秋─芒(すすき)

 


「いいよ。一人で行くから」


 淡々と一言述べた彼女のあとを、僕はついて歩く。

 彼女の行き先、落ち着く場所はなんとお墓。いや─、先を見据えての墓場ではない。


 単なる墓参り。


 たまに先々を想像しすぎて「ああ」となることあるが、まだそんな先は見据えていない。

 ……なぜか溜ついてしまった。そんな僕の呆け面を彼女は横で、拝んでいた。

 黙る彼女に僕は話す。


「墓所は一区画離れてるけど僕も久々に、ご先祖様に、でも?」

「私、直ぐ帰るわよ、約束もあるから」

「はい」


 彼女の手には鬼灯が持たれ、反対側の手には線香とライター、タバコが入ったビニール袋があった。

 

「祖父がヘビースモーカーだったの。話したでしょ?」

「ほう? 忘れてた、キミは遺伝だったね」


 納得して物言う僕は彼女に頬をギュググと、抓られた。


「バカ」


 流し目でこちらを窺い、照れ笑う彼女がいた。僕もつられて笑う。


 僕と彼女のあいだで揺れる

 ──ススキ。


 そよそよと風に靡く稲穂に似たそれは何を想い、かぶりを振るう?


 揺れる髪

 もの憂げな瞳

 流れる指先

 

 その流れる所作の先にある想いは、どこへ行くのか。


 ねえ、そこに僕はいるかな?


 並んで歩く彼女を僕は、観察する。その憂いた表情に、合わせ揺れる髪に……、黙って見惚れた。

 今日の彼女はこの後の予定に合わせ身をやつす。友人の茶会に招かれ、着物を着熟していた。


 雅に綺麗な佇まい。


 彼女が持つ可憐な顔立ちは、紺色のすすき柄衣装に見合う化粧に仕立て上げられ。

 艶やかに、淑やかに。

 紅さす口はまっすぐ一文字に、閉じた瞼に長い睫毛……。

 

 墓前に手を合わせ何を、祈る?


 祈りは南無阿──? だよね。

 でも僕は不道徳にして姦邪よこしまだ。静かに墓の前で屈むキミの横顔が堪らず、僕は頬にキスをした。


「なっ、ナッ、ナニ?」

 

 突然の僕のアプローチに、目ん玉ひっくり返す彼女がいた。


「綺麗だ」

「モッ……、あなたも手を合わせなさい。お馬鹿!」


(あれ? いつもはバカなのに今は「お」がついた)


 クスクスと笑いが止まらない僕は「はいはい」と二度返事をし、さらに怒られた。

 垂れているキミの前髪に触れた指をまっすぐに下ろし、頬をゆるく撫でた。

 こそばゆそうに彼女は片眼を閉じ、片方の潤んだ瞳が僕を捕らえた。


「お祖父さまに怒られても、ご先祖に睨まれてもいいや」


 同じ目線にいる彼女に口づけた。僕が彼女の唇を離したあと、彼女は僕の唇をなぞり、付着したであろう口紅を拭い取った。


「もう、その口閉じようか?」


 彼女は供えようとしていたタバコに火を点け、僕の口にかざした。ご丁寧に火口の方を僕に向けて。


 こんなふうに戯れる僕たちを、ご先祖様はどう思っているかな?


「そんなの、単なるバカにしか見えてないでしょうよ!」


 訊ねた僕に彼女は冷ややかに笑う。「なるほど」と、僕は頷いた。


「私、時間だから」


 去って行く後ろ姿のすそすそと丁寧な足の動きに合わせ、着物の裾柄のススキがしなを作り揺れていた。

 綺麗にまっすぐ、彼女は背筋を伸ばし歩く。

 芒の穂に負けず劣らず。


いなぁ。着物……、剥ぎたいなぁ」

 

 墓の横で野ざらしに生えているススキが風に遊ばれ、僕を眺めていた。キラキラ陽に透ける細長い穂は、茎は、葉は。

 僕を笑っているのか、貶すのか。

 視線の先でそよそよ、凪いでいた。


 ──すすき


(僕は色欲是空になれそうもない)


 墓前に置かれた煙草の箱から一本を奪い、火を分けて貰う。僕の息に合わせ葉先はジリジリと燃え、僕の咥えている口からは白煙を吐かせていた。


「お祖父さま、お孫さんは別嬪さんです。僕はどうすればいいですか?」


 着ていたジャケットのポケットから、隠し持っていた缶ビールを出した。云わなくても彼女には、布の形でバレていたと思う。

 コレは僕のじいさまの墓前に献げる物だったけど。


「煙草の御礼」


 墓石の上からジョボジョボと半分かけ流し、残りは石の隅にコトンと置いた。

 

「アイツがまだ横にいたら、叱られるな」


 「綺麗に背中墓石流したのに」って、彼女の顰めっ面が浮かんだがやりたかったんだ。僕は横でたなびく芒を眼に留め、歩き出した。

 ここの霊園はなぜかススキが多い。ゆらゆらと首を横に時には上下に、激しくうならしている。そんなところに赤とんぼが群れ飛び、夕陽を浴びていると……。死の間際、ばあさまがぼやいた『三途の川』の景色が眼前に在る気がした。


赤橙色あかだいしょくの夕焼けに吸い込まれる河原、ほらっキレイ。赤とんぼがふわふわ。わぁあ、赤い稲穂と一緒に泳いでる』

 夢のはざまにぼやかれた言葉─。ばあさまはその三日後、永遠の眠りに就いた。

 もう何年も、前の話。


(今だ耳に焼きついてるなんて……、あいつ彼女が知ったらなんて思うかな)


 オレンジの眩さの中、稲に似た穂が風に煽られ晄る佳景があるけれど。


(……僕はこの風情がキライだ)


 墓があるからって訳ではなく。

 僕は……、ばあさまの話もあって益々ここが。

 ──キライだ。


(でもススキは好きなんだよなぁ)


 彼女はいつも秋月に、団子とススキを飾るんだ。そんなことをされている内に、この植物には慣らされた。


(……うん、帰ろ)


 気がつくと、歩きながら吸っている煙草は短くなっていた。吸う予定もなければ匂いが残るの為、いつもは深く吸わないこの煙草の処遇に、僕は困り果てた。

 足で吸い殻を─、踏んだまでは良い。


(どうしよう。地面に隠す?)


「コラッ不良中年? ん、青年?」


 考えしゃがむ僕に、声を掛けてきたのは近所の中学マセガキ生だった。


「さっき、お兄の彼女が歩ってた」

「ホホウ、で?」


 この中坊は僕のことをお兄と慕うも本命は、彼女だ。

 近所に引っ越して来たガキは、僕が公園で本を読んでいると話し掛けてきてた。そして、今に至る付き合いなのだが「いかんせん」、エロガキなのだ。


「フフン、彼女のお尻ケツは綺麗でした」

「……揉んだの?」

「だって、着物からの線がなまめかしいから」

「ませエロ」


 ぼやいた僕は少年の頭をガシガシ掴まえ、力いっぱい弄り倒した。

 子どもは無垢でうらやましいって思うも、


(待てよ)

 僕も彼女に対し最近素直か─、と考えた。


(彼女はどうだろう)

 ……、僕の一方通行?


 少年から貰った空のペットボトルに、先ほど捨てた吸い殻クズを入れた。顔を上げた僕は手に芒を振り回す、中学生を目の当たりにしていた。道端に生えた草を手折ったらしい。

 今日はススキに縁のある日だ。


 少年は別れの際まで、ススキを手にしていた。マセてる子の相手は疲れる。


(あれ、待てよ?)


 でも僕も、他人事マセてるのではないか。


 家に戻り、部屋のソファに重い身体を預け……何刻過ぎたのか、暗い闇が僕を覆っていた。


 鼻がこそばゆい。


 何が僕の鼻下をくすぐるのかと手を伸ばすと握り押さえられ、まだコショコショとされ続けていた。

 頭を振り、藻掻くと唇に柔らかい物が触れ、頬の上をサラァと絹糸のような柔っこい質感が流れた。

 これは─、アレだ。


(あいつの悪戯─、……)


「……寝込みを?」

「気持ち良さげに寝てたからつい、いつものお返し? フフフ」


 彼女は僕の横に腰掛け、鼻下で遊ばせていた物を花瓶にすらり、生け始めた。


「何が撫でていたのかと思ったら、芒」

「そう、なんか飾りたくて。お墓の物は持って帰ると縁起悪いから買ってきたの」

「ふうん」


 桔梗とススキを綺麗に生ける彼女の指はやはり、しなやかだ。その上普段見れない着物姿。

 たまらない……、そそられる。


「ねえ、その姿僕の前だけにして」

「え、無理だよそんな! あ、やッ、ッゥン!」


 僕は彼女の色艶なうなじに、しゃぶり付いた。


「ぅうう……、もう最近性欲丸出し─ケダモノね。どうして?」

「え? それは前から」

「前は……、ベッドの中だけ。だったじゃない?」


 僕の頬を指で触れ、困惑する彼女は僕の鼻先を嚙んだ。


「じゃあ、僕は飢えてるんだよ」

「ヤらし、誰に?」

「んぅ、ヤらしぃって訊く?」

「フフ─、ッ……」


 僕がキスした後、「どうしようかな?」彼女はそう囁き、僕の手に身を委ねた。

 僕の欲望を満たす彼女がいる。

 これは僕の欲が招いた情事か、彼女が招いたものなのか。

 知りたくて─、訊きたくて言わせたく。

(でも……)


 芒の花言葉通り、心が通じていたらうれしいな。


「? 花……こと、ば?」

「ううん。何もそれより、もさ?」

「─ッ、あ」


 着物が……、擦れた。


 彼女の髪を梳いた僕の指皮膚は芒の葉のように切れそう……と思いつつ、指を髪に絡め、強く握った。

 芒の穂のように柔らかい彼女の肌に、白い指先に、僕は流され溺れていく。

 僕の中にあるオレンジの嫌な想い、今は彼女のおかげでかき消された。



◇◆◇◆◇花言葉◆◇◆ ◇◆ ◇◆

 芒(すすき

 「活力、精力、、心が通じる、隠退」

◇◆◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る