秋─秋桜(コスモス)
ある家の縁側で白猫と遊ぶ私の隣には年輩の男性が坐っている。その人と一通り挨拶を交わし、軽く世間話をしていた。
一段落会話が落ち着いたところで、不躾な質問をされる。
「で、あの子とは一緒に寝てるのかね?」
胡坐をかき、眼鏡をキリリと掛け、新聞を広げている
皺を除くと……、彼そっくりだ。
そう─、隣で新聞を読み漁り、私に話し掛けてくるのは彼のお父さん。
細い腰つきからは想像出来ないほどドッシリ重く腰を据え、背筋をしゃんと伸ばし、着ている着物の袂からはみ出た白い腕は細くも筋肉の筋が浮かんでいた。
白髪混じりの髪を撫で、貫禄ある面持ちで私に目配せる。
「うん、返答に困るということは仲睦まじく寝てるのか、羨ましい」
「!!」
(仲……睦まじ?! ぇ、ウラヤまし?)
問い掛けに答えられず私はしどろもどろ、そして男と目が合うとボンッと顔が火を吹いた。
たぶん頬は赤々と、自分が思う以上に火照っているかも知れない……。
照れ隠しをしながら私は、猫の首を撫でた。
私の様子を伺う男は隣で新聞をガサッとさせ、私に視線を絡ませていた。その表情は厭らしく口角を上げほくそ笑む。
隣の人の余裕に私は躊躇い、一緒にいた白猫をギュッと胸に抱えた。
今日は彼の実家に私も一緒に図々しく、帰省していた。
トストスと近付く足音とともに、見知った声の助け船が私にあった。
「父さん久しぶり、そして僕の彼女苛めないで?」
「うむぅ、おまえこそなんだ。久々にあった父に『苛め』とは……、言い掛かりも甚だしい」
父親は新聞を広げくしゃっと揉むとクールな微笑……と思いきや、息子のひと言に肩をガックシ落とし悄気ていた。
見ていて私は可愛いと思った。
なんか、反応というか雰囲気がそっくり。ふふ、親子だわ。
ほくそ笑む私は彼の涼しげな声に訊き入り、眼の前で繰り広げられる
「あのさ。会うの久々だけど、週二で携帯に連絡寄こすどの口が言うの?」
「だって父、寂しい」
「子どもか!」
楽しく睨み合う親子は私の前で取り繕うことなく、毅然としていた。交わされる会話が耳に心地良い。
(……何年ぶりだろう、ここにお邪魔するの)
親子の遣り取りを気にする私とは裏腹に、何も考えない白猫は私の腕から逃げ彼の足元に擦り寄った。
「アホなこと言ってると帰って来ないよ? なぁ、シロ」
「クッ、おまえは相変わらず端正な顔で可愛いネコやこんな美人を侍らせ、うらやましい」
「……焼きが回ったか、父さん。母さんと妹が聞いたら怒るよ?」
「だってさ、こんなかわいい彼女連れて来るから父さんおまえと遊べない」
「……今日は我慢しなよ……」
いい大人が言う言葉とは思えないほど感情に素直な男性に、私と彼は顔を見合わせた。
困り顔の彼には悪いが私は少し、羨ましかった。
私の父とは違い、子にすごく素直に甘えるお父さん。
二人の愉快な会話は私を挟み、まだ続いていた。
「まぁ、いいや。母さんみたいに小言云われると面倒だから見せておこうかなと、連れて来たけど」
「相変わらずおまえには勿体ない。母さんとチェンジだ」
「父さん、真顔やめて」
「父さんは真剣だよ?」
似た顔、似た口、似た者同士。
こんなにも似る二人は親子なんだとまじまじ、思わせられる私がいた。
猫を離した彼が横に落ち着こうとした矢先、奥から人を呼ぶ声が訊こえた。彼が反応したけど、私は急いで起ち上がった。
「誰でも良さそうだから私が行くね」
「うん、ありがとう、お願い」
彼と入れ替わる私は庭の一角で揺れる秋桜に一瞬、目を奪われた。たぶん、彼も同じであったろうと思う。
互いが眼で語り、すれ違い、満面の笑みを浮かべた。
僕と彼女のあいだで咲く
──秋桜。
慎ましい思い
譲り合う糸
控えめな心
奥ゆかしく揺れる、柔らかい花弁が僕の胸に突き刺さる。
お前はきちんと──、相手を見ているかと。
コホンと咳打ち新聞を四つに、折り畳む父がいた。
僕はゆっくり父の横に胡坐をかいた。庭先に咲くコスモスを眼の端に捉え、父に微笑んだ。
「彼女と上手く、遣ってるみたいだな」
「うん、最近は」
自身の髪をくしゃ掴む僕は父に、照れ笑いをして見せた。
「変わらずのタラしか、困ったヤツだ」
「自分の息子捕まえてなんてこと言うの。それに
「さみしい」
「いや、そこは褒めようよ。何が「さみしい」のさ」
間髪入れず突っ込む僕を父は嘲笑い、目線を僕と同じ揺れる花に向けていた。
「秋桜─か」
父の物言いはああもうそんな時季かと、告げていた。
「おまえきちんと寝られてるか?」
「うん、彼女のおかげで俺。眠れてる」
「睡眠薬は」
「飲んでない」
フウと胸をなで下ろす父の横で猫が尻尾を優雅に踊らせ、擦り寄った。
「あれ、今自分のこと俺って」
「うん、たまに言う」
「そうか、おまえはあの時から俺呼称が僕に代わったからな」
「そうだね」
僕と父さんの間で往き来する白い獣は季節外れの蝶を見つけ、跳ねていた。
「そうか、彼女のおかげで安眠できてるか。彼女いい子だな」
「うん、黙って僕に抱かれてくれてる」
「もう父さんには抱きつかないのか……悲しい」
「あのね? 父さんを抱き枕にする趣味なんて毛頭ないからね」
僕は躊躇いがちに父を俯瞰し、鼻先で笑った。
「……中学の時は抱いてたじゃないか」
「あれは
「ヤだよ。抱くなら優しくしてくれ、年寄りは労ってちょーだい」
気がつくと僕は縁側に伏せ、父と腕相撲していた。
「きちんと眠れてるならいいが、ムムム。まだ一人は無理か?」
「眠れる、ただ熟睡はしない。寝てるだけって感じかな……フゥヌゥ!」
親子、互いに踏ん張り腕自慢の最中、庭で転げ回る小さい生き物は蝶を追い掛けていた。
……猫が蝶をパシッ!と捕むと同時に、父さんの腕が倒れた。
僕の勝ちだ。
「どうだ」と父に粋がる僕の眼の端で猫は獲物を逃し、双方がゆらゆら跳ねていた。
僕の眼には白い珍獣が蝶に揶揄われてるように思え、可笑しく吹いた。そんな僕は父に、優しく見つめられる。
「捕まえた得物が大きすぎて、逃げられないようにしろよ」
「うん……確かに大きすぎて手に余る。僕には勿体ない」
「じゃ、父にくれ」
即答する父を僕は、思いっきり叩いた。
「上げないし、手放す気もない。彼女は僕の安眠剤で栄養剤なんだ」
「相変わらずキモイことをサラッと……、荒行し過ぎて頭打った?」
「打ってない。あんたの息子ですからね、正直でしょ?」
「えーキモイ、父さんそんな恥ずいこと言わないし。こんなのとあの娘は一緒に……申し訳ない」
溜つく父の横で僕は、床にある新聞紙をセカセカと丸め始めた。
「おまえは変わらずだな、おまえが元気ならいい。墓参りはしたか?」
「うん、この間」
「チロの墓参りも?」
「うん、してきた……父さんそこまで引きずってないよ、大事なモノが横にいないと落ち着かないだけなんだ」
「そうか。庭に秋桜が咲いてるとああと思うが─、大丈夫か」
「ありがとう、父さんとの滝行は普通に体を鍛える修行で終わったけど、無駄ではなかったよ」
父さんは僕の言葉を黙って訊き湯呑みを手取り、冷めたお茶を啜っていた。
静かだが何か言いたげな眼はその先に咲く、コスモスを眺めていた。
秋桜──。
僕にとっては嫌な想い出の季節がまた来た。大事なモノが僕の腕からすり抜けた季節。
人に話すと、どう思われるか解らないが僕に起きた出来事は脳裡に焼かれ──、精神を犯された。
ズルズル引きずる僕の緩和剤は迷惑かも知れないが、彼女だった。
「おまえ、あの子にきちんと話したのかそのことは」
「話してない。端から見ると僕の
「端から見てるとそうだろうな」
「実際、欲……強いし」
「いやぁ、今の彼女だとそうなるだろう。実際あんな美人で器量良し、おまえの我が儘が通るおまえ好みなんてそういない」
「うん」
「容姿見てるだけでも晴れ晴れしい。父さんの傍にほしい」
「は? 母さんいるでしょう」
父さんは僕をギロリと睨んだ後、擦り寄る猫を抱きかかえもふもふの毛を撫で口をごもらせた。
「女房と畳はなんとやら」
「!」のあと、僕は丸めた新聞紙で思いっきり父の頭を叩いた。新聞紙は真ん中が裂けた。
父の腕にいた白いチビは「ギャッ」と慌て跳ね、父は新聞紙を見て嘆いた。
「ッホウ、テレビ欄が」
「え”、気にするところソコ?」
僕は父の反応の可愛さに声を殺し、笑った。
「どこも出掛けない日の楽しみはテレビ囲碁将棋、昼寝だろう?」
文句を言う父に僕は年代を感じ、今度はお腹を抱え大笑いした。もじもじと照れる父がすっごく可愛い。
「久々に将棋する?」と父を誘う。子どものように、無邪気な反応が返ってきた。
将棋をぱちぱちっと打つ音を訊き、僕は考えた。
(よくよく思うと彼女に僕は、打ち明けてないことが多いのでは?)
盤を詰めながら他事を考える僕の耳に「王手」と、嬉しそうに喚く父の声が縁側に、庭に響き渡った。
ハッとした僕の眼前に、ほくほくと頬を弛める父の顔があった。
透き通る陽射しと少し冷たい秋風が二人をさらう。
秋桜は負けた僕をあざ笑うと次に父を誉め讃え、ゆらゆらと微笑んでいた。
◇◆◇◆花言葉◇◆◇ ◆◇ ◆◇◆
(乙女の真心、調和、謙虚)
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇ ◇
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