夏─クレマチス

 


「なぁあ、これってツルがこんなに伸びるんかね?」


 母が庭で植木の水やりをしながら、僕に訊ねた。

 ホースから出る水は気持ち良さげに飛沫上げ、日にあたると小さな虹を作る。七色の橋下には緑樹があり、水滴を纏う葉の下で六枚の花びらが、たおやかに咲いていた。


 紫の花

 ──鉄線花クレマチス


 母はこのツル科の植物について僕に話しかけて来たが、訊ねて当たり前という口振りになぜか呆れてしまう。


 今日は別件で帰省、したんだけどなぁ。


 実家に帰って早々の会話が花?

 息子に投げかける話が花?

 確かに僕があげたよ、でも? 

 僕は縁側でアイスを頬張り、胡座を掻いていた。股上で寛ぐ白猫は半袖の裾を丸い手でチョイチョイと、楽しそうに動かしていた。

 朝十時だというのに夏の日照りは早い。

 アイスで涼を取り、うちわ片手に母の動きを眺めていた。

 猫にアイス棒を見せると、たわむれ始めた。会話をしつつ、膝上の小さき者子ネコを構う。


「らしいけど、それつる下げしてるの?」

「つる?」

「あと花きり」

「花きり?」

「あ~~もう」


 膝上で遊ぶねこを申し訳なさそうに床に置き、足を縁側から下ろした。草履ズルズル云わせ、母の元へ。

 暑さを凌ぐ、うちわを動かすことを忘れずに。


 背の低い母の隣で膝を折り体を屈めた。本来、僕の腿位まで伸びている蔓に手を添え紫の花に触れた。


「去年手入れてないでしょう? 判らないなら聞いてよ」


 ニヒヒと歯を見せ笑う母は「さんまのまんま」に出てくるマスコットそのものに視えた。首も縦に、激しく動かしている。


 何という笑い方だ。


 母は単純な花を好む。朝顔や向日葵、秋桜、チューリップ等の種や球根とシンプルな。

 簡単な花をよく育てる。

 このように上品な花を見るのは好きだけど、苦手らしい。

 そんな花がなぜここにって?

 それは……。


「そんなことみゅう言うてもおみーさん、一言も説明くれんかったね。くれ渡した時に教えてぇもーな」


 ……ぁ、はい。僕の所為です。


「せっかく「母の日」にくれたでね」


 確かに母の日に僕がプレゼントしたが買ったのは僕ではない、彼女だ。

 それに……、本当は彼女が自分の母親に贈るために買ったのであって、僕の母に、ではなく……

 ……、という事実は伏せて渡した。


 それを伝えたところでこの母のことだ、花にはあっけらかんだが別のことに口出してきそうだったから。

 母は今も何かにつけ、隣でチクチクと喋っている。

 文句云う口が少々、うるさい。

 

 母の手元にこの花コイツが渡ったのは一昨年。


 彼女の母はクレマチスが大好き。毎年かかさず、用意する母の日のプレゼント。

 しかしこの年だけは渡せずにいた。渡す相手がいきなり、入院をしてしまったせいで。

 しかも長期。花の世話どころではということで……僕の母に。

 この時のクレマチスが、僕んちの庭で今、紫に花開いているのだ。


 今は無事退院してるが一年は長いと、思った。


 ──そして。


 女の子はすごいなぁ。

 こういう行事ごとに気配りが耐えないと思うのは、僕だけか?


 彼女はイベントを大事にする。


 会話がなくてもご飯を伴にする機会が減っても、クリスマスにお雛さん、なぜか秋月まで、何かの行事につけ冷蔵庫やテーブルには御馳走があった。

 

 もちろん僕の誕生日も欠かさず。


 彼女曰く、母親の影響らしいがそれもすごい。

 彼女は母親とすごく仲がいい。親子というより姉妹に見えてしまうぐらだ。

 だから……彼女の両親、特に母親にはよく会うんだよね。こんなこと事実が母にバレれば「激おこ」だろうな。

 だってここ数年? 

 うん、彼女に母を会わせたのは久方の先月、何年ぶりかのお披露目。


にゃんであちらさんだけ親睦広めぃて」

 と文句を漏らし、顔を赤らめ角を生やすであろう母を一瞬、頭に描いた。


(来年の豆蒔きは母を想像するか)


 いやっ違う。そういうことを云いたいのではないんだ。


(……母さんごめん)


 でもこれには訳があるんです──。そう訳が。

 彼女のご両親とは同棲時に、交わした約束がある。


 僕は植物クレマチスが持つくきバネツルに触れ、ふと昔(?)を振り返った。

 

 僕と彼女のあいだに咲く

 ───鉄線花クレマチス


 初めての謁見

 初めての贈り物

 初めて見知った花


 僕も彼女も、この花が持つツルみたいに強いツルで結ばれてるかな?


 付き合い始めた年の五月。

 

 彼女は毎年行う母の日の鉢花プレゼントを、玄関に置いていた。鉢は可愛い虹色のセロファン紙にラッピングされ、ご主人渡されるを待ちわびる。

 帰ってきた僕は扉を開け、足を踏み入れ──、蹴りそうになった。 

 なんだ。オオットト─っ。

 花を飛びよけ、股を広げ過ぎた僕は転けそうになったが壁で身体を支え、難を逃れた。

 僕の気も知らず、白い六枚花片はピンクの筋を飾り付け静かに佇む。

 凛と気品溢れるツル花をまじまじと眺め、「ああ」と納得した。そして冷や汗が出た。

 帰宅した僕に彼女は明日、玄関の物を母に渡すから、

「注意してね」

 と息巻いた。


(お知らせが遅い。危ないとこだったよ?)


 と、胆を冷やしたことは話せてない。「はい」と返事をし、僕は冷蔵庫から牛乳パックを漁った。

 横で、電話を取る彼女が喚いていた。

 ……どうしたんだろう。


(なぜこの時のことを鮮明に覚えていたかというと蹴りそうになった鉢植と、着替えておくべきだったと後悔した出来事が二つも起きたから……、特に後者はマジ勘弁)


 彼女の電話相手は母親であろう。慣れ親しんだ口調、憤慨する彼女の声。


(怒っている? 珍しいことだ)


 話が終わった直後、僕の背中に八つ当たる彼女の所為で見事、口から吹き出しもしたし、パックからも溢れた液体。

 白い簾を纏う僕の黒いスーツ。

 アアッと、小声と同時に冷ややかな目で僕は彼女を睨んだ。


「ごめん」

 と彼女は苦笑し一言告げ、鼻が膨れ上がった。


 あれ、かわいい。


 仕方ないと笑いながら服を脱ぎ、彼女の顔を伺うとぶーぶー云う鼻とは対称的に不安がる瞳があった。

 僕は「どうしたの」と、訊ねた。


 カノ母が僕が浮気をしていると言い掛かり、「そんな男と別れなさい」と電話口で怒られたらしい。

 彼女は鼻のついでに頬もプクリと膨らませ、拗ね気味に僕に伝え胸にもたれた。

 

(何を見たら、そんなことが云えるの?)

 

 でもおかげで新しい表情のかわいい彼女を見られ、僕は嬉しい。

 彼女にキスすると先ほどの胸のつかえは落ちたらしく、ギュッと抱きかえす彼女がいた。

 ますます、可愛い。照れたこいつ彼女に「君の報告」兼ねての約束もあるから一緒に家に行こうと伝え、そして当日。

 母の日に彼女の実家へ。


 彼女は母に渡すプレゼントのおまけのように僕を差し出し、そしてすぐ後ろに隠れた。

 盾にされた僕はこんにちはと、歯をこぼした。

 じと~と彼女の母は僕を斜視し、品定める彼女カノ母の第一声は「ありがとう」ではなく、「あら、ごめんなさい」だった。


「世の中には似た人が三人いるというが、この前見たホテル男はここまでの長身では。それに……」


 それに何ですか?


「よく見たら─、こんな優男でも」


 どんな男と僕を間違えたのですか?


 僕の後ろで服を引っ張る彼女は胸を撫で下ろし、僕を見て安堵の息をつく。

 誤解容認とともに始まりを迎えた、会議。

 母親はどこも同じなのか、チクチク刺さることを平気な顔で小言尽く。彼女はただ表情を歪め、目で僕に謝り媚びていた。

 彼女の父親にはこの時初めて、お目通りした。

 僕はここで、父親の眼に刺される。


 緊張した僕は、手に汗を握った。


 「報告はなし」は彼女と同棲許可を貰うこと。

 最初は渋々だった彼女の両親も、必ず「定時連絡を入れる」という約束ことを交わし、新たな生活のひと幕が開けた。


 ……現在いまもその延長線上で会っているだけなのだ。そして彼女が毎年『母の日』に贈る花も『クレマチス』だと、知った。

 余り物を贈ったあげた感は否めないが……、母には今度謝るかと短絡思考の僕がいる。

 ツル草の前で屈む僕は保けぇと、母に食いついた。


「なんね? そんなに見たら穴が開くがね」

「いや、なんか悪いなぁって」


 訝しむ母は「何がだね?」と、言葉の後にすぐ手が伸び、僕の頭を叩いた。


「今日は何用ね」

「ああ、彼女が来る」

「ほうねぇ、いつ来るね?」

「今」


 僕は垣根の扉を指差した。

 庭木に囲まれた垣根の向こうで躊躇いがちに、こちらを伺う彼女がいた。


「ひぃ!」


 木陰に佇む彼女に母は驚き、ホース先の水を彼女に。飛んだ水は彼女の全身を濡らし、服を透透けさせた。

 呆気にとられる彼女はそれでも丁寧に、頭を下げた。

 「ああ、ごめん」と母は謝り急ぎ、干していたタオルを取り彼女の体を拭いた。


 夏の布乾きは早い。


「水が似合ういい女やなぁ。よく触ると腰細いわぁね食ぅとるけ?」


 彼女の身体を拭きつつ、腰を抓んでいる僕の母がいた。


(おおい、何処を触り、何を云うんだこの人?)


 クスッと彼女は妖艶に母に笑み「この間は」と、挨拶を交わす。

 母は彼女の微笑に照れ躊躇い、鶏のような首の動きを見せていた。

 その後すぐ、僕と彼女にぼやいた。

 

「あえな息子でほんま良いかいな、あん子に勿体ない」

「母さん!」

「ほんまようのことよ? 出るとこも出て。腰細いがしっかりしとるでぇもい子が産めそうやな」

「母さん!!!」


 ベタベタと母のスキンシップに焦る彼女だったが「足腰は丈夫いですよ」と、笑っている。


 彼女も僕と同じでこの母に、緊張してるかな?


 髪を拭く彼女の足元にはクレマチスが上品に、彼女の動きに合わせ気高く雅に揺れていた。



 

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