夏─紫陽花、後日談と胡瓜。


 ゲーコゲコ――。


 五月蝿い蛙があちこちに……。

 皆が寝静まる暗く閑かな街に、ラテン音楽で使用されるギロの音が鳴り響いている。面白いと言えばそれはそれだが、こんな夜だと一種の騒音だ。

 僕の住む此処は近くに神社があり、そこの溜め池では毎年、煩い音源が繁殖していた。

 今日はウシオガエルの声までも。

 

 そこまで田舎ではないが都会でもない、でもウシオって食用蛙……。


 情緒豊かな夜? 

 僕の心はあることで震え、眠れずにいた。

 寝つきは良い方ではなくどちらかというと悪い。今日はそこにかなりの拍車がかかり、余計眠れそうもなかった。

 ……腫れた頬が微かに疼く。


 ……あんな彼氏は僕でも嫌だな。


 僕はアイス棒を咥え、ベランダに出て何故かヤンキー座りを決め込み、植えられた紫陽花の鉢を睨んだ。

 頬を腫らした原因を思い浮かべていた。今だ朱みさす頬を摩り、「ああ、気持ち良かった」と誰に見せるでもなく、顔をニヤけさせている。


「イチチ」


 僕の口内ではアイスが冷たく染みいる……元凶は、頬にあった。

 今日は彼女の友達の結婚式だった。彼女の帰りを迎えに行った僕は、あいつの元カレに頬を殴られた。

 いや。殴られたというよりは頬を差し出したんだ。

 その方が理由付けて相手を、撲りやすい。


 こんな姑息な僕を、彼女はどう思うだろう。


 僕の横で植わる紫陽花はアイツの元カレと揉めた記念品となり、彼女にとっては友達ウエディングの大切な記念品だ。

 このまま育てばいいいのか、枯れた方が清々するのか─、僕の心中は色々重なり落ち着かない。

 どちらかと言えば枯れてほしい、心穏やかでない僕がいる。

 やはり心境は複雑だ。


 もとはウエディングブーケ。女の子の大切な粗品、無下にはできない代物。


 僕は紫陽花から眼を逸らし、横にある胡瓜を眺めた。記念品アジサイの鉢横には、食料用植物のプランターがある。

 その場所で立派に根付き育つ枝からは胡瓜の実がなっていた。細い先端には本来、咲いていた可愛い黄色花がしおれている。

 気持ち高ぶる僕に似て、細長い緑の棒を高慢ちきに上に向けていた。

 キュウリの花言葉は「洒落」らしいが、今日の僕の行動は「洒落」ていない。

 口に残るアイスの棒をカシカシと噛んだ。口からはみ出る棒は、上下に揺らせている。

 そして、考えていた。


「……」


 僕は人を撲り慣れている。何故か僕は女運がいい方ではなく男女関係でよく揉めた。それに僕の喧嘩は拳を交える事の方が、多かった。

 若い頃十代の喧嘩はすぐ、手が出る。

 だから拳は傷まないが、少しばかりの反省はある─かな?

 手を握々させこぶしを作り、暫し眺め、今を振り返ってみた。

 ……今の彼女は─、別のことでよく問題を起こす。


 酒が弱いのに酒が好き。

 顔もそこそこいい方に加え、スタイルがいい。

 あの胸、腰、尻は見てて堪らない。

 男なら生唾モノ―だ、ナンパが耐えない。

 僕の不安はそこにあるのだが。

 

 ……わかってるかな。アイツ?


 モヤモヤ考えているとカラカラと窓の音がして、温い風が背中にあたった。

 振り向くと彼女が立っていた。


「あっ……、呑む?」


 ベランダにいる僕に気づかなかった彼女は、腕にある缶チューハイと缶ビールを抱え訊ね照れていた。


 気まずそうにして……。


「うん、飲む」


 今日の出来事は彼女にも堪えたのだろう。

 一緒に食べる夕食の会話は今まで以上更に静かで、まるでお通夜のように無言だった。


「……ごめん」


 力ない彼女の声が訊こえた。

 隣で腰を屈め坐る彼女の頭を軽く、ぽんぽんとしている僕は何を思う?


 哀しげに微笑む彼女からビールを受け取り、僕は無言で缶を開けた。

 ……二人無言のままだ。

 

「イチッ」


 ビールが口内の創に障り、思わず声が漏れた。僕の小言に彼女は眼を見開く。

 悲しげに彼女は僕の腫れた頬に優しく手を、添えてきた。僕は綺麗な手を躊躇なく払い除けた。


「ごめん」


 僕が謝る前に謝る彼女がいた。その口を鬱ぎたく、キスしそうになったがやめた。僕は衝動を諌める為に、横で生えているキュウリを刈り取りポキッと嚙んだ。


「苦っ甘」

「甘い?」


 素っ頓狂な彼女が僕を戯け、直視する。


「うん違うな、渋い?」

「渋い?」


 伺う彼女に僕はニヤけ、彼女の頬にキスをした。固まる彼女は僕の眼に、愉快に映り込む。

 透透け笑う僕は彼女に、囓り欠けの胡瓜を振って見せた。


「小さいのに摘んじゃった」

「え? 実ってたの?! ひどい。お漬けものにしようと育てているのに」


 胡瓜を奪おうと彼女は僕の眼前に、指を差し出した。彼女が伸ばす白魚の指を僕はペロリと犬のように舐め、咥えた。

 咥えられた指に反応する者は頬を赤らめ、瞳を艶っぽく濡らせていた。

 僕はそんな態度を示す恋人に満足した。


 やはり彼女は、かわいい。


「まだるよ、じゃあ、ベッドにお先してる。おやすみ」


 彼女をベランダに残し、僕はベッドに潜った。


 相手を、撲ったのはまずかったか?


 暗闇の中で何故か、アイツの元カレが浮かんだ。地面に尻を着かせ、失禁する男の姿が頭に焼きついていた。

 ……僕だったら人前でアレは恥ずかしい。でも失禁するほどか? 男には手が出せず、女には手を出すタイプだったのか?

 相手の心配より実は彼女の心配をしていた。後からあの男が彼女を責めに来たらと、今さら思った。


 どうしようかと。


 回想はついでだ。僕だったらと、失禁はないなぁと、思っただけ。

 悶々としたが後者の理由を選び、詫びはやはり不要だと模索するのをやめた。あんな醜態を曝したんだ。

 普通は来ないだろう。

 ──どれぐらいの沈黙が布団の中で、僕の中で続いただろう。

 布団に潜っていても訊こえるはずの時計の音が、しない。ただひたすら眼を閉じているだけなのに。

 でもそんな中、部屋を歩く足音だけは聞こえた。小さいながらも深夜の静けさの中、僕の耳に響いた。


「もう、寝た?」


 ベッドで横たわる僕に、訊ねる彼女がいたが無言で通した。

 ベッドが軋む音がする。いつもなら彼女に抱きつく僕だが黙り、うずくまったまま様子を窺った。


「おやすみ……今日はありがとう」


 彼女の甘い声が囁く。


「実はね……。あなたが彼を殴ったの見て。フフ、気持ち良かったよ、おやすみ」


 たぶん彼女の気持ちに噓はなかったと思う。彼女の声は甘いかりんとうのように弾んでいたから。

 僕に呆れもせず、彼女は本音を漏らす。彼女の心に触れた僕は安堵し、嬉しかった。

 布団を被る彼女の動きが、布の擦れる音が、僕の耳にある。僕は寝ているものだと思い込んだ彼女は無言で、僕を抱きしめ寝入り始めた。

 彼女の息を感じる僕は、背中に擦り寄る彼女の温もりを身体に拾い、心の中で返事した。


 おやすみ……。



◇◆◇花言葉◆◇ ◆◇ ◆

 胡瓜。

 (洒落)

 様々な形に伸びるその姿が由来とされてます。

◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇

 完全ラフですがよろしければご覧ください。

 https://kakuyomu.jp/users/yosinari/news/16817330649892371928

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