薔薇ー僕と彼女の価値観?

  

 あれれ?

 何かがある?


 喉が渇いた私は冷蔵庫を開き、棚にある白い箱と睨めっこしている。覚えある四角い箱が、クーラー室のど真ん中を占拠していた。


「あれ、これ……」


 やはり、思っていた通り。私の大好きなイチゴケーキがワンホール、あった。

 苺が贅沢に盛られ、丸い壁と平らの部分を埋め尽くし、赤く輝く平面の真ん中には紅桃色のクリームで練られた薔薇が咲いていた。

 

「花びらはストロベリークリーム?」


 型取られた現物そっくりな花びらのクリームを小指ですくい、味の確認をした。


(ウワァ殆ど苺─だ、私が好きなヤツ)


 果実の酸っぱさと果肉の甘さに満たされた私は無我夢中で食し、半分そこそこのところで気がついた。


(えっ、ちょっと待てこれ─……)


 と思い、カレンダーに目を移した。数字をズバッと確認し、私はガックシ項垂れた。


(忘れてた。明日、私!)


 ここ連日の目まぐるしさに自分の生まれた日を、忘れていた。

 冷蔵庫をパタンと閉ざし、背にした。冷えきった床にヘナァと腰を抜かし、私は顔の火照りを感じた。


 ええ、どうしよう。


 冴えた感覚は部屋にある色々な情報を取り込む。

 まずは鼻、次に視覚、といった順番に私は惚けていた意識をハッキリさせた。

 IHコンロにある鍋からは、美味そうな匂いが漂っている。


(気が付かなかった)


 帰ってすぐ喉を、潤したかったから。


(でも箱に……、飛びついたのよね)


 玄関にも部屋にも、充満している筈の匂いに私は気付かなかった。それほどまでに脳は疲弊していた。

 「ああぁ」今日彼に、残業予定で遅いって告げた自分を悔やんだ。晩御飯の用意も、何もかもを知らない内に、彼が用意してくれていた。

 サプライズかどうかは分からない……けれど、たぶんこれって。反省したが欠けたケーキ部分、盗み食いした痕跡は消えない。


(だって、食べたかったんだもの)


 落ちこむ私の目にふと、鍋横に置かれたワインが目に付いた。


(鍋の中はビーフシチュー、彼は付け足す物を買うため不在中……ってとこか)


 気付くとシンクの上にある残りのワインを手にし、飲んでいた。どう誤魔化すか、酒の力を借りて模索中。


(どうせなら、全部食べちゃう?)


 行儀悪いが誰も見ていないのをいいことに、ワインを瓶ごとラッパ飲みし始めた。フフゥと、瓶の中身を全部飲み干しめつすがめつ。

 時間は残業なく帰宅の夜、19時。

 壁に掛けてある時計を見た後、ワイン瓶をゴロゴロと床で私の手がある。


(これ、極上ワインだ。調理用には勿体ない)


 冷たい木目床に座り、空になった瓶を持ち上げくるくる回しラベルを観察した。度数もかなり高めで彼好みワイン……もしかしたら調理後、私の帰りを待つ間秘かに呑むつもりだったの?

 彼は酒豪で人の倍、倍、倍、呑んでも酔わない。


(あの、うわばみヤロウ!)

「ヒック……」


 酒の力は悪い方向へ……。気付くと冷たい保管庫に頭を入れ、お酒に合う食べ物を漁っていた。


(えー、つまみは?)


 連日の疲れと睡眠不足が私の酔いを回らせる。私は野菜室の引き戸を目一杯、力を込め引っ張るとガチャンガタタと、冷たい空気と一緒に滑ってきた。

 幅広い冷室の中に、黒いボックスが置かれていた。


(ハムかな?)


 中身を勝手に連想させ、上機嫌で取り出し、箱を開けた。

 中……身? 開かれたふたから噎せ返る、甘い花の薫り。


(あっハムじゃ─、ない。確かに紅いけど)


 勘違いし、食べる気満々でいた私は悲しかった。四角い枠中にふぁさあと赤い花が一輪一輪、きれいに並んでいた。

 その数九つ。

 黒いケースの中で並び輝き、特に中央の深紅の花は一段大きく麗しく、花片を優雅に自慢していた。

 真ん中の色鮮やかなモノを手に乗せ、ぼぅ~と眺めた。濃い芳香を目と鼻で満喫した私は風呂場へと、持ち運んでいた。

 片手には赤ワインを掲げ。


(フフフ、湯に浮く花は粋でしょう……)


 私は完全に気分がい酒乱者へと、変貌を遂げた。風呂の湯張りを待ち、箱にある花は一枚一枚、毟られていく。

 はらひらひら─、指で踊らされほぐされていく花びら。薔薇は赤色のハート形に姿を変え溢れんばかりに、容れ物の中でフワフワ揺れていた。


(フフ、きれい……)


 私は手にあるビロードを楽しみつつ、湯張りの合図を聞いた。


(あっ)


 肌触りの良いベルベット薔薇の花びらが張られた湯の中へ散っていく。ゆらぁと赤く時折黒く、浮き沈み波に揉まれ。

 視ているだけで気分が高揚した。


(ハワァ)

 たまにホテルにあるヤツだ!


 蒸された上品な薫りは、鼻腔に突きつけられた。

 持っていった酒瓶を床に置き、着ていたブラウスを袖からゆっくり、なのにスカートはストンと床に無造作に。次にシュルッと、胸を隠していた布を放り、お尻の薄布を足からスススッと剥ぎ取った。


 解放感!


 喜び勇んで湯に浸かる私がいる。

 彼が見たらとかは考えなかった。

 明日は休日。

 デスクからも人からも、邪魔されない「自由だ」という気持ちが私をこうさせていた。私はワインを忘れず持ち込み、風呂脇にそれを立てた。

 それともう一つ、皿を持ち込んだ。

 フフフ、三角に切られた綺麗な断面のケーキ。「いただきまーす」とフォークを上げ、無邪気に口に運んだ。

 残さず平らげ、満足気に声を荒げた。

 

「ああ、美味しい。贅沢の極み」

「うん─、そうだね」


 「!!!」

 と、驚いたが何もかもを隠せない私は虚ドリ、慌てふためき彼の声を訊く。私は戸口を見遣り、彼と目を合わすとニッコリ微笑されたが……、目は口ほどに物をだがどうなんだろう。


「まさか……人の留守中に」


 今日の彼は眼鏡を掛け、普段の秀麗さに拍車を掛け知的にカッコいい。私の心臓は驚く動悸に乱れが加わり、激しくドキドキと脈打った。


「へへへ」


 笑う私に彼は溜つき、普段見せない顔つきをして見せた。


「おまえ、ふざけるな怒るぞ?」


 普段出さない声の質感トーン、普段見せない眉間の皺数、明らかに違う仕草は私を更にときめかせた。

 怒られていることに変わりはないので一応、反省の素振りを見せ、いや多分していたのかも。


「はぃ……」


 彼に、鼻柱を小突かれた。


「あのさ、酔っ払いが風呂入ってどうするの?」

「ヘッ(目が踊る)」


(怒るのはそっち? お風呂に浮く花ではなくて)


 彼は湯の表面で浮く皿を持ち上げ眼鏡を外し、真顔で問い質す。


「おまえさ、溺れたり心臓発作とか、どうするの?」

「!!」

「僕がいない時に呑むなって言ったよな?」

「っ!」

「キミはタダでさえ酒弱なのに」


 私は湯船からザバッと上がり、彼に飛びついた。

 贈る予定の花を台無しにしたことより、ケーキを食べていたことより、私の心配をして怒る彼に喜んだ。


「おいっ」

「へへ」


 私は彼を抱きしめ戯け笑い、本心を隠した。私の背中に回された大きな手はポンポンと、子どものように優しくあやす。


「酔っ払い、服のままだよ」

「あっ、えっ?」

「だから、服が濡れたって」

「違う、呼びが今、俺呼、び」

「あぁ? 咄嗟に出たよ」

「うん、カッコいい」

「……あのな?」


 素の彼がいつもとかけ離れている姿に私は我慢出来ず、口付け舌を搦めた。


「……出たな、酒乱色情魔」

「ふふ、色情?」

「ああ、おまえは酒が深いと色っぽいし、艶がかるしエロる」


 私の谷間むねに彼の目線躊躇いを感じた瞬間抱き寄せられ、蕩ける口付けをされ、私は体の力が抜けた。


「ああ、濡れたよ」

「ごめん」


 私を腕に抱きながら彼は、服を脱ぎ始めた。


「僕も入ろ」


 彼の逞しい腕に抱かれ私は一緒に湯に浸かる。「フゥン」と鼻息荒く、彼は文句を述べた。


「まぁ、薔薇とケーキはいいとして……もう一人で呑むなよ?」

「う、うん?」

「て言っても絶対呑むよね。あと酒乱で男に絡むの僕だけにしてよ?」

「うん。ね、もう一回俺呼称で」

「はぁ?」

「ね?」

「俺」

「……フフフ」

「何ですかね。ほら寝なよ、疲れているし眠いでしょう? 後は……俺」


 彼と目が合う私はたぶん、瞳が強請るように潤んでいたと思う。だって、いつもと違う彼の視線がそこにあるから。


「そんなにこの呼び方が気に入った?」

「ッヘヘ」

「はいはい、もう寝な?」


 照れる彼が可愛いなんて、思ったのはいつ振りだろう。彼の腕の中で湯をパシャリと、跳ねさせ遊ぶ私がいた。優しく髪を撫でる彼の手がものすごく、心地いい。


「……」

「ほら寝た」


 目が覚めると私はベッドの上だった。パジャマとかもいつのまにか着せられ、私は彼の腕と脚の中で強く固定ホールドされていた。

 刻限は昼の12時、一晩どころか日は跨いでいた。

 起きた彼と目が合う。


「……おめでとう、そしておやすみ」

「!!」


 彼はほんとうに言葉通りに寝息を立て、スゥと安らかに目を閉じた。

 「私、誕生日……」と小声を漏らすと気づいた彼はおでこにキスをして、微笑み寝入る。


 私と彼のあいだで薔薇は──、咲かない。


(ごめんね、頑張ってくれたのに)


 九つの花言葉は『一緒にいてほしい』。

 最近の彼は私を満たそうとしてくれている。でも女は男が考えているより強欲な上に、根が深く、記憶も上書きされるやすい。

 「こんな自分でも」と、思う私を彼は態度身体で示し、そばに居てくれる。私は送られた真意ことばに寄り添い、今は……、眠ることにした。




 

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