじろぐと「ガキ、恐るべし」とほざく彼がいる。なので軽く弩ついてやった。
叩かれた所を手で抑え、流し目で微笑する彼がいた。
私はそんな彼に、ときめいた。
(もう、たまに色っぽいのよね。この人……)
笑い合い、手を握り歩き、テントを取りに宿舎へ向かった。
頂上履歴と貸し出し名簿に名を刻んだあと、彼と一緒に空を仰いだ。
空は夕帯を携え、所々を薄紫に染めていた。
ミニテントを急いで張り、荷物を置き少し平野を歩いた。
雄大な夕焼けに感動させられ、夕陽に照らされた野草をみつけては二人で戯けた。
カメラに「想い出」が焼き付けられる。
暗くなった足元を懐中電灯で照らし、テントに戻った。
「来てよかったね」
「うん」
入り口を背に坐る彼は、カメラをリュックに片していた。
「ねぇねぇ、さっきの小さな白い」
「ああリンドウ、たぶんツルリンドウだよ。地面に蔓を張り咲く小柄な花。白に視えたのは色素が薄いせいかな」
説明する彼は少し身震いを起こしていた。気付くとテントが風で煽られ、布が少し波立ちうねる。
彼は私に風が来ぬよう、入り口にある隙間を身体で防いでくれていた。
「うー、冷えるね」
私は包まれていた毛布の中に彼を入れ、一緒に暖を取った。
「暖かい、こういうの良いね」
「フフ、あたっかい」
「寝袋出そうか、ひとつあるよ」
「ひとつ?」
「うん、一つ」
「一緒に入るの?」
「ううん、キミは寝袋、僕は毛布、で星でもどうかな?」
「見たい!」
細々と会話を楽しんだ後、彼がテントの入り口を開けた。私の毛布を彼が被り、私は寝袋に身体を収納させられ縮こまる。
彼の胸にもたれ、夜空に顔を向けた。
弾かれた金平糖のように、輝く満天の星粒があった。
「うわっ、何これ!」
「綺麗でしょう」
「ん、ッブシッ」
「ハハ、オヤジみたい寒い?」
軽く頷いた私は腕を摩り、彼に擦り寄った。
「火器用具があれば熱々の珈琲入れられるのに」
「へぇ……いいわね、それ」
「でしょ? でも─今はこれで我慢」
彼の手には白く緩くほわんと、温かい湯気を立たすカップがあった。
「!?」
「さっきの宿場でね。ホットコーヒー分けて貰った」
小さな魔法瓶から無くなったお茶に代わり、柔らかい珈琲の薫りがする。
「……ほんと、こういうところ。抜け目ないのよね」
「そう?」
珈琲を飲み終えた私は空いたカップを彼に返す、すると彼は自分の分を入れ飲んでいた。
(ほんとにこの人は……っ眠う?)
身体が温まると私はうつらうつらし始めた。そんな私に彼が耳元で、ぼそぼそ話す。
「俺さ……、一人じゃ眠れないんだ」
彼は何故ベッドに私を連れ込むのかの理由を今さら打ち明けていたけど声は掠れ、聞き取りずらく……。
疲れも有り、彼の小言は私に届かず。彼の腕の中で私はまったり、寝ていた。
「おやすみ」と優しく、囁かれた気がする。
朝焼けの帯が、空一面に広がる。
……薄らと差し込む暉に撫でられ私は目を、覚ました。
「おはよう」
「ぅわぁああ……」
山の眺望に私は感動した。
目を細める私の重い瞼に、彼は優しくキスをする。
「くすぐっ……たい」
「フフン、寝袋で手も出せまい」
(確かに私は……芋虫ですよ?)
頬を目いっぱい膨らます私の前にフッと、小さな影が過った。
「ママァ~~!!」
子どもが嬌声を上げ、走り去る。
彼は軽く項垂れ、やれやれといった感じで。
「また?」
髪を掻きあげた彼は私を、ギュッと抱いた。私は彼の腕の中で、けらけら笑う。
テントを片し、返す間も朝陽はやんわりと私達を包み、楽しい始まりの時間を見守ってくれていた。
「帰ろうか」
彼が私に手を差し出してきた。綺麗で、それでいてがっしりと身を任せられる大きな手。私は明るく手を取り、きびすを返す。
歩き出した靴の横にはひっそり、小さなリンドウが花開いていた。
◇◆◇◆◇花言葉◇◆◇ ◆◇ ◆
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆◇
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